第23話「巨獣ハンター」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 新キャラ・バングレイ登場。

 幹部級キャラクターの中途投入は珍しくないことですが、幹部と思わせておいてゲスト怪人扱いだったりと、油断がならないのはご承知の通り。ただ、バングレイは一応公式サイトで幹部扱いになっていたので、どうやらレギュラー化は間違いなさそうです。

 一方で、大和が次回に繋がるであろうテーマを体現する動きを見せました。操を巡っての騒動は、今回はコミカルなスパイス程度に留められているので、一段落といったところでしょうか。さらに、アムが大和の精神性を浮き彫りにする重要な役割を担っているあたりもポイントです。

クルーザ

 幹部キャラ登場回にしては珍しく通常の怪人も登場。無差別砲撃でビル倒壊や爆破という、完全にテロリストの様相を呈しており、どう見ても犠牲者が多数出ている感じが恐ろしい。このクルーザに限らず、デスガリアンの恐ろしさは、「突然」であることに尽きると思います。人間大の怪人が一つの市街を破壊し始めるという突然さ、防ぎようのない被害をもたらしているという感覚が、彼等の恐ろしさですね。

 ただ、その被害については「ジュウオウジャー」開始当初よりは抑制されたような気もします。逃げ惑う人々の描写は人数自体も多く、切迫感がありますが、「砲撃」に直接巻き込まれる人々や、爆発するビルの中に居る人々については敢えて描写せず、あくまで「カメラが届く範囲」を決めているようにも見えるわけです。その分、被害者としての子役ゲストが際立つようになっており、つまりはドラマの上で重きを置くポイントが徐々に変わってきているということですね。

 このクルーザですが、鮮やかなブルーとピンクの色使いが白地に映えるという美しい配色で、照準の円を主体としたデザインがエレガント。右肩に似つかわしくない三連砲が鎮座するというインパクトもあって、非常に格好良いデザインだと思います。バングレイよりも(笑)。それでいて、言動が完全に愉快犯なのが憎たらしくて良いですよね。

 そして、バングレイがデスガリアンと何の関係もない人物であることを強調するために、クルーザの砲撃が偶然バングレイの「食事」を邪魔するというシーンが設けられています。これにより、バングレイが第三勢力としてジュウオウジャーとクルーザ双方に襲いかかるというシチュエーションが、無理なく展開されました。ギャグとシリアスのバランスに注力されているあたりが見事ですね。このように、クルーザ自体はバングレイの登場を印象付けるため「だけ」に散っていった感もありますけど、一方で被害者の少年とその母親を描くきっかけを作り、大和の心理にスポットを当てさせるという役割を果たしていることも忘れてはなりません。

バングレイ

 「巨獣ハンター」の異名をとる第三勢力。巨大戦を見て興奮するくらいしか、「巨獣ハンター」たる部分を見ることはできませんでしたが、今後何かあるのかも知れませんね。

 第三勢力と言えば、「仮面ライダー」におけるガニコウモルや、「キカイダー」のハカイダー辺りをオリジンとし、戦隊では「デンジマン」のバンリキ魔王、「サンバルカン」のイナズマギンガー、「ダイナマン」のダークナイト、「バイオマン」のシルバといった具合に、黎明期において既に完成形を見ることができます。恐らくは、戦隊における第三勢力の究極形は「ターボレンジャー」の流れ暴魔コンビかと思いますが、インパクトや知名度という点においてシルバが他を圧倒しているという傾向が見て取れます。

 さて、今回のバングレイですが、ジニスの興味を引き、さらにジニスの提案(刺激的なゲームへの参加)をすぐに快諾するあたり、近年の「物事をあまり引っ張らない」姿勢の体現に思えます。先に挙げた戦隊の先達キャラクター達は、最後まで悪の組織を引っ掻き回す役割を担っていましたが、何となくバングレイはすぐに馴染んでしまうような気がするんですよね(笑)。そしてこれも何となくですが、デスガリアン内部には殆どドラマを作らない代わりに、ジュウオウジャー側のドラマを充実させようという意図が感じられるので、敵の内部抗争などは重視されないのではないでしょうか。

 一方で、その能力はアザルドやクバルといった面々とは異なり、より特殊な方向性でまとめられています。格闘技、光線技といった戦闘力に優れる描写は勿論ですが、相手の記憶を読み取って実体化させると思しき能力に新鮮味があり、今回はまず、レオの記憶からノボリゾンを実体化させたように見えました。「食事」の邪魔をした犯人をクルーザだと特定した際も、クルーザの記憶を読み取っていましたし、いかつく鋭角的なデザインの割に、繊細な能力を持っているというギャップが少々可笑しくもありますね。

 声は神奈延年さんで、豪快+繊細イメージのキャラクターに見事合致する演技が素晴らしいですね。

大和とアム

 大和は博愛主義者的に描写されていますが、実はそれが暗い過去由来ではないかと思わせる...というのが今回のもう一つのプロットです。

 一度繋がった関係性を大事にして、自分を捨ててでもその関係性に貢献するという姿勢こそが、大和を博愛主義者に見せている。それが今回提示された一つの「答え」です。利他的に過ぎるという言い方もできるかと思います。

 そこに一石を投じたのがアムです。

 大和とアムが保護した被害者の少年は、そのケガが元で、多忙な母親と花火大会に行けなくなるのを懸念していました。利他主義の大和は大きな共感を覚え得る言動だったようで、理解を示すことしかできません。

 ところが、アムはケガを正直に母親に話せと言うのです。無理をしていることは結局母親には筒抜けであり、母親に余計な負担をかけるに違いない...と。過ぎた利他主義は利己主義に近付くという論理なのですが、アム自体はそんな難しい考えをしているわけではなく、もっとドライかつライトに物事を捉えている節があります。それは、今回ようやく判明したアムの家族構成から来る体験を基にしているからですね。アムは母一人子一人の環境で育ったらしく、それだけに濃密な親子関係を築いていたようです。アムは自然に甘える術を身につけ、それが親子関係を円滑にする肝だと心得ているわけです。

 大和はそんなアムに驚き、自分のポリシーに揺らぎを感じることとなります。そこに「大和くんの気持ち分かるよ」というアムの一言が炸裂。見透かされたかのように、一瞬かなり動揺した表情を浮かべる大和。アムはそれを知ってか知らずか、敢えてその根拠をズラして見せます。このやり取り、実に解釈が難しくて繊細なシーンになっていました。両者のアップショットも多く、かなり男女関係を意識したようなシーン作りが鮮烈でしたね。

 結局、アムの言ったとおり、ケガの正直な告白は的確でした。アムは精神面でも一組の親子を救ったのです。大和の方はというと、エピローグの花火大会でその映像を撮り、親子に送るというシーンが設けられました。これを大和らしいと好意的に捉えるか、それともポリシーを守る痛々しさに感じるか...。なかなか危ういバランスで成立していたように思います。

今週のみっちゃん

 冒頭、夜の花火大会に備えて浴衣で出現。この時点でかなりズレた人だというのが分かります。その浴衣は、戦闘中にダメになってしまい、肝心の花火大会はジャージ姿で参戦するという可哀想な状態に。その落ち込みようも半端ないものでした(笑)。

 今回は、操の操り方を心得たセラによっておだてられ(アムに比べ、若干ぎこちない感じなのが芸コマ過ぎます)、巨大戦を一手に任されることに。クルーザの意外な反撃に手を焼き、結局は全合体の販促モードになりましたが、「トミーとマツ」の逆パターン(例えが古くてすみません)としてこれからも多用され、ギャグとして機能することを期待してしまいますね。なお、ここでおだてていたセラは、花火大会での操の態度については「バカじゃないの」と一蹴...。アムより怖いセラ様なのでした。

 ジュウオウザワールドとしての単独アクションは見せ場も多く、まだまだ新鮮なキャラクターとしてのアピールは継続中です。今回は全体的にアクションのテンポも早く、やられっぷりと爽快感とが交互に繰り出される高揚感が素晴らしい仕上がりになっていました。

次回

 次回は大和の過去に迫る内容。お盆を意識した?

 バングレイがどう動くのか、他のデスガリアンの面々と丁々発止のやり取りを繰り広げるか、色々と楽しみは尽きません。