ナダが何故、ガイソーグを着用するに至ったのか、超強力なマイナソー登場にどう立ち向かうのか、そしてカナロの結婚観の変化とは…。
といった具合に、やはり諸要素を詰め込んだエピソード。メインはナダと言えますが、理由にも回想にも意外性が乏しく、あまり驚くことができなかった…というのが正直なところ。逆に、長澤奈央さんの出番も役割もあれだけなのかと驚いてしまいましたが…。
デュラハンマイナソー
いわゆる「首なし騎士」のマイナソー。特徴的なビジュアル故に、RPGなんかでは好んで採用される傾向がありますね。
そして、何と言っても本邦でデュラハンの形態を最も印象付けたのは「マジンガーZ」のブロッケン伯爵ではないでしょうか。自分の首を抱えて行動するという奇怪な人物像が人気を博しました。
今回はデュラハンならではの能力というよりは、「生み主」(←今回のメルトの発言。ようやくマイナソーを生み出した人間等に適切な代名詞が付与されました!)の属性に従った「高スペック」なマイナソーということで、あらゆる攻撃に耐性を持つ強力な敵となりました。
生み主は「外科医のプリンス」ともてはやされた男であり、カナロ同様「結婚できない男」という設定でしたが、ややエクスキューズ不足な面がありました。この外科医は女性に対するリスペクトが完全に欠けていると説明され、納得することができるのですが、そこにカナロが共感していることについては違和感があります。
これまでの言動から分かるように、カナロは決して相手の女性へのリスペクトを欠いておらず、結婚を逃しまくるのは、むしろ運の問題(?)に過ぎませんでした。今回、外科医との邂逅を経て、結婚できない理由に気付き、説得を試みるような流れになっていましたが、これまでのカナロを顧みない流れだったように思わざるを得ませんでしたね。ここで少々興醒めしてしまったのは否めません。
ガイソーグ
デュラハンマイナソーは、リュウソウジャーが束になってかかっても倒せず、結局強い者を求めるガイソーグの「助力」によってようやく倒すことができました。
この流れ、表面の要素だけ追うと、正に敵から追加戦士に寝返って勝利するという、「燃えるパターン」の典型なのですが、そのように額面どおり捉えたコウが酷い目に遭ってしまうところに、今回の醍醐味がありました。それでも恐らくコウはナダのことを信用し続けるのだとは思いますが。
ナダの言動は、今回のトワとの対話シーンにおけるものこそが真であり、その他はどこかに含みがあるものでした。今回の衝撃的なラストにしても、本心なのかガイソーグに魅入られてのことなのか、明確ではありません。もっと深いところに真の理由を隠しているのか、それともこれまでどおり割とあっさりしたプロットなのか。後者である確率はかなり高いと思いますが、そのくらいシンプルにするのならば、もう少しシリーズ構成自体が平易でも良かったような気がしますね。
マスターグリーン
ここに来て、ようやくマスターグリーンとマスターブラックの名が登場。マスターグリーンがガイソーグを着て戦い、魅入られそうになったことで自らを地球から追放したという顛末には、かなりの悲壮感が感じられます。
「人知れず亡くなった」という曖昧な雰囲気からは、まだ生存の可能性もあって、これからのストーリー上のフックに成り得ることを匂わせますが、そこまで仕掛けられているかどうかは全く以て不明。まあ余計なことは考えない方が良いのかも知れませんね(笑)。
次回
正直なところ、今回でナダの件は決着すると思っていたので、まだ引っ張るのは予想外でした。表面的にコミカルな要素と、根底にあるシリアスな要素がどう描写されるのか楽しみです。
ナダの凶行は、ヒネくれたおじさんとしては「ですよねー」と納得してしまう展開でした(殴)。それなりに年を重ねると、ナダの気持ちが分からなくもないんですよね、悲しいことに・・・。ただ、予告でしれっと生きてるコウを見たときは、流石にもうちょっと考えてくれと思いましたが(苦笑)。
マスターグリーンの顛末については、バンバはある程度知っていたのではないでしょうか?そうでないと、これまで歯切れが悪かったことに説明がつきませんし。ピータンが宇宙で封印されたという件や、ガチレウスの「アイツ」など、マスターブラックラスボス説が急浮上?みたいな。
「騎士」がテーマな以上、避けられない部分かもしれませんが、こういう闇堕ち展開はどうしてもジェダイとシスを連想してしまいますね。
直接語られてはいませんが、カナロの結婚観の変化はコウと出会ったから、ということでナダとの対比になっていたと思います。マイナソーの女性だけ目が見えなくなる能力は、「女性の方に見る目がない」という主張から来ているのは、巧いと思いましたね。メインとしては使われませんでしたが。
あ、マスターブラックとゆーか、グリーンラスボス説ですかね。間違えました(汗)。この辺はまだまだ情報不足なので、マスターたちの過去話とかも期待したいですねぇ。
天真爛漫な天才肌(?)にはそこそこムカっと来たりしますもんね(笑)。ナダの言には私も共感できる部分が少なからずありました。
予告はもう少し秘密主義でも良かったですね。まあ、昔のようにサブタイトルからしてネタバレな感じではないので、とりあえず許してあげましょうか。
本作の聖人でない騎士たちの感覚は、確かにジェダイのような印象があります。シスにあたる人物が出て来ないのは、内省的にならない配慮だと思いますが、ちょっと迫力に欠けるところはありますね。
久々にセトーさんが出てきました。ときどーき現れて、コウたちに情報を提供していく存在。彼にとっとと全てを語らせたら番組が終わっちゃうんでしょうね。それはダメだ。汗
ガイソーグについては「意思を持った鎧」という部分は最強バトルからの設定を守られているみたいで安堵しました。・・・誰だ。先週、設定がブレている、とか書いていた奴は。
ナダが探しに行った「遠い宇宙の果てまで」というのは最強バトルの舞台となった惑星のことなんでしょう。やはりつながりを感じれると面白さが増しますね。。。短絡的でスイマセン。笑
長澤奈央さん演じる、西園寺智美さんが実は女優を引退した野乃七海だった、なんて展開がなかったのは寂しい気もしますが、そこまでやると詰め込み過ぎですよね。
まだ出てきていない他のマスター達で今回グリーンについては語られましたが曖昧な感じであるということと、マスターブラックやマスターゴールドは情報がないので興味をそそられていますが、最終回に向けて話数足らずでゴチャゴチャし過ぎるのは嫌だなぁ、と勝手に思います。
セトーさんは吹越さんの抜群の芝居を見られる喜びこそあるんですが、なんか扱いがわざとらしいので、いまいち出てきても嬉しさが足りないんですよね。大したことを語らないし(笑)。
ガイソーグの設定は、最強バトルのものを踏襲していて良かったですね。ナダの言う「宇宙の果て」は、恐らくリタが居たところでしょう。他の戦隊ワールドと微妙に繋げてきているところはニクいですね。
まだ正体不明なマスターブラックですが、なんらかの切り札的な感じで出てきそうで油断できません。楽しみですね。
正直、ナダ=ガイソーグの部分は、今週までの流れを見る限り乗れないんですよね(苦笑)
で、今回のゲストである長澤奈央さん・・・えっ?これだけ。
いや、もっと出番を(おいっ)演歌を歌わせるとか、最強バトルの惑星でナダが鎧に取り込まれるシーンを目撃していたとか、もっと見たかったよ~っ。
いや、実は捕まったふりをしてマイナソーの動きを追っていて、次週ハリケンブルーとして登場・・・して欲しいですけど無いですよね(ぐすん)
とにかく最近あれもこれもと尺が短い感じのするリュウソウジャーですが、期待してます。
それではまた
私とほとんど同じ感想ですね(笑)。ノれないんですよねぇ…。
長澤奈央さんには、ハリケンブルーを彷彿とさせる「何か」を期待してしまいましたが、それは良くないことなのかも知れませんね。アクションすらない一般市民というところが、逆に意外性たっぷりで強烈でした。
仰るとおり、特に最近は詰め込み感が増していますね。何が起こっているのかよく分かりませんが、もうちょっと落ち着いた筋運びがあってもいいですよね。
愚兄です。
もうガイボーグについては深く考えずに「こういうものだ」と思って視聴したほうが健康に良いような気がします(笑)。
ところで詰め込み過ぎになる一因としてリュウソウジャーの基本設定があるんですね。これまでの敵と違ってマイナソーは特定の物や個人から生み出されるため、どうしても出てきてすぐやられて終わりとはいかず生み主についても言及しなくてはいけないので①マイナソー&生み主、②ストーリー上語らなくてはいけないこと(マスターやナダについて)、③スポンサー様のご意向による新ガジェットの登場と活躍 が同時進行するため詰め込み過ぎになると。①と③がうまく融合しつつ②をある程度無視すれば第28話のように面白くなるのですがやっぱり難しいですよ、これ(次回も①~③揃い踏みだし)。
最後に、竜門さんも書かれていますがコウは変身解除したところを後ろから切られるという、死んでもおかしくないシチュエーションでありながら予告で元気そうな顔が出たのはちょっとがっかりでした。
ではまた。
私も、ガイソーグに関しては設定をあまり気にせず、キカイダー01のハカイダー軍団のようなノリで捉えておけば良い気がしてきました。まあ、現代においては少々大雑把すぎる感もありますが…。
生み主のドラマはとりあえず省略可能なんですが、意外と蔑ろにされてない上、リュウソウ族のバックボーンがやけにヒロイックでないことで色んな語り口を生み出してますし、確かに設定から来る要素が多過ぎますね。
複数の話に振り分けていく手法も何故かほとんど使われてないので、やはりボリューム感(ゴージャス感)にこだわりがあるのだと思います。