第48話「地球は我が家さ」

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 とうとう大団円を迎えた「ジュウオウジャー」。毎年この時期は寂しくもありますが、総決算たる最終話を堪能できるのも、またこの時期しかないわけでして。

 テーマを追いかけるドラマとしては、前回までに概ね終了を迎えていますから、あとは様々な「結着」が残るのみ。その「結着」がいかにテーマを体現したものかによって、満足度は随分変わってくるのですが、近年はその点あまり心配する必要がなかったのも事実。かくある「ジュウオウジャー」も、期待以上のものを提示してくれました!

 OPナレーションやサブタイトルコールも抑制の効いた特別版で、総決算的な雰囲気がバッチリ演出され、本編への期待感を煽っていました。

ジニスの正体

 まず強いインパクトを放ったのは、ジニスの正体でしょう。私は正体不明のままでも別に問題ないと思っていました。しかし、本編でその正体が明かされたとき、色々と納得できる事項があったので、これは正解だったと思います。

 ジニスの正体は、デスガリアンで最も下等な生物とされるメーバの集合体でした。戦闘員の集合体という設定の怪人は、歴史上色々と出て来ましたが、ボスが戦闘員だったというのは前代未聞(怪人出身では、大帝ラー・デウスとか地帝王ゼーバとか色々ありますが)?! あらゆる生物の頂点に立って、他の生物を自在に弄ぶジニスが、実は自らが最も卑下する下等生物で構成されている...。このアンビバレンツな設定の巧さが光ります。しかも、この正体を大和の「目」が見抜くというのが実に素晴らしい!

 常に頂点から見下ろす存在として君臨してきたジニスは、その地位を死守する必要を常に感じていたのかも知れません。故に、何が起ころうとも平静を装い、他人が対等の立場にあることすら絶対的に認めませんでした。正体が露呈して、とうとう怒りの感情を露わにしたときから、その立場が脆くも崩れ去る様子には、威張っているヤツを一瞬で蹴落とすような卑屈なカタルシスすら感じられましたが(笑)、それだけジニスの築き上げてきた悪辣なイメージが強固だったということでもありますね。

 ここで重要なのは、大和たちが重視している「命」に、ジニス自体は組み込まれなかったということです。上等とか下等といった価値観など持ち合わせないジュウオウジャーにとって、ジニスも「命」という概念の上では等価値。しかし、もはや歩み寄りなど選択肢になかったわけです。

 予定調和といったメタな解釈を排除し、その理由を考えてみた場合、色々と挙げられるとは思いますが、私が考える最大の理由は、メーバだったジニスが様々な惑星の「仕組み」を利用して自らを生物的に強化したからではないかというもの。この「利己的に生物を弄ぶ」という感覚が、「命の繋がり」からは完全に逸脱しており、排除せざるを得ないという結論に達したと。このあたり、恐らくは生物倫理の観点を盛り込んでいて、表立っては言ってませんが、ある種の批判を表明しているのだと思います。

 また、最後の砦としてナリアを置いたのも重要な点かと。

ナリア

 前回、巨大戦で爆発四散したナリアでしたが、実は生存していて、改めてジニスへの忠誠心を見せる役どころを演じています。

 ジニスの正体がメーバと知った上での表明は、ナリアの忠誠心の深さを物語るものでしたが、何を言っても「たとえメーバであろうとも」という形から逃れられないのは彼女の不幸でしょう。結果的にナリアは、図らずもジニスの上に立つような構造を呈すことになり、当然ながらジニスにとってそれは「侮辱」でしかないという結論を生みます。

 ここでジニスがナリアの忠誠心に応じていれば、あるいは大和たちの心も揺れた可能性があります。いや、この期に及んでそれはないかも知れませんが、可能性としては皆無ではないわけです。いわばナリアの言葉はジニスにとって最後のチャンスだったかも...ということです。

 思い返せば、デスガリアン勢で唯一「繋がり」を求めていたのはナリアのみ。彼女も悪辣な女幹部ですが、実は敵勢の中でジュウオウジャーに最も接近しうるキャラクターだったわけです。それをジニスは自分の立場を確保するためにアッサリ切り捨てた。そのことが、ジュウオウジャーをしてジニス排除に向かわせた理由の一端のようでもありましたね。

 ちなみに、ナリアだけ出自が全く分からないキャラクターになりました。ミステリアスなままというのも良いものです。

 ジニスが自分をザワールドに選んだ理由が、「自分のことを大嫌いな卑屈な人間」でジニスに似ていたからだと理解した操。しかし、大和たちは完全に否定します。

 操とジニス、両者の決定的な違いは、他人の痛みが分かるか否か。操の場合は、自分が見てきた数々の辛い目が、彼の優しさの糧となり、一方のジニスは、それが傲慢さの糧となった。こうして繋がりを再確認した6人に、力が戻って来るという流れが非常にいいですね。

最終回のお約束!

 危機に次ぐ危機を迎えながらも、そこに絶望感がないのは、地球の意志が大和たちに味方しているという雰囲気が横溢しているからですね。一方のジニスが、正体露呈の瞬間から地球のパワーを享受できなくなっていくのとは対照的で、短い尺の中でロジカルにパワーバランスが変わっていく様を見るのは快感でした。

 お約束の一つとして、「奇跡」が描写されることもままありますが、今回は地球のパワーで様々な奇跡が起きるにしても、前回までにその理由が散りばめられてきたので、唐突感はほぼ感じられません。むしろ燃えるシチュエーションに仕上げられていたのはさすがだと思います。

 そして、最大のお約束と言えば、レギュラーキャストによる素面名乗り! 毎年色々な手法で描かれますが、今回は名乗りバンクに完全準拠した上で変身途中を描写、さらに変身後に変身前のイメージカットを添えるという、徹底した画作りが素晴らし過ぎました。個々人の名乗りアクションも完成度がすこぶる高く、実に見事でしたね。かなり練習したんだろうな...。

大和、野生大開放!

 操のみが可能としていた野生大開放、何と最終回限定フォームとして大和にもたらされるという衝撃の展開!

 イーグル、ゴリラ、ホエールの特徴を巧みに配し、シンプルかつ強そうなデザインには本当に感心させられました。かといって戦闘描写がレッド偏重なのかというとそういうわけでもなく、各々に見事なやられっぷりも含めた見せ場が用意されており、最後の一撃を全員で決めるという流れも自然でした。

 大和が野生大開放を可能としたのは、やはり景幸との繋がりを取り戻したから...と解釈したいですね。命は親がいなければ受け継がれないものですから、そこを肯定したからこそ大和は複数の命を包括して力とすることができたのだと考えます。

そして衝撃の結末へ!

 ごくごく自然に、ジューランドへ帰る仲間たちとしばしのお別れ...となる幕引きだと思っていたのですが、見事に、本当に見事に裏切られました。

 再結集した王者の資格が選択したのは、人間界とジューランドの単なる再リンクではなく、なんと両界の融合でした。これは本当にビックリしましたね。何の準備もない両界の住人たちが、突然出会いを強制されたわけです。

 利他主義者、博愛主義者の大和だからこそ受け入れられたジューマンたちを、市井の人々たちは果たして受け入れられるのか、逆に、バドが苦悩し続けたジューランドの排他性はどう解消されるのか。問題は山積みですが、希望が見えるラストになっているのがいいですね。真理夫のアトリエに多くのジューマンが集うも、何の苦も無く仲良くなっていたり、景幸が病院に現れたジューマンに驚く人々を冷静になだめていたり。後見人たる両ベテラン俳優さんの芝居の素晴らしさが、画面に説得力を与えていました。そして、大和が幼いジューマンの手当をしていたり...。バドもようやく笑顔を見せられるようになっていましたね。村上さん、そのさわやかさが炸裂です。

 元々一つだった世界が離れ離れになり、また一つに還る構造は、大和と景幸の関係と対比されます。マクロからミクロまでが一貫したテーマに貫かれているのは、見事というほかありませんね。セラ、レオ、タスク、アムがそれぞれの家族の元に帰る描写にホッとさせられると共に、全体を包む主題の大きさに唸らされることになりました。

 正に、「地球は我が家さ」。OPで主題歌を割愛した一方、EDは新撮ダンス(真理夫とバドのノリノリダンスも!!)まで盛り込んで1.5コーラス流したのが象徴的。サブタイトルにOPの一節、例えば「最強の王者」ではなく、EDの一節を引用するあたりに、類い稀なるセンスと強い意気込みが感じられました。

謝辞

 というわけで、まだ色々と書き足りない部分はあると思いますが、整理がついたのはここまでなので、この辺で終わりとします。

 一年間、駄文にお付き合い頂きありがとうございました。今シーズンも高いクォリティで大変楽しませて頂きました。改めて制作に携わった皆様に感謝申し上げます。

 例年どおり、「帰ってきた」シリーズでのリリースも決定しました!

 さて、次作はメンバーがいきなり九人でスタートするとのことで、記事を書くには初めからなかなか厳しい状態ですが(笑)、何とか頑張りますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

 → 宇宙戦隊キュウレンジャーを見たか?