サブタイトルがそのままサムライハオーの登場編であることを示していますが、そう一筋縄ではいかないのが特徴の今回。
中身は完全に流ノ介メイン編であり、しかも流ノ介のアイデンティティの一つを確実に形成している「歌舞伎」が題材とあれば、これはもう完全に流ノ介の物語なのです。千明の父親登場、茉子の両親の登場といった、個人のプライバシーに踏み込んだ一連のエピソードの一つとして数えられるものと言えます。
その証拠に、メインストーリーは流ノ介がかつて企画に携わったという、歌舞伎の若手公演が軸になっており、しかも、そのパートナーであった新太郎に舞を見せるというシーンが、事実上のクライマックスに仕立てられています。さらに、その舞を見せるという行為自体は、新太郎と流ノ介の間にあった溝や壁といったものを払拭する効果こそあれど、外道衆との戦いには殆ど関係しておらず、単に過去への未練が一旦スッキリしたことで、異様にテンションの上がった流ノ介が、とりあえず「その勢いだけで」勝利への道を作ったというだけに留まります。「シンケンジャー」らしいリスクヘッジを考慮した作戦は一切感じられず、流ノ介のノリだけで解決してしまうというのは、非常に異色に映りますし、残念ながら浅薄な印象を受けます。
サブタイトルに掲げられているように、本来のメインはサムライハオーである筈が、何故このような構成になったのでしょうか。
ここで必ず出てくるのは、スポンサーの要求が悪いといった論調なのですが、確かにそういった面こそあるものの、私が何度か指摘しているように、そこばかり取り上げるのは本来ナンセンスであり、全てはスポンサーの要求と視聴者の欲求の交差点をいかに高い次元で結ぶかということなのです。それが作り手の担う商売の方法であり、それを高次元で達成してきたのが、「シンケンジャー」。虎折神から始まる折神達しかり、インロウマルしかり、源太の繰り出す新アイテムしかり、牛折神しかりなのですが。
しかし、どうも今回に限っては、そういった物語の止揚を探っている様子があまり感じられないのです。ここには、新要素を続々と登場させる必要に迫られている状況が、作家性を追い詰めてしまったという感が漂っています。いわば、作家性が発揮された流ノ介の物語と、スポンサーの意向に沿ったサムライハオーの登場。この間には大きな断絶があるのです。
勿論、見所も多く存在しますので、その辺りも併せてまとめてみました。
まずは六門船の一幕より。今回のアヤカシであるフタガワラが、六門船の内部を食い荒らしているという光景から始まります。
骨のシタリの杖まで食らおうとするフタガワラ。人の世に焦熱地獄を作るという、筋殻アクマロ配下のアヤカシです。それまで、血祭ドウコクが呑んだくれて暴れる以外は平穏そのものだった六門船も、筋殻アクマロが現れてからは、やや騒がしい様子。六門船をも食ってしまうというこのフタガワラは、その騒々しさの象徴と言えるかも知れません。
「フタガワラの本領は、命を賭して後に...で、ござりますれば」
と筋殻アクマロ。血祭ドウコクもその興味深い特徴に、
「ほぅ、死んでからが見せ場か!」
と思わず反応します。よくあるパターンに、「死んだ時に大爆発を起こして周辺を焦土と化す、危険な怪人」というものがありますが、今回はそのパターンに則りつつも、一の目、二の目という設定を生かしたものになっています。二の目は巨大化ですから、その危険極まりないとされるフタガワラの二の目に対抗するには、ダイカイシンケンオーを超えるものが必要...というロジックには、一応納得出来ます。
というわけで、ここにサムライハオーの必然性をある程度忍び込ませています。サムライハオー登場編という側面だけ捉えれば、一応筋は通っているわけです。
オープニング後のCM明けは、そのサムライハオーへの布石をシンケンジャー側でも打ちます。源太が、牛折神に関わる2枚のディスクを持って説明します。
牛折神登場編では、ヒロ少年の完成させた制御ディスクに、折神を集める力があることを描いていました。そのディスクの特性に注目した源太は、牛折神の車輪を形成するディスクにも、同様の、いやそれ以上の力があるのではと感じており、いずれ使うことになるのではないかと提起します。ただし、牛折神は「禁断の折神」と称されていただけにリスクも高く、まだ慎重になったほうがいいのではないかとも述べています。
これが深い意味を為していて、ストーリーの根幹に関わっているのならば良いのですが、今回は、単なる危険性を指摘するセリフのみに終わってしまっているのが実に残念。
さて、流ノ介はこの話し合いの場に居らず、どこかへ出掛けていました。流ノ介がやって来たのは、とあるホール。松川新太郎という若手歌舞伎役者の公演が気になっており、それが上演されるホールに来ていたのでした。
「すまん!」
と公演会場に向かって頭を下げる流ノ介。
そこにたまたま居合わせたのは、東勘助。勘助は新太郎の後輩にあたる人物です。流ノ介は、去り際に勘助とぶつかってしまいますが、流ノ介はぶつかった相手が勘助だということに気付きません。
勘助は、流ノ介が居たことを新太郎に報告します。
「やっぱり、公演が気になって来たんですかね?」
と新太郎に言う勘助でしたが、
「ふざけるな...あいつの所為で公演中止になりかけたんだ。どれだけ皆が苦労したか!ホントに流ノ介だったらな、一発ぶん殴ってやりたいんだ!」
と新太郎は憤慨している様子。その理由は明白で、かつて流ノ介は新太郎と共に歌舞伎界を盛り立てようと、若手公演を企画し、公演許可まで漕ぎ着けたのでした。
しかし、侍として戦う為に、歌舞伎の世界を投げ出したのです。ここでは、第一幕における印象的なシーンがプレイバックされます。
「恨まれて当然だな...」
と流ノ介。歌舞伎に対する心残りを伺わせるエピソードが、ごく初期にもありましたが、今回は、一旦未練を断ってしばらく経過した後の再度の想起ですから、重みが違います。この若手公演の企画には、流ノ介も懸命になって関わったのでしょうから、未練が再度心に湧き上がっても仕方がないのかも知れません。
そこにフタガワラが出現。近くに居た為、すぐさま駆け付けることが出来た流ノ介は、自転車で転倒した女性を救おうとしてショドウフォンを落としてしまいます。フタガワラは、何とそれを食ってしまいました。
どうやらショドウフォンはフタガワラにとって苦いらしい...。後でショドウフォンを取り戻すことが出来たのは、この苦さ故に消化されなかったからかも知れません。
変身出来ず、状況を好転させることが出来ない流ノ介。そこに丈瑠達が合流し、フタガワラを一旦は撃退します。
フタガワラを退散させたものの、流ノ介は気もそぞろ。源太は、ショドウフォンを無くしたことで意気消沈しているのではないかと思っていますが、流ノ介の真の苦悩は、ショドウフォン紛失ではなく新太郎由来なのです。
一方、十臓と薄皮太夫は相変わらず流浪の身。2人の前に筋殻アクマロが現れます。
「十臓さん、200年の御無沙汰。どうでしたか外道は?その器、多少満たされておれば宜しいのでござりまするが」
「折角だが、底が抜けたらしくてな」
「さすが。並の人間ならば外道に堕ちても数年で壊れるもの。太夫さんといい、お二方こそ、我が頼るに相応しい方...」
いつものことながら、十臓関連のやり取りはアダルトな雰囲気であり、セリフによる雰囲気作りが非常に巧いと感じます。「底が抜けた」という表現が実にイマジネーションに富んでいます。
十臓は、裏正の迅速なる修復を筋殻アクマロに促しますが、筋殻アクマロは余裕に構えています。裏正を作り出したのは筋殻アクマロ自身であり、当然修復することが出来るのも筋殻アクマロというわけで、裏正を生かすも殺すも筋殻アクマロ次第。いわば、裏正の件を筋殻アクマロが握っている限り、十臓は筋殻アクマロに使われることになるのです。
筋殻アクマロ自身は、裏正を修復する間、ほんの少しだけ自分の為に働いて欲しいと言っていますが、当然筋殻アクマロの本音は、利用するだけ利用しつくすということでしょう。勿論、薄皮太夫に関しても同様です。薄皮太夫は三味線の修復という肝を握られています。
「この裏正で外道を見せたお前が、次は何を見せる?」
「さぁ、何が見えまするやら」
十臓は、裏正を筋殻アクマロに預けます。十臓とて筋殻アクマロを信用しているわけではないでしょうが、シンケンジャーの邪魔をするのも一興といった心境なのでしょう。
その後、流ノ介はまた公演会場に足を運び、今度は新太郎の稽古風景を覗き見ていました。
新太郎は懸命に舞っていましたが、どうやらある箇所の仕上がりに不満を抱いているようで、同じ箇所を何度も繰り返して稽古していました。稽古を繰り返しても改善は見られず、一種のスランプのような状態になっていました。
「流ノ介さんが居てくれれば...」
と勘助。その呟きを聞いた新太郎は、
「あいつのことは言うな。居ねぇモンは居ねぇんだ!...あいつは俺達を、いや、歌舞伎を裏切ったんだ!」
と声を荒げます。
流ノ介は当然歌舞伎を裏切ったという意識はなく、侍としての戦いに身を投じる為に、やむなく「一時的に」歌舞伎を離れたに過ぎません。ただ、それでも流ノ介は、新太郎の元から突如離脱したことに罪悪感を抱いていたように見えます。新太郎のこの言葉、思う所のある流ノ介には相当ショックだったようです。
流ノ介は志葉家の屋敷へ帰って来ても、何となく機嫌が悪く、千明に当たっては謝る始末。茉子は流ノ介の様子がおかしい原因は、ショドウフォンの件だけじゃないと直感するのでした。例外なく、他人の心境の機微を読み取るのは茉子の役割ですね。
彦馬は、流ノ介の様子がおかしい原因を、自分なりに調査していました。彦馬は、流ノ介が新太郎と企画したという歌舞伎若手公演のポスターを、丈瑠に見せます。これにより、丈瑠達は事情を理解。ここより、流ノ介と丈瑠達の行動は完全に分離され、互いに余分な影響を与えないよう配慮されます。これで、流ノ介は心置きなく歌舞伎の世界の解決に邁進出来ます。
流ノ介は、歌舞伎を裏切ったという新太郎の言葉を思い出し、
「私は...」
と一人呟いていました。後半は、流ノ介サイドと丈瑠達のサイドとで、シーンが入り乱れますから、CM前の静けさとして実に効果的です。
後半は再び街にフタガワラが出現するくだりから。次々と建造物を食っていくフタガワラが、なかなかの迫力です。スキマセンサーの反応を受け、丈瑠達は出陣します。
「流さん、まだ帰って来たらへん」
と、ことはが言うと、
「行くぞ。俺達が踏み込むことじゃない。流ノ介なら、自分で決着を付ける筈だ」
と丈瑠。茉子も短く、
「だね」
と同意し、千明も、
「それまでに取り戻そうぜ。あいつのショドウフォン」
と流ノ介を欠いた状態での出陣に気合を入れます。精神面でのチームワークの素晴らしさが光るシーンです。
フタガワラの前に現れた丈瑠達は、源太と合流してすぐさま変身!
シンケンジャー登場と相成ります。
ここから展開されるフタガワラ戦では、なかなかの頭脳プレーが披露されます。まず、千明が流ノ介のショドウフォンに電話をかけます。どこからともなく聞こえる着信音。フタガワラは、ようやく鳴っているショドウフォンの所在が自分の右腕内部だと気づき、右腕のショドウフォンに向かって、
「もしも~し」
とやります。
コミカルですが、戦闘の緊張感は持続しています。流ノ介のショドウフォンが右腕にあると見たシンケンジャーは、それを取り戻す為に行動を開始します。ところが...。
そこに現れたのは十臓と薄皮太夫。2人はシンケンジャーとフタガワラの間に立ちはだかります。
十臓と薄皮太夫関連のシーンは、ストーリーの緊張感を一気に高めてくれますね。
一方、完全にスランプに陥ってしまった新太郎の前に、面を付けた謎の踊り手が現れます。
当然、話の流れからしてこの謎の面の男が流ノ介であることは明らかです。新太郎の前に素面で姿を現せば、確実に言い争いになる。しかも、一度歌舞伎を捨てた身としては、素面で舞台に立つなどおこがましい。そんな流ノ介の奥ゆかしさが透けて見えるようです。
シーンは再び丈瑠達の側へ。
スーパーシンケンレッドとなって十臓を突破しようとする丈瑠は、積極的に(要するに倒す為に)丈瑠達を攻撃しない十臓達の様子を見て、時間稼ぎをしているのではないかと読みます。
「あのアヤカシに何が...?」
丈瑠にやや焦りの色が見えてきます。
再び流ノ介サイドへ。
面を付けた流ノ介の舞は、やがて新太郎の脳内イメージとリンクし始め、新太郎が流ノ介と共に舞うというイメージトレーニングへと推移していきます。
そして遂に、イメージの中で流ノ介と共に舞うことにより、新太郎自身の舞はイメージの中で完成をみるのでした。
非常にイマジネーションを掻き立てられるシーンですが、吹き替え(つまりその道のプロによる舞)と本人のカットを巧く繋ぎ合わせることで、幻想的かつ完成度の高いシーンに仕上がっています。私自身は伝統芸能についての理解が乏しく、イメージトレーニングで開眼することについてのリアリティを論じることは出来ませんが、手の届きにくい世界だからこそ、こういったシーンに説得力があるという面もあるでしょう。
「出来た...やっと...」
感慨に耽る新太郎は、去っていく面の男に向かい、
「流ノ介」
と呼びかけます。振り返る流ノ介。
「いつか、戻って来い」
新太郎のこの言葉は、流ノ介の心中に影を落としていたものを払拭するに充分でした。
一方、十臓と薄皮太夫の時間稼ぎにより、たらふく食ったフタガワラは、とうとう満腹に達します。十臓達は頃会いとみて、何と薄皮太夫と共にフタガワラに斬りかかり、一の目を撃破してしまいます。
「こやつの本性は二の目。せいぜい楽しめ」
と薄皮太夫。二の目が本性とあって、てっきりシンケンジャーが一の目を撃破することにより、恐ろしい焦熱地獄が招来されるのかと思いきや、一の目を撃破してしまったのは十臓と薄皮太夫というパターン破り。なかなか気が利いています。
フタガワラ爆発の瞬間、丈瑠は間一髪流ノ介のショドウフォンを取り返すことに成功します。
このカット、実にカッコ良く仕上がっています。アニメで言う止め絵的な迫力があります。
二の目で巨大化したフタガワラは、両腕に装備された盾を身体の前で合わせ、強力な光線を発射します。
二の目が本性と言われているだけあって、フタガワラというネーミングは、二の目にこそ相応しい感じになっていますね。ドラクエに似たモンスターが登場していた気が(笑)。
そこに流ノ介登場!
「殿~!お待たせいたしましたぁっ!池波流ノ介、只今推参!」
とポーズを決めます。
ことは「流さんや!」
千明「何か復活してるし。...つか、テンション高ぇ!」
本当にテンションが高く、千明の言う「復活」という言葉が実に的を射ています。このテンションの高さ、新太郎に対する罪悪感や歌舞伎に対しての未練を払拭した後の、爽やかな心境から来るものですが、流ノ介らしく落ち込む時も復活した時も全力なのが可笑しいのです。
問題は、このテンションの高さが、無思慮なままサムライハオーを生み出してしまうこと。しかも、丈瑠を差し置いて...。
流ノ介が新太郎の前で舞うことによって取り戻した歌舞伎の呼吸を、全侍合体ディスク制御に生かすとかいう展開(それもあまり燃えませんが)ならまだしも、ここから後はひたすら流ノ介の勢いで突っ走るのみ。サムライハオーを、限りなくやけっぱちな感じで出している印象なのです。
さて、ダイカイシンケンオーで迎撃するシンケンジャーでしたが、フタガワラの強固な盾の前に大苦戦を強いられます。
「二天一流乱れ斬り」も効かず、次の一手を繰り出す余裕もありません。ただ、残念ながら、サムライハオーの登場が前提になければ、ここで何とか知恵を絞って対抗する手段を考える展開が待っていそうな隙があり、こういった面でも、サムライハオーの存在を持て余している印象なのです。
ここで流ノ介は、
「殿!例のディスクを使いましょう!」
と丈瑠にすがり始めます。
千明「は?こんな土壇場でいきなりかよ!」
茉子「流ノ介!勢いだけで言わないで!」
源太「そうだぞお前!牛折神のパワーをなめると...」
他の面々は慎重ですが、流ノ介の勢いは止まりません。
「殿!例のディスクを!行けますって!早く奴を!」
「分かった!やるから落ち着け!」
やっと流ノ介をなだめ、丈瑠は「全侍合体ディスク」をインロウマルにセットします。
「どうせいつかは使うんだしな」
と、シンケンマルのディスクを回転させようとする丈瑠。ところが流ノ介は、
「そうです!こういうのは勢いです!」
と勝手にディスクを回してしまいます。ある意味、ハイテンション過ぎて我を失っている状態っぽくもあり、危険です。あらゆる迷いを払拭したことで、事象が手に取るように見えて来ている状態だと言えないこともないですが。
そして、11体全ての折神が合体した最強形態が、遂に完成します。
「サムライハオー・天下統一!」
流ノ介が勝手に命名してしまいました。
なお、サムライハオーはそのまま「侍覇王」であり、最強の形態であることを名で示しています。が、ディスクに刻まれたエンブレムに注目すると、それが「全」という文字とのダブルミーニングであることに気付きます。つまりは、「全」という漢字が「ハ」と「王」に分解出来ることから、「ハ王」とされたわけです。なかなか巧いネーミングですね。
サムライハオーは、あまりに凄まじいボリューム故に、牛折神が母体となった「台」にダイカイシンケンオー(の一部)が立っているという処理になっています。色々考慮しても、この処理は適切ですし、その存分な迫力に圧倒されます。MOJOさんによる挿入歌も旧来ファンには嬉しいですね。
「虎ドリル」、「海老バサミ」、「ダイシンケン覇王斬り」と次々に繰り出される技により、とんでもない図体を誇りながらもテンポ良い戦闘シーンを実現しています。
必殺技は「モヂカラ大弾円」。
全員が11体の折神全てのモヂカラをショドウフォンで書き上げるという、とても手間のかかる必殺技ですが、それだけに強力さがアピール出来ていると思います。円月殺法的な刀の動作があったので、てっきり斬撃系の技だと重いましたが、実際はビーム攻撃でした。昔も今も、最終兵器系の巨大ロボットはビーム系の必殺技です。
登場の脈絡は薄いサムライハオーでしたが、そのインパクトの強さは充分であり、その迫力満点の威容を手元に置きたいという願望を、トイファンに抱かさせるに不足はありませんでした。
公演の日、新太郎の楽屋には、流ノ介が贈ったと思しき花が。明確ではありませんが、流ノ介のカラーである青い花だったことと、意味深長なアングルから、そう判断しました。
そして流ノ介は、新太郎の舞台を見に行くことなく、都会の雑踏の中に居ました。
爽やかでありつつも、少しほろ苦いエンディングに、このエピソードが完全に流ノ介のものであったことを伺わせます。
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