第3駅「思いこんだら命がけ」

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 イマジネーションの力が、彼女自身を一時的に変えてしまうという描写が印象的な、カグラのエピソード。

 カグラの迷いと、ライトの真っ直ぐであるが故にやや足りない思慮、そんなライトの言葉で気付きを生じるカグラ、自分たちの記憶からなくなっている「出身の町」の手がかり...。様々な要素をしっとりとした雰囲気で綴る、どことなく文学的な一編でした。

 対するチェーンシャドーは、「平和谷駅」を「死の谷駅」に変え、棺桶を引きずって歩くというホラーテイストな怖さが秀逸で、文学的な雰囲気にゴシックホラーの風格をプラスしていました。

 今回のカグラのポジションは、いわゆるヒロインの迷いをベースとしています。

 戦隊におけるそのオリジンは、「デンジマン」の第二話で繰り広げられる、デンジピンク=桃井あきらの戦線離脱となります。

 80年代初期のヒーローらしい部分として、初回では予定調和的に結成と緒戦が繰り広げられたにも関わらず、次の回ではその戦いに疑問を持ってしまうという唐突な感じ(しかも、あきらはかなり冷徹にデンジマンになる事を固辞)はご愛敬。しかし、「デンジマン」の初回は、割と「運命」や「成り行き」によるなし崩しで、若者が戦いに赴かざるを得ない唐突感が重視されているように見える作風なので、第二話で突如我に返ってみたら...という雰囲気は意外に巧い構成である事にも気付きます。

 この辺をさらに巧く処理したのが、「バイオマン」のイエローフォー=小泉ミカでしたが、残念ながらキャラクターが消化不良のまま中途退場してしまいました。二代目の矢吹ジュンは、ミカとは逆に積極的に(半ば好奇心のみで)バイオマンになりたがる少女として登場し、鮮烈なデビューを飾ったのが印象に残ります。

 その後、そういった迷いが描かれる事はかなり少なくなり、むしろ男性の方に機会が与えられたりするわけですが、今回は久々にヒロインがその役割を負う事となりました。

 ところが、一筋縄ではいかない辺りが近年の戦隊流といった処でしょうか。カグラの場合、トッキュウジャーである事に迷いを生じる導入部に関しては定石通りと言えますが、その迷いの為にフラリとレッシャーを降りてしまうくだりは偶発的なものが強調されており、カグラの意志というよりは、その駅に引き寄せられたという感じの「不思議さ」が漂っています。その後カグラが、一応レッシャーに追い付く為の手段を考えている辺り、完全にトッキュウジャーである事を「降りた」わけではない事を示し、その意志のフワフワ感を強調。さらに、降りた駅がたまたまシャドーラインによって闇駅に変えられてしまった事で、事件に巻き込まれていき、さらにトッキュウ5号として戦うに至るのですが、ここではまだ「置いて行かれた」状態。つまりは、迷いを払拭出来ていない事を、説明的なセリフ云々ではなくシチュエーションで語っているわけでして、この辺りのストーリーテリングは見事ですよね。

 その後、チェーンシャドーの棺桶に閉じ込められた子供達を励ますシーンがあり、そこでは正当派ヒロインらしさを発揮しているものの、積極的に事態を打開しようという気概が「わざと」スポイルされていて、後の逆転劇のカタルシスをより強調する構成とされています。

 カグラが事態を打開するのは、ライトが棺桶の中に飛び込んできた後。「レッドが捕まったヒロインを助けに来る」という超定番シチュエーションの中、カグラがとった行動はライトの助けを借りずに自らのイマジネーションの力だけで棺桶から脱出するというものでした。要は、明確なパターン破りを行ったわけで、そのパターン破りのパワフルさは、ライトを怯ませる程の迫力として描かれました。

 この一連のシーンでは、ライトが助けに来た事自体はきっかけとしてちゃんと作用しているので、所謂定番には沿っている事になります。その上で、フィジカルな面ではヒロインが独立した戦力として充分に通用する事を示しており、近年の戦隊ヒロインの在り方を象徴しているようにも見えます。カグラは、最近では命脈がほぼ途絶えた「弱いヒロイン」を体現するかのようなデビューを果たしましたが、実はポテンシャルの高さが5人の中でも突出しているという「現代的」な側面も持ち合わせています。

 同時に、ライトがメンタル面での着火剤になっているという、こちらも現代的なレッド(メンタル面を象徴するリーダー)のパターンを踏襲している事が窺えます。さらに、カグラがイマジネーションを爆発させてチェーンシャドーに挑むくだりでは、ライトのみがその危険性を思い出しており(物語開始早々に危険性を把握していた模様)、他のメンバーとはやや異なる記憶状態であると匂わされます。この辺りは今後の展開で徐々にベールが取り除かれていく事になりそうですね。

 そのカグラの危険性ですが、チェーンシャドーに啖呵を切るシーンはまるで二重人格のように描写され、リミッターが解除されたかのような戦い振りを見せており、我を忘れる程の「妄想力」とも形容されるようなものとして描出。それはそのまま幼少期の「危険」な思い出へと巧く繋げてあって、アクションの内容とストーリーとが極めて有機的に結びついています。その海で溺れそうになったという危険な思い出が、求める町に海があった可能性を示すという、ある要素を徹底的に突き詰めていく理性と言いますか、鬼気迫ると言っても過言ではない筋運びには感服するばかりです。

 さて、一方で、レッシャーの運行がチケット君の性格に示される程冷徹ではない事が明らかになりました。それは、カグラが降りてしまった駅に引き返すという措置です。トッキュウジャーが欠けるのはマズいという名目自体はあるものの、もっと「銀河鉄道999」的な冷徹な運行ルールに則っていると思っていたので、これは意外でした。わざわざ線路のポイント変更が描写される等、ビジュアル面での徹底振りも素晴らしい。

 そして今回は、寂れたローカル駅という雰囲気を補強する為か、レッシャーが山間の高架を走り抜けるといったシーンも挿入されていました。このシーンではミニチュアが使用されていましたが、オープンと思しきセットで撮影されており、そのリアリティは素晴らしいものでした。高架の作り込みや山肌の飾り込みが実に的確で、実景と見紛う出来だったと思います。巨大戦も山間部で展開されましたが、いかにもセットといった雰囲気は払拭されており、各シーンの統一感が抜群だったと思います。

 また巨大戦では、変形機構を利用した脱出も描写されました。先の分離による回避行動も鮮烈でしたが、このようにギミックを利用した描写は関連トイを用いた遊びの提案にもなっていて、良いと感じます。巨大戦は特にマンネリに陥りやすく、消化試合的な揶揄すら飛んでくる要素なので、変化に富んだシーン作りは歓迎したい処ですね。ただし、今回の描写は少々強烈なビジュアルであったが故に、ややネタ扱いされる因子が強く、実際にWeb上ではかなりネタになっているようです(笑)。まぁ、基本的に子供が見るものですから、純粋な目で評価したい処です(笑)。

 全体を見渡すと、ちょっと暗めのトーンが支配しているように思います。やはり初回のぶっ飛んだ雰囲気よりは、闇駅にまつわるビジュアルと、今回のチェーンシャドーの醸し出すホラーテイストの方が強烈である事、主人公の足下(出自)が不安定でどことなく「不安」に支配されている事、ライトの強烈なポジティヴ・シンキングが、まだそれを払拭するだけのパワーを備えていない事、この辺りが暗さの原因でしょう。

 やはり、この独特の雰囲気が「トッキュウジャー」にとって吉と出るか凶と出るか、ですね。今回は、暗いながらもカグラの妄想コスプレのパワーと演出が極めてアバンギャルドだった事で、その決着がもたらすカタルシスも一際大きく、良い結果を見せてくれたのではないかと思います。

 ただ、このパターンが続くと少々辛い事も確か(笑)。次回のトカッチ編で、ちょっと突き抜けてくれると面白いのですが。