第24話「よみがえる記憶」

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 前回の登場編とは異なり、純粋にバングレイのみを相手に回っていく構成となった一編。ただし、バングレイはデスガリアンの流儀に則って、事件あるいはドラマのきっかけを与える役回りです。一応、次回はバングレイの振る舞いによって、ようやくデスガリアン内部に一騒動起きるようではありますが...。

 メインは大和で、こちらにはようやく家族の話題が登場することになります。これまで、ジューマン達には家族の描写が少しずつではありますが登場したのに対し、大和は真理夫以外一切具体的な言及がなされないままでした。今回は、ついにその一端を垣間見る事になります。正直、現在のところ今シーズンで最も暗い話だと言えそうですが、そこには大和が抱く希望も見え隠れするので、純粋に「いい話」としても見られるかと思います。

バングレイの能力

 前回予想したとおり、相手の記憶を読み取って実体化するという能力でした。お盆に合わせてか、「死者を蘇らせる」という現象に一旦結びつけられる辺り、なかなか細かいテクニックが光ります。

 実際、街で描かれた光景の殆どが、死者との再会に喜んだり怯えたりといったものでしたから、逆に言えば良くも悪くも死と向き合う体験というのは強烈だということですね。今回は大和もそれに翻弄されることになります。

 一方、実体化を伴わず記憶のみを読み取ることも可能なのは、前回でも示されたとおり。今回は、クバルに対してその能力を行使していましたが、それは次回の仕掛けとして機能するようです。

 そして、能力だけでなくバングレイの性格も描写されました。デスガリアンの求める愉悦とはやや異なり、個々人の記憶に由来する苦悩を見て愉しむのが趣味らしい。実に鬼畜な、デスガリアンへの加入も頷ける言動が素晴らしいですね。それでいて、戦力自体も幹部らしい強さを誇り、怒りを漲らせて戦う大和に少し後退する場面こそありましたが、終始余裕を見せているところに幹部らしい恐ろしさを感じる事ができます。アザルドとクバルと比較しても、その強さが伺えるというものです。

再生怪人

 夏休みシーズンの定番というわけではないのですが、バングレイが都合良く「再生怪人」を作り出してくれるので、一度倒されたプレイヤー達との再戦を拝むことができます。

 「仮面ライダー」での常套句として存在した再生怪人たちは、長き戦いを経て強さを増したライダーによって、戦闘員相手並みの手数で倒されてしまうのがお約束でしたが、今回(と前回)はそこまで弱くはなく、一応ゲスト怪人並みの強さが与えられていました。バングレイと大和のバトルがメインに据えられてはいましたが、再生怪人との一戦も抜かりなく描かれており、さらに巨大戦では見せ場を引き受けるなど、破格の扱いでした。ただ、やっぱり印象は少々薄めでしたねぇ...。

大和の亡き母・和歌子

 バングレイが大和の記憶から実体化させたのが、今回のメインゲストとなる風切和歌子。真理夫の姉ということで、冒頭は大和と真理夫による墓参りのシーンからとなりました。和歌子は大和の幼少期に病没しており、その回想シーンの切なさは迫真モノとなっていました。場面の断片をつなぎ合わせると、どうやら獣医だったようでもあり、大和の人格形成においてかなりのウエイトを占めるものと思われます。しかも、大和のポリシーの一つである「この星の生き物はすべて繋がっている」という言葉は、この和歌子の言葉でした。

 バングレイによって実体化した和歌子と、大和のやり取りに関しては、色々な解釈が成立すると思います。

 劇中の「正解」は、和歌子が精巧な模造によって作り出された幻であっても、大和が覚え思い続ける限り、死せる者ともずっと繋がっているという実感を証明するものであった、ということでした。これは非常に理知的で理性的なお手本解釈だと思います。現在はスピリチュアルなものを安易に放送できないことは想像に難くないので、このように科学的な裏付けとメンタリズムの間を揺れることで、万人が実感しうる「答え」を提示したわけです。

 ただ、劇中の描写の「行間」はそんな解釈をある程度否定してしまっています。

 和歌子は、バングレイが大和の記憶から作り出したにしては、あまりにも「意志」を持ちすぎているように見えます。登場当初こそは、大和の幼少期の記憶から抜け出したような言動をとっていましたが、徐々に、大人になった大和と久々に再会したという状況が強調されるようになっていきます。それらの言動が、大和の願望を映したものだと捉えることも勿論可能で、「今会いたい母親」という像が投影されたものとしても違和感はないです。ただ、バングレイの凶刃にかかって消滅する場面では、大和との再会を心から喜んでいたように演出され、あたかも「二度目の別れ」が目前で繰り広げられているように錯覚させる場面設計になっていました。これはもはや、大和の願望云々ではなく、完全に「本人が大和に会いに来た」ようにしか見えませんでした。

 個人的な話になりますが、過日実父を亡くして以来、何度か夢に登場するという体験をしています。ただ、基本的にそれらは「過去の場面を別解釈あるいは再構成して再現する夢」に過ぎず、現在の自分に何らか有難い文句を投げかけてくれる(笑)といった夢には、残念ながら一度も出くわしていません。それが近しい死者に対する実感としてあるので、今回のような和歌子の言動は、正に本人がバングレイの能力を借りて会いに来たようにしか見えなかったわけです。

 劇中では、大和が前述のように理性的な解釈をしていましたが、恐らく内心では「本人が会いに来てくれた」と思っていたのではないでしょうか。わざわざエピローグで再度墓参りをさせているのは、その現れだと思います。

 この辺りを踏まえると、物凄く良くできた「幽霊モノ」として完成しているんですよね。それ故の感動というのは確実にあります。幽霊を否定しておいて、こっそり(?)幽霊モノを成立させるあたり、なかなかテクニカルだと思いますし、「ジュウオウジャー」の理性には素直に喝采を送らなければなりません。

大和

 今回の描写を経て、大和を形成した体験が意外と暗く重いもので占められているのではないかと思うようになりました。

 以前回想されたように、父親とはかなりの頻度で喧嘩をしていたようですし、母親とは早くに死別したことが明らかになりました。大和自身が両親のことを語りたがらないのは、このような生い立ちが影響していると見て、まず間違いないでしょう。かなり利他的なポリシーについては、この生い立ちによるものなのか、それとも真理夫の優しさが影響したものかは、まだ断定できかねますが、アムが大和の中にある暗い部分の原因を「母親だけじゃないのでは」と見抜いている(?)あたり、父親に関しても何か特別な経験をしている可能性があります。

 重ねて、真理夫も大和の家族についてはあまり語りたがらない様子が見て取れます。真理夫は大和にとって母方の叔父にあたるので、大和の父親とは少し距離を置いていたとしても不思議はありません。もしかすると、真理夫と大和の父親の間でも何かあったのかも知れませんね。ジューマンに関する謎よりも、大和のプライベートについての謎を引っ張るあたり、なかなか興味深くはあります。

 なお、今回のサブタイトルは「よみがえる記憶」ですが、母親の記憶がよみがえったのではなく(←思い出が鮮明であるが故につながりを実感したので)、記憶の中の母親がよみがえった(文字通り「黄泉返った」)と読み取って差し支えないことは、もう改めて説明する必要もないかと思います。

次回

 また操と他の面々の関わりに戻ってきますが、今度はレオです。明暗くっきりな二人のやり取りは、今回のムードを一気に吹き飛ばしそうで楽しみですね。