遂に、最終回の1話前となりました。
薄皮太夫の最期、薫による封印の文字の使用、十九代目当主誕生...。とにかく怒濤の展開ですが、悲壮感はあまりなく、ユーモラスな要素も交えつつ、爽やかにまとめられているのが凄いところ。
とにかく、早いとこ本編の方に移ります。詳しくは、全て本編紹介の中で!
今回のアバンタイトルは、前回のあらすじのみで、ごく短くまとめられており、かえって期待を煽るものになっています。「前回はこんな感じ。さて、今回は?」といったところで主題歌が「キラ~ン」と入るあたり、タイミングも絶妙です。
サブタイトルも荘厳に処理され、前回ラスト、血祭ドウコク復活の続きから物語が始まります。傍らには、茉子の太刀をまともに受けて傷ついた薄皮太夫が居ます。
「手前ぇが三味線を手放すとはな。最後の音色、聴いたぜ」
「...そうか」
「だが、昔みてぇな腹に染みる音じゃなかった。ちっとも響いて来ねぇ」
「あれが、本当の三味だよ、ドウコク。わちきは、初めて上手く弾けた。これほど気が晴れたのは、数百年振りだ」
薄皮太夫を抱き寄せる血祭ドウコク。
やはり、血祭ドウコクは薄皮太夫にある種の愛情を抱いていたのか...?と思ったのも束の間。
「もう俺が欲しかった手前ぇじゃねぇな」
「昔のようには弾けん。二度とな...」
「だったら、終わるか」
「あぁ、それもいいな」
何と、自分の執着していた薄皮太夫の物悲しい三味線を、二度と聴けないと知った血祭ドウコクは、何の躊躇もなく「終わるか」と告げるのです。外道衆とは正にこういう者。血祭ドウコクにとって薄皮太夫の存在意義は、新左への執着心がまとわりついた三味線の音色にあり、薄皮太夫本人にあるわけではないのでした。外道衆に愛情といったものはなく、そこにあるのは、何かへの執着のみです。
ある意味、この血祭ドウコクの描写はカッコいいと思えます。敵の大将が最高に悪くてカッコいいが故に、ヒーローのカッコ良さも引き立つ。これは昔から変わらない図式に他なりません。
一方の薄皮太夫。「初めて上手く弾けた」というセリフは、実に興味深い処です。
三味線を「初めて上手く弾けた」のに、その音色は血祭ドウコクにはちっとも響いて来ない。この関係性に着目すると、面白いことに気付きます。前回「人であることを捨てた」ことにより、真の外道となった薄皮太夫。しかし、同時に執着心も捨ててしまったことにより、外道衆としてのアイデンティティをも失ってしまいました。つまり、薄皮太夫は真の外道となって気が晴れたにも関わらず、気が晴れたことによって数百年振りに人間・薄雪であった頃を取り戻してしまったわけです。
だから、後で薄皮太夫が血祭ドウコクに取り込まれた時、「半分人間の身体」として機能したのだと考えられます。
しかしながら、単に物語の進むままに身を任せても納得出来る構成です。逆にこのような深読みをして楽しむことも出来るわけで、非常に懐が深いと言えるでしょう。
「お行き...」
と呟き、ススコダマを放する薄皮太夫。茉子は思わず、
「駄目...やめて!」
と肩をすくませます。
一度は薄皮太夫の心を知った茉子。たとえ容赦なく斬ると宣言したにしろ、未練と執着を断ち切るべく自ら斬られに行った薄皮太夫に、茉子は薄雪を見た筈です。そんな薄皮太夫が、無抵抗のまま血祭ドウコクの手にかかるのを、平然と見ていられるわけがありません。
「じゃあな、太夫」
蜂須賀さんと朴さんの見事な演技のコラボレーションにより、恍惚としているようにも見える薄皮太夫は、そのまま消えて血祭ドウコクと一体になり、薄雪の着物だけが残ります。
外道衆ながら、実に美しいイメージでまとめられているのが印象的。「薄雪の着物」という処が、薄皮太夫の最期の在り方を現しており、前述の深読みが強ち的外れではないことを伺わせます。
薄皮太夫を吸収することにより、血祭ドウコクが水切れによって負ったダメージが、跡形もなく消えてしまいます。水切れが完全に解消されていなかったのは何故だろうかと思っていましたが、薄皮太夫の吸収を印象付ける意味があったわけです。非常に分かりやすい演出だと言えるでしょう。
血祭ドウコクは、完全復活の雄叫びを上げます。その叫びに気付く丈瑠。
いよいよ丈瑠も、血祭ドウコクの待つ戦場へと誘われて行きます。
自分を騙していた志葉の当主は何処だと息巻く、血祭ドウコク。その声を受けて、薫が姿を現します。いよいよ決戦の時。そんな盛り上がりが尋常ではありません。実際、この決戦は作劇上、空振りに終わるのですが、第一のクライマックスといった感じの、凄まじい迫力が圧巻です。
薫は、いよいよ封印の文字を使うと宣言します。封印の文字を使うのには、かなりの時間がかかるらしく、完成までのフォローを流ノ介達に依頼します。姫という身分にあるといえども、さり気なく家臣達に敬意を払う薫が素敵です。その敬意は、流ノ介にインロウマルを、千明に恐竜ディスクを託すという行動に現れています。
流ノ介と千明は、薫の心意気を真摯に受け止め、すぐさまスーパーシンケンブルーとハイパーシンケングリーンに変身。茉子、ことは、源太と共に、薫が封印の文字を完成させるまでの、身を賭した時間稼ぎへと突入します。なお、千明がハイパーシンケングリーンになれたという事は、恐竜ディスクの使用に際して志葉烈堂の血族である必要がない事の証左となり、丈瑠が恐竜ディスクを使えた事に対する、一つのエクスキューズになっています。
5人は、とにかく血祭ドウコクの足止めを狙うのですが、血祭ドウコクの力が凄まじいものであることは、既に証明済です。
今回は、せせら笑いつつ、空中を自在に舞ってシンケンジャー達を痛めつけていきます。血祭ドウコクが、初回から登場していて、姿形が変わらずとも最強の敵である事が揺るがないというのは、近年のシリーズでは非常に珍しいのですが、折に触れてその強大な力を描き、常に強力な足枷を嵌められていたことにより、全くそのキャラクター性がスポイルされることなく保たれました。これは、緻密に計算された理知的なシリーズ構成の成せる業ですね。
薫は、懸命にモヂカラを込め、封印の文字を一画ずつゆっくりと書いていきます。一筆毎に炎のエフェクトが入るあたりが熱いです。
「絶対、成功させる!この日の為にこそ...父上!」
この大きな門構えが、複雑な封印の文字の完成形を想像させてくれて、ワクワクします。いわゆるタイムリミットのスリルに近い感覚も盛り込まれており、物語前半から非常に高いテンションで飛ばしまくっている感じです。
その間にも、血祭ドウコクは流ノ介達を痛めつけています。
太刀の一閃でシンケンジャー達を吹き飛ばす迫力は、巨大な爆破によってさらに高められています。今回のナパームの規模は凄まじいものがあります。
そして、血祭ドウコクが迫り来る中、薫は遂に封印の文字を完成させます。
門構えに、「悪」の変体、その下に「炎」の文字をあしらった、非常に表意的な文字。一見して威圧的な感じで、どことなく呪術的な感覚も漂っており、既存の文字にしなかった効果は非常に高いです。
「外道封印!」
の掛け声と同時に、血祭ドウコクの衝撃波も放たれますが、封印の文字はそれを跳ね返し、そのまま血祭ドウコクに炸裂、血祭ドウコクは吹き飛ばされます。岩に打ち付けられた血祭ドウコクは大爆発!
この爆発も凄い規模。いかにも「倒した!」という感じが秀逸です。
疲労困憊して膝をつく薫。駆けつけた丈瑠がそれを遠くから見守ります。
しかし、血祭ドウコクは封印されていなかったのです。
直前のキャプ画と見比べると、巧く対比構図になっていて、丈瑠が傍観する中、薫がみるみる不利な状況に追い込まれていく様子が、ありありと描出されています。また、血祭ドウコクの身体の一部が、薄皮太夫のものと思しきディテールに変化しています。
「太夫、手前ぇの身体、役に立ったぜ」
血祭ドウコクがまず、こう言ってきっかけを作ります。何のきっかけか。それは、血祭ドウコクがいかにして封印を逃れたかという説明です。続いて、茉子が、
「もしかして、はぐれ外道の薄皮太夫を、取り込んだから...」
との見解を示しますが、これは流れを壊さないよう、完全に的を射ています。洞察力に優れた茉子に言わせるところがミソです。ここで更に視聴者向けに補完したのは、骨のシタリで、
「良かった...太夫のおかげだねぇ。半分人間の体が封印の文字から守ったんだ!」
という説明を付け加えています。
動揺するシンケンジャーにゆっくりと歩み寄る血祭ドウコクは、一撃でシンケンジャーを一掃!
更に薫に狙いをつけ、凄まじい衝撃波を飛ばします。高台から落下する薫!
正に絶望的展開...の筈ですが、何故かそこまで危機感を感じない。それは、やはり丈瑠の存在が大きいのかも知れません。丈瑠はすぐさま薫の元に駆けつけ、煙の文字で煙幕を張り、一同を引かせます。
殿という存在を退いた丈瑠が、的確なフォローをしている、秀逸なシーンです。
「ちっ、トドメはお預けか」
煙幕に目眩ましを食った血祭ドウコクは、薄雪の着物を拾って六門船に帰っていくのでした。
それとなく薄皮太夫に対する思念が残存しているということに加え、いつでも志葉家を根絶やしに出来るという余裕を見せる血祭ドウコクの姿は、恐ろしくもあり、やや物悲しくもあります。
さて、志葉家の屋敷に戻ってきたシンケンジャー達...。
薫は重傷を負いましたが、命に別状はないとのこと。血祭ドウコクが封印の文字のダメージを負っており、それ故に、薫に致命傷を与えるだけの力を発揮出来なかったとも推察出来ます。
眠っている薫に付き添う歳三は、先代からの策が完全に失敗したと嘆きます。が、それは薫の失敗を嘆いているわけではなく、あくまで薫を慮った上での発言です。薫はここで目を覚まし、「影」と二人で話がしたいと言い始めます。
この時、薫はとんでもないことを密かに考えていたわけです。
さてその頃、流ノ介達は、血祭ドウコクに封印の文字が効かないことを受け、様々な対策案を考えていた...のではなく、殆ど呆気に取られている様子で感想を述べ合っています。今回が、未曾有の危機であるにも関わらず、どことなく楽観的で爽快な雰囲気なのは、こういった場面の効果なのかも知れません。
源太「参ったな。封印の文字まで効かねぇとは」
茉子「本当だったら、効く筈だったんだよ。でも、薄皮太夫が」
流ノ介「ドウコクの奴、命拾いを...もう一歩早ければ」
千明「どうすれば、どうやって、ドウコクを...」
各々の感想はこんな感じ。しかし、ことはだけは薫自身の事を心配しています。
「お姫様、辛いやろな。お父さんから受け継いで、一生懸命稽古してきはったのに」
薫と最も年近く、同じ女性であることは。そこには、侍一筋を覚悟した者のみが感じ得るシンパシィもあるでしょう。このことはの言葉を聞き、他の一同もハッとするのでした。こうした静かな「気付き」も、ごく自然に演出されています。
一方、薫の元に丈瑠が招かれます。ここでも丹波歳三、大活躍(笑)。
「影の分際で、姫に直々に話など。本来なら...」
と早速丈瑠を牽制しまくります。いわゆる「イヤなヤツ」として登場したキャラクターですが、ここまで来ると、既にコミカル以外の何物でも無くなってきている為、逆に「憎めないキャラ」になってしまっています。「シンケンジャー」にはステレオタイプな憎まれ役を置かないという事が、申し合わせ事項にあったのかも知れませんね。
当然、薫は、
「丹波!早く出てけ。二人だけで話がしたい」
と歳三を叱ります。
「いや、しかしそれは...」
と、なおも食い下がる歳三。今度は彦馬が動き、
「丹波様。姫のお言いつけでございますぞ。ささ...」
と歳三の退室を促します。これにはさすがの歳三も引き下がりますが、
「無礼があってはならんぞ!」
と最後まで一言付け加えるのが実に可笑しいところです。
更には、丈瑠が室内へと進むと、
「ああ!それ以上近づいてもならん!良いなぁぁっ!」
と釘を刺すのでした。
そして、ダメ押しの一発。
「丹波...」
と、薫が静かに言い放つと、麩が開き、麩の向こうで耳を澄ましていた丹波が倒れてくるという、コントのようなギャグで締められます。文章にすると長いですが、この一連のシーンのテンポは軽快なので厭味は全くありません。
ようやくまともに話が出来るようになった所で、静かに薫の方から話し始めます。
「許せ。丹波は、私の事しか頭に無いのだ」
「当然ですよ」
「ずっと、自分の影がどういう人間なのかと思っていた。私より時代錯誤ではないな。私は、丹波の所為でこの通りだ」
「...」
時代錯誤。シリーズ当初では、丈瑠も少しだけこの言葉を感じさせていました。彦馬や流ノ介あたりが、もっとコミカルに強調していましたが、現代にある侍の姿は、シリーズを経る過程で違和感を払拭し、独特の世界観を築いてきたのです。それ故に、薫の登場に際しても、時代錯誤な感はあまり感じられませんでした。逆に薫が自覚していた事が明かされるとハッとしてしまいます。
「でも、逢わなくても、一つだけ分かっていた。きっと、私と同じように一人ぼっちだろうと。いくら丹波や日下部が居てくれてもな。自分を偽れば、人は一人になるしか無い」
「はい。ただ...」
「ただ?」
「それでも、一緒に居てくれる者が居ます」
「あの侍達だろう。私もここへ来て分かった。自分だけで志葉家を守り、封印までなど、間違いだった。一人では駄目だ」
「俺も、やっとそう思えるように」
仲間の笑顔が丈瑠の脳裏に浮かびます。
孤独か否か。ある意味、血祭ドウコクは孤独です。彼の底抜けな苛立は、誰にも理解されることはありません。孤独な敵を打ち破るのは、仲間との絆を実感として持っている者のみといったテーマ性を感じます。
「丈瑠、考えがある」
薫はいよいよ、秘めた奇策を丈瑠に示すのです。
ここで薫は、初めて丈瑠を「影」ではなく「丈瑠」と呼びます。「影」と呼び続けたのは、この瞬間のインパクトを確保する為だったのだと、溜飲が下がりました。この瞬間、薫は丈瑠を自分の影武者という存在ではなく、自らと同格の真の侍だと認めたのでしょう。
その頃、六門船は激しく揺れていました。三途の川が溢れ始める予兆です。骨のシタリはその喜びを隠すことなくはしゃいでいます。骨のシタリの様子とは裏腹に、血祭ドウコクは、静かに薄雪の着物を三途の川に投げ入れるのでした。
「何て言うんだろうね。外道衆のアタシ達に念仏もないだろうし。ドウコク、お前さんも、因果だねぇ」
実に気の利いたセリフではありませんか。骨のシタリ役のチョーさんのお芝居も格別です。念仏とか因果とか、仏教に関わるタームが少しばかり織り交ぜられて、いい雰囲気が醸し出されています。
「...行くぜ」
静かに言い放つ血祭ドウコク。薄皮太夫への、少しばかりの思慕があったと見るか、それとも、因果という言葉に思うところがあったか。微妙な空気が、場を支配しています。この静けさが、逆に後の壮絶な戦いを想像させるのです。西さんの抑え気味の声が、迫力をアップさせてくれます。
さて、一同が厳しい表情で見守る中、薫は次なる戦いに際して、侍達に自らの考えと覚悟を知らしめるべく、姿を現しました。
「戦いを前に、伝えることがある。封印の文字が効かない以上、私は、当主の座から離れようと思う」
薫の言葉、一同を驚かせるに十分でした。一番驚いて大騒ぎし始めたのは、やはり歳三です。
「しかし、シンケンレッド抜きにしては、戦いが...」
と、薫に反論するのですが、薫は自信を持って言い放ちます。
「シンケンレッドは居る。丈瑠!」
薫に呼ばれ、現れた丈瑠。静かに仲間達の傍を歩き抜け、いきなり高座に座します。
丈瑠の行動に過敏に反応し、引きずり降ろそうとする歳三。そこに現れた一人の黒子が、志葉家当主の系譜を示します。
さて、この系譜をわざわざテキストに起こしてみましょう。
初代・志葉烈堂
二代目・烈心
三代目・伊織
四代目・朔哉
五代目・行康
六代目・越成
七代目・篤秀
八代目・勝之進
九代目・明継
十代目・有継
十一代目・有重
十二代目・守信
十三代目・誠輔
十四代目・晶
十五代目・幸一郎
十六代目・陽次郎
十七代目・雅貴
十八代目・薫
そして、十九代目・丈瑠
「私の養子にした」
薫のあっと驚く奇策に、驚く一同。
「お母さんにならはったんですか?」
という素直なことはが可愛らしい。
「そうだ」
という薫の真剣な表情に対し、バツの悪そうな丈瑠の表情がコミカル。
すぐに真面目な表情に戻るあたりも、さらにコミカルです。
「封印の文字は使えなくても、丈瑠のモヂカラは戦うには充分。跡継ぎがなければ養子を迎えるのは昔からあることだ」
薫の論に、歳三は、
「メチャクチャでございます!大切なのは、志葉のチ・ス・ジ!...大体、この者の方が年上ではございませぬか!」
と丈瑠を再び引きずり降ろそうとします。ここで薫、
「無礼者!年上であろうと、血が繋がってなかろうと、丈瑠は私の息子、志葉家十九代目当主である。頭が高い!一同ひかえろ!」
と鶴の一声。「ははぁーーーっ!」と大げさにひれ伏す一同が清々しい!
ここで千明が、丈瑠の前で初めて正座をしているのに注目。この瞬間の為に、千明の正座が温存されていた!というのは考え過ぎでしょうか(笑)。
歳三まで低頭しているのには、ある種のカタルシスを感じることが出来ます。
で、いわゆる養子問題。
法的根拠が云々という話は、「シンケンジャー」がファンタジーの世界である以上、あまり効力を発揮しません。そもそも、志葉家当主の系譜を眺めると、ある事に気付きます。そう、血統を重んじてきた家にしては、あまりにも名前に統一性がないのです。有名な武家では、よく似たような名前が続いたりしますが、志葉家にはそれが殆どありません。故に、私はこの「志葉家当主・シンケンレッド」という存在は、血統による継承ではなく、あくまで「芸道の襲名」に近いものだと解釈します。つまり、今回の丈瑠の「襲名」は長い志葉家の歴史の中でも例外というわけではなく、このような養子縁組的な措置は散見されたのではないかということです。
「志葉家の火のモヂカラ」という言葉が後に登場しますが、これが単純に血統で解決される事項なら、前述の論と矛盾します。しかし、この「志葉家の火のモヂカラ」というものが、血統を拠り所として継承されているという論は、疑わしいと思えるのです。丈瑠は、体の隅々まで火のモヂカラが染み渡っていませんでしたが、それは丈瑠が自分を影武者だと自覚していたからであり、もし志葉家当主として純粋に育てられていたら、案外「志葉家の火のモヂカラ」を遺憾なく発揮していたかも知れません。封印の文字も、結局丈瑠に教示するものが居なかっただけで、もし教示者が居れば、丈瑠は封印の文字を会得していたかも知れません。
そう考えると、志葉家当主が何度か血統を外れて襲名されていたかも知れないという推論も、的外れではないと思うのですが。
それと。
このおかしな母子の関係は、あくまでスーパー戦隊シリーズの持つ荒唐無稽さを、良い方面で体現させたものだと考えられます。とにかく楽しいではないですか。そんな馬鹿なと思える事を、真剣に描く。それが「シンケンジャー」というタイトルに込められた思いであることに、異論はないでしょう。つまりは、この「養子」は一流のスーパー戦隊的ギャグなのです。
さらには。
丈瑠がわざわざ「殿」に就任する必要がないのでは、という意見もあって当然です。
しかしながら、丈瑠が記号的な「殿」でないシンケンジャーを想像してみると、かなり収まりが悪い。命を預け、命を預かる。そんな双方向性が「シンケンジャー」のテーマですが、丈瑠が他の侍より一段上の立場にないと、この関係性は直ちに崩壊します。丈瑠と他の面々が同格である事は、「シンケンジャー」のテーマの否定に繋がりかねないのではないでしょうか。丈瑠が一段上に立つからこそ、「仲間」という言葉が価値を持つ。そんな風に捉えられるのです。
さて、丈瑠が志葉家十九代目当主に就いたのはよしとして、歳三は当然の疑問を口にします。
「恐れながらお尋ね致します。封印の文字が効かぬ今、一体どのように、ドウコクを倒すおつもりであるか」
ここで丈瑠は、
「策ならある。力ずくだ」
とニヤリ。
この自信たっぷりの表情が、実に秀逸です。これまで丈瑠が見せた、いかなる笑顔とも異なるものであり、丈瑠の「偽りない殿としての自信」がありありと表現されています。
「それの、どこが策...?」
と呆気にとられる歳三。一同の反応がまた、的確。
千明「そりゃそうだ」
茉子「確かに、倒すしか無いんだもんね」
流ノ介「おお、殿、素晴らしい策ですぞ」
ことは「うち、頑張ります」
源太にセリフはありませんが、歳三の肩に馴れ馴れしく手をおき、サムズアップ。これまた的確です。
以前に一度は「血祭ドウコクを倒す事」を諦めたことのある侍達。しかし、此度は違います。血祭ドウコクが、先の戦いで封印の文字のダメージを負っているのは間違いありません。さらに、志葉家の火のモヂカラが有効なのは間違いないとする丈瑠は、一枚の秘伝ディスクを取り出します。
「姫が...いや、母上が作った、志葉家のモヂカラのディスクだ。封印することは出来ないが、俺でも使えるし、今なら倒せる可能性はある。ギリギリの戦いになるのは、間違いないがな」
姫を母上と言い直すあたりが微笑ましい。そして、この土壇場に、新たな秘伝ディスクを登場させるのが凄いですね。
その時、スキマセンサーが反応し、沢山の「おみくじ」が出て来ます。
こんな現象に遭遇すると、普通はスキマセンサーの故障を疑うのですが、彦馬は、
「三途の川が溢れた...」
と的確に状況を把握します。やはり、封印の文字を打ち破った血祭ドウコクの存在あっての推測でしょう。彦馬の推測通り、いよいよ六門船が人の世に現れます。
敵の要塞が最終回に際して、街にやって来るというアレです!ちゃんと王道パターンをも踏んでくれる「シンケンジャー」。同時にナナシ連中が大挙して人間に襲いかかります。久々に人々が斬られる様子等を描き、シンケンジャー達だけの危機ではなく、人々の危機であることをぬかりなく表現しています。充実度はMAXです。
ここで彦馬の久々の、
「殿のご出陣!」
が登場!
いやが上にも盛り上がっていきます。
出陣した丈瑠達は、堂々、外道衆の前に立ちはだかります。
「どうあっても外道衆は倒す!俺達が負ければ、この世は終わりだ!」
と宣言する丈瑠。さらに、
「お前達の命、改めて預かる!」
と侍達に告げます。
流ノ介は、
「もとより」
と異論なし。千明も、
「当然でしょ」
と納得ずくです。茉子は、
「何度でも預けるよ」
と、これまでの自身の発言を踏まえての返答。ことはは、
「うちは何個でも」
と、土壇場で天然に可愛くボケて見せます。千明がすかさず、
「いや、一個だから」
とツッコむと、源太はダイゴヨウを持って、
「じゃ、俺達は二人合わせて、さらに倍だ!」
と、威勢良く付き合います。
「持ってけ泥棒!」
というダイゴヨウの宣言も素敵です。
いよいよ血祭ドウコクとの決戦の幕が上がります。
「シンケンジャー、参る!」
次回、いよいよ最終幕!!
ちょろ
恐ろしくなるほどの脚本構想で既に第十一幕で彦馬さんに「命を賭けたこの一策」と言わせていた志葉家当主温存大作戦、それを当主自ら覆すのでは丹波さんでなくても滅茶苦茶だと言いたくなりますね(笑)。それを満面の笑みで受け入れる一同、この瞬間に新しい信頼関係が結ばれて、視聴者サイドもほっとします。黒子さん揃うのも、音楽効果もぴったし。
大団円を迎える一体感を作り出したラス前の名エピソードと思います。