第46駅「最後の行き先」

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 この日曜日〜火曜日まで忙しくて更新出来ませんでしたm(_ _)m

 今回を含め、遂に残すところ後二回。諸事情により、先週は特別編成による放送休止となった為、年間スケジュールが一週ずれる事になりました。

 最終話に向けて、一気呵成に突き進む...といった趣よりも、むしろ追い詰められていくライトの絶望感が強調されるという、シリーズでも稀に見るhopelessな展開。勿論、ミオを中心とした「子役組」が、トッキュウジャーとしての記憶を取り戻していく...という希望的視点もあって、終盤は盛り上がります。しかしながら、ゼットの強大な闇に飲み込まれるという終わり方をする為、やはり重い。

 最終話は、どうしても予定調和を迎えざるを得ない構造上、最も面白いのは最終話の一話前になるわけですが、ここまで絶望感を強調されると、単純に「面白い」という感想を添え難い(笑)。

 今回も前回と同様に変身後としては闇のトッキュウ1号と、トッキュウ6号のみが登場。トカッチ、ミオ、ヒカリ、カグラは尺的に子役シーンがメイン。ライトと明が見せる、奇妙で強固な友情が前面にフィーチュアされます。

 ライトとしては、明さえも巻き込まないつもりで戦いに臨んでおり、闇を纏ったその強さは、モルクやネロといった幹部連中をものともしない程。ただし、さすがにゼットには太刀打ち出来ないというバランスで描かれていて、毒を以て毒を制すというロジックでは解決させない辺り、テーマをネガティヴに持って行かない(「キラキラなど役に立たない」といった論に堕さない)よう、注意が払われています。

 ダメ押し的に、「勝利のイマジネーション」が見えないというライトのモノローグが、その意志を補強しています。

 私見ですけど、この「勝利のイマジネーション」って、名乗りに採用されている所為もあってか、殆ど形骸化していたような気がするんですよね。このキャッチコピーの「の」の部分を中心にしてひっくり返してみると、「イマジネーションの勝利」となりますが、これも形骸化していたような。

 ハイパートッキュウジャーもイマジネーション由来ではありましたが、徐々に誰でも使えるガジェットと化し、ロボの合体バリエーションも「合体を編み出す」という面よりもギミックが強調され、シリーズ進行につれて段々とイマジネーションの重要性がスポイルされて来るんですよ。

 これには、シリーズの進行と共に描写に慣れてくるという面も勿論ありますが、テーマの鮮度が徐々に落ちていくという部分が強く、長い戦隊シリーズの最新作である「トッキュウジャー」であっても逃れられないジレンマだったのではないでしょうか。

 そしてここからはあくまで想像ですが、このジレンマを逆手にとったのではないかと。

 イマジネーションの重要性が形骸化し、ライトが当初一人だけクライナーに乗っていたのが、類い稀なるイマジネーションの奔流ではなくゼットの影響であったと語られるに至り、特に終盤はイマジネーションというターム自体を否定に近い姿勢で批判しています。その最たる「成果」が闇のトッキュウ1号で、あの姿はライトのイマジネーションによる結果ではなく、あくまでゼットの影響で誕生したものなんですね。

 イマジネーションに関する描写が希薄になってくるにつれて、トッキュウジャー達は大人に近くなり、ライトはイマジネーションの力そのものを逓減させ続けて来た...そんな風に見えるんです。

 これがシリーズの弊害を見据えた構成の賜物だとすると、それはそれは実に物凄い事だと思います。

 年間を通したテーマ性が完遂出来た作品群って、恐らくギリギリ「仮面ライダークウガ」辺りまでではないかと。ウルトラでは同時期に「コスモス」があって、こちらもバラエティ編を挟みつつ、また色々と批判がありつつもテーマは一貫していました。その辺りを堺に、コンテンツのライフサイクルが極端に短くなった印象があります。

 「トッキュウジャー」も例外なく極端に短いライフサイクルの洗礼を受けていて、開始当初は新鮮だった鉄道パロディも、中盤からは殆ど省略されるようになり(構内アナウンスを模していた山口勝平さんのアナウンスも、途中からチケットくんそのものになったり)、シリーズを引っ張るのが鉄道関連の描写ではなく、群像劇に移っていったのは象徴的です(ドラマとして成立させる以上は当たり前ですが)。当初のインパクトがあればあるほどライフサイクルは短くなるので、恐らく当初よりそのような想定がなされていたのではないかと思うのです。

 そして、そこまで追い詰めておいて、今回ですよ。

 今回の鍵は、正にイマジネーションでした。

 それはライトではなく、トカッチ、ミオ、ヒカリ、カグラの四人に関してです。明にそれとなくきっかけを託しておくライトには、無思慮な想像力で動いていた当初の彼から、遠く離れてしまった姿を感じずにはいられません(深層心理では助けを求めている辺りも切ない)。しかしそんなダメ押し企画を挟みつつも、ミオがチョコレートの数から違和感を募らせ、遂に秘密基地でライトの存在を思い出すシーンには、落涙を禁じ得ません。

 思い出すだけならば、「仮面ライダー電王」のテーマと差はないのですが、トカッチ達が手書きパスを作り始め、そのパスがライトの元へ軌道を繋げてくれるというイマジネーションにより、烈車が目の前に到着するシーンに至り、遂に当初のテーマを反芻、いや昇華する時が到来した事を思い知らされるわけです。一旦沈静化させていたテーマ性を、土壇場で印象的にフィーチュアし、テーマの陳腐化を防いだとも言えます。

 最終話に絶対的なラストバトルを持ち込まなければならない故に、この「イマジネーションの勝利」がそのまま勝利への希望へと直結しないのは仕方がないものの、やはり大人のキャストが戻ってくるシーンには否応なく燃えてしまいますね。

 そんな盛り上がりの影に隠れてしまいましたが、車掌やチケット君、ワゴンといった面々が、積極的にライトに加勢する姿も熱い! ゼットの強大すぎる闇の前では無力に等しいものでしたが、最終決戦への盛り上がりを確実に担っていました。

 最後にシャドーライン側について。

 まず、ゼットはグリッタを手にかけた事について言及。剣がキラッと光る意味深長な描写があって、まだまだ顛末が気になる処ですね。また、等身大のゼットではラスボスとして不足という事なのか、やはりキャッスルターミナル自体をロボ化するという処理になりましたね。モルクが操縦するという辺り、なかなか気が利いています。悪の根城が最終巨大戦を飾るというパターンは、「サンバルカン」の最終話が嚆矢となるでしょうか。ボス自体が巨大化するパターンも数多くありましたが、それより説得力がありますよね。

 ネロはクライナーを合体させた超クライナーロボで明のビルドダイオーを追撃。ヒーロー側は圧倒的に物量不足ですが、何となく総力戦っぽい雰囲気が出ていて良いです。

 次回はいよいよ終着駅。ここまで来てもどんな結末が待っているのか読めません!!