侍という、いかにも日本的な世界観の中に、典型的な外国人を飛び込ませて笑いを得る、コメディの王道をなぞるエピソードです。
メインは流ノ介。しかし、ゲストであるリチャードのインパクトがあまりにも強すぎて、やや霞んでしまった面も否めません。一方の、リチャード関連のコミカルな描写は完成度も高く、シニカルでない直球の笑いを提供。誤解したり逸ったり名乗りに乱入したりと、戦隊シリーズにおける異色コメディ編の要素を巧く散りばめ、その彩りを華やかにしています。
メインライターを離れたバラエティ編突入ということで、シリーズの色の濃さをどれだけ踏襲しているかという興味もあるところですが、それに関しては及第点だと概ね評価できるでしょう。ただし、小林脚本程の「キャラクター愛」が感じられるかと言えば、そうでもなく、むしろスーパー戦隊シリーズの基本的な語法で「シンケンジャー」を語ってみたという趣。逆に言えば、「シンケンジャー」の世界観の上で、こうも作れるというサンプル的な感覚でもあります。サラッとしているんですね。
それが良いか悪いかは別としても、4クールの長丁場を乗り切るには、一貫したテーマの周囲を様々な変化球が飛び交う必要があるわけで、その変化球1球だけをとって路線の安定性を論じることは出来ません。むしろ、「こう来たか」と楽しんでみるのが正しい見方でしょう。何だか毎年同じようなことを言ってるような気もしますが(笑)。
それと、流ノ介がセンターに立つ図には、かなり違和感が。
他の戦隊ならば、特にセンターが入れ替わっても、ちょっとしたパターン破りで済まされるのですが、「シンケンジャー」ではセンターが特別な位置であり、それは丈瑠という「殿」の「座」ですから、物凄く違和感があるわけです。ここはあまりパターン破りして欲しくなかったというのが本音です。
とりあえず、リチャードと流ノ介のやり取りが面白く、そしてちょっとジーンと来る(これ大事)一編。
見所をまとめてみましたので、ご覧下さい。
なお、当方3日程寝込んだ後の病み上がりですので、ややパンチがなくとりとめのない文章になってしまっていますが、何卒ご容赦下さい。
冒頭は、強引に黒子の手伝いをしようとする流ノ介のシーンから。
ここでの流ノ介はかなり気まぐれ。つまり、黒子にとっては迷惑そのものなのですが、そんなことは全く意に介さずホウキを奪い取ろうとする流ノ介が素敵です。そう、この流ノ介の「空気の読めなさ加減」が、この後鳴りを潜めてしまうんですよね。そこが今回を不徹底に見せるのかも知れません。
そこに、いかつい感じの外国人男性が登場。
男性がサングラスを取るなり、
「やっと見付けました!ずっとずっと探しましたぜ!シンケンブルー!」
と満面の笑みを浮かべるものですから、流ノ介も我々視聴者も呆気にとられます。
流ノ介に抱きついて離れない男性。門の近くに居たのが流ノ介じゃなかったら、どうなっていたのでしょうか。ま、そんなことはどうでもいいのですが。
とにかく、念願の流ノ介に出会えて感激している様子は、バッチリ伝わってきますね。
この外国人男性、名前をリチャード・ブラウンといい、シンケンジャーの大ファンだといいます。
以前、流ノ介が舵木ディスクで街の人々を助けた際(第七幕「舵木一本釣」)、目撃していたらしく、
「シンケンジャーに弟子入りし、真の侍となり、世界中に侍道を広めるのだ。Let's武士道!」
と大感激して押しかけてきたわけです。
ところで、このリチャードを演じているジョン・カミナリさん。芸名の面白さもさることながら、生年月日を見ると私とたったの10日違い。私の方が若く見えると勝手に自分では思っていますが(笑)、物凄く親近感を覚えてしまいました。
なお、本エピソードの撮影に関する事項が、カミナリさんのブログにかなり上がっていますので、興味のある方はチェックしてみて下さい。
さて、どうしたものかと悩む流ノ介に、丈瑠は、
「適当に稽古をつけて、諦めさせればいい」
と一言。このクールな感じは、まぁ丈瑠としては普通なのですが、若干冷たすぎる感じも。
何故、ここで冷たいと感じたのか。
本来、一般市民を巻き込まないポリシーを絶対視している丈瑠なのに、ヘンに気を回して「諦めさせる」という手段を考案しているから、と言えるのではないでしょうか。丈瑠本来の持ち味で、殿自ら、丁重にかつ厳しく断りを入れるといった感じの方が、より彼らしいし、彼なりの優しさを表現出来ると思います。
まぁ、それだと話が続かなくなってしまうのですが。
相談というよりたらい回しの結果、結局お鉢が回ってきたのは流ノ介。
流ノ介は、特に嫌がる様子もなく、リチャードの相手役を引き受けます。少し嫌がるか、または快く引き受けるに足りる心情描写が欲しかったところではあります。
まず、「平常心を鍛える」という目的で、ちょっとした茶道に挑戦。茉子の所作が正解かどうかは、茶道に関してさっぱりの私にとっては、よく分かりませんが、結構凛とした感じが良かったと思います。一方で、皆は正座しているのに、千明だけ足を投げ出して座っているのが何とも笑えます。
当のリチャードは、正座に四苦八苦。結局足が痺れて大変なことに。
この苦悶の表情が凄い。今回はリチャードに美味しいところを次々と持っていかれてしまいます。
続いては剣の稽古。流ノ介が構えると、リチャードも自信満々に構えます。ところが、その構えは野球のバッティングで、しかも持ち手が逆だと千明に突っ込まれる始末。
「侍ってのは、誰でもなれるわけじゃないの。おっさんみたいな人、向いてないからさ。諦めな」
と千明。
一般的な侍道ということならば、興味本位が入口でも、しっかり精進していく心構えがあれば、門戸は広いと思います。しかし、この千明の言うことももっともで、この世界での「侍」は、外道衆と戦う選ばれた戦士です。誰でもなれるわけではないのは当たり前なのです。
ここで気付くのは、「侍」なのか「侍道」なのか、ということ。
リチャードはどこまで理解しているのか定かではありませんが、「侍」そのものにはなれなくとも、「侍道」を歩むことは出来ると、無意識ながら知っていたのかも知れません。
クライマックスでは、リチャードの叫びを受けてシンケンジャーが立ち上がるという展開が見られますが、正に似て非なる「侍」と「侍道」を見ることが出来るのです。
流ノ介は、千明にはっきり告げられたリチャードが少し気の毒になります。
流ノ介はリチャードを蕎麦屋に連れて行き、話を聞いてやるのですが、ここで箸もロクに扱えず、蕎麦を食べることさえ満足に出来ないリチャードの姿が映し出されます。これは、「不器用な外国人=日本の繊細な文化に馴染めない人」という、やや意地悪な視点をはっきり感じさせるもので、コメディの手法という受け取り方が出来なければ、かなり心に引っ掛かるものだと言えるでしょう。
流ノ介は、
「ミスター・ブラウン、侍道で一番大切なことは何だか、分かるかい?」
と問います。リチャードは沈黙。流ノ介は、
「それは、諦めないことだ」
と続けます。
「諦めない?」
「誰でも最初から、何でも出来るわけではない。ダメでも、諦めずに何度でもぶつかっていくことこそが、大切なんだ」
この流ノ介の言葉に感激したリチャードは、流ノ介を「お師匠」「最高の師匠」と呼び、賞賛しまくるのでした。
ここはやはり流ノ介。結局彼もノリに釣られて有頂天になります。このあたりの流ノ介の描写はなかなか充実していて的確です。
さて一方、六門船で呑んだくれる血祭ドウコク。彼の元にハチョウチンが現れ、酌をしていたナナシを焼き殺してしまいます。
当然、血祭ドウコクは益々機嫌を損ねるのでした。彼を骨のシタリがなだめている間に、薄皮太夫は、ハチョウチンを追い出すように人間界に送り込みます。
今回の六門船のシーンは、バラエティ編ならではの短さでした。それでもレギュラー3人にそれぞれセリフがあり、ちゃんとノルマを達成している(?)ようですが。
ここで再び流ノ介のシーンに。
リチャードに師匠と呼ばれた流ノ介は、恐らく初めて弟子をとったということもあってか、かなりの張り切り振り。
そんな流ノ介に、一同はかなり不安を抱いています。
特に心配性の彦馬は気が気ではない様子。流ノ介が妙に楽しそうな様子で暴走すると、何か起こるというジンクス的な感覚がいい感じです。
流ノ介の稽古は的確なようで、リチャードの竹刀の振り方もサマになってきています。流ノ介の指導者としての優秀さを垣間見るシーンです。リチャードの不器用振りは、茶道や蕎麦屋で描写されていますから、ここでの成長振りが際立ちます。
その剣の稽古中に、外道衆の報が。直ちに流ノ介は現場に向かおうとしますが、リチャードも外道衆を倒しに行くと張り切り出します。コメディの定番を安定感ある演出で見せていきます。
人間の世界にやって来たハチョウチンは、ムシャクシャを晴らす為に街を焼き払っていました。大多数のアヤカシは、三途の川の水を溢れさせるという目的を告げられて、自身が楽しみつつ悪事を行うのですが、このハチョウチンは、三途の川が云々といったことは一切関係なく、ただ単にいつも腹を立てており、それを解消する為に街に火を放ち続けるという設定になっています。それだけに、やや恐ろしさは低めになっています。
ハチョウチンのデザインは、虚無僧と提灯がうまくブレンドされたものになっており、長い口と各部の炎のパターンがアクセントになっています。水のモヂカラを操る流ノ介に対する、火属性という対比が感覚的に分かりやすくていいですね。
まず、先に到着した丈瑠達4人で迎撃を開始します。
ところが、丈瑠の放つ「火炎之舞」の炎は吸収され、茉子のヘブンファンでの攻撃は、炎を煽ってより強力にするのでした。
「このアヤカシとは、咬み合わせが悪いな」
と丈瑠。モヂカラというエレメンタルなパワーを駆使するシンケンジャーだけに、エレメントの相克や相性といった要素もアリだと思っていましたが、ここに来て初めて明確にされました。
そこに流ノ介が到着。変身して直ちに戦闘態勢に入りますが、結局付いて来たリチャードが流ノ介を押し退けて宣戦。逸るリチャードを庇って、流ノ介はハチョウチンの火炎攻撃の直撃を受けてしまいます。
この火だるま状態の合成が素晴らしく、一瞬本物の炎のように見えます。こういった炎の描写は、「熱い」という感覚が直接伝わってくるので効果的ですね。
シンケンジャーは殆ど手出しできないまま、ハチョウチンは水切れで退散。
火、天(風)、木はハチョウチンの炎と相性が悪く(土は微妙)、巧く攻撃出来ない上、唯一の対抗手段と目される水もリチャードによって封じられてしまうという展開は、前半の危機描写創出に巧く機能しています。その危機回避に水切れを使用するあたりも、基本設定をきちんと踏襲しています。
その顛末の後、流ノ介はリチャードに告げます。
「ミスター・ブラウン、私が何を言いたいのか、もう分かっている筈だ」
「え?」
「もう、これ以上君に侍道を教えることは出来ない」
「教えること...ない...」
「稽古は、これでおしまいだ」
この寂しそうな表情は絶品。
ただ、この流ノ介の告示はやや唐突な感があります。シンケンジャーの戦いを邪魔したという事実が、動かし難い事実であることは充分理解出来ます。しかし、流ノ介の性格からすれば、ここでリチャードを破門するのではなく、きちんとした気構えを教え込むような気がするのです。元々侍道が何たるかを、そこそこ理解している感のあるリチャードですから、流ノ介がそれを見抜いていないとは思えません。
何となく、リチャードに付き纏われると面倒なことになりそうだから、この事件を契機にはっきり言っておくという感覚が滲み出てしまいます。
ただ、夜の街を歩くリチャード、一人竹刀を振る流ノ介といった風に、寂寥感のある心象風景でフォローしている為、エモーショナルな雰囲気に彩られて先のシーンの軽さを払拭しているのも確か。また、千明の「初めから断っていれば」といったニュアンスの言でもフォローされており、流ノ介の心情を巧く説明する演出のバランスは良い感じです。
かなり落ち込んでいるように見える流ノ介。戦いへの影響も心配されますが、
「ご安心を。私は大丈夫です」
と余裕の笑顔を見せます。
この笑顔は、流ノ介成長の証と見ていいのでしょうか。従来の流ノ介なら、例の鼻と口を覆うポーズでの号泣が止まらない筈。リチャードを破門して、いい気分でないことは容易に想像出来ますから、流ノ介にもポーカーフェイスを作るだけの技能(?)が備わってきたのかも知れません。
そうこうするうち、ハチョウチンが再び活動を開始します。
街の破壊シーンに、古いバンクシーンがあるように見えましたが、一体いつのバンクなんでしょうか。明らかに質感が異なっており、ハッとするカットでした。昔の、ミニチュアを派手にぶっ壊す懐かしい感じは、突如場面に挿入されると新鮮に見えます。
そして、シンケンジャーの迎撃が始まります。
ところが、名乗りにリチャードが乱入!
「同じくブラウン、リチャード・ブラウン!」
と大見得も完璧。しかも、ブラウンというネーミングが茶色の防具とシンクロしていたとは!
「激走戦隊カーレンジャー」のホワイトレーサーを彷彿させる強烈な「お遊び」です。
しかも、
「天下御免の侍戦隊!シンケンジャー、参る!」
と続け、更には、呆気に採られてポーズをとってくれない周囲を睨み、
「...参るぅぅぅ!」
と叫ぶと、全員が、
「参る」
とポーズ。
このテンポ、抜群です。異文化コメディの王道を行く心地良い運びが秀逸ですね。
千明「参る...って」
丈瑠「お、俺のセリフ...」
この2人の呟きが更に笑いを付加します。コメディ先行ということで、ここでの丈瑠の呟きを真に受ける必要は必ずしもないと思いますが、一応キメ台詞を言うのは自分だという無意識的な自覚はあったようです。
それにしても、リチャードがシンケンジャーの名乗りを詳細に観察して覚えたと思うと、何とも可笑しいですね。
ここで破門を言い渡した筈のリチャードが、何故やって来たのかということについて語られます。その理由は単純。リチャードは、流ノ介の「教えることは出来ない」を「教えることない」と聞き間違え、さらにそれを「免許皆伝」だと勘違いしたのです。確かに、前のシーンを見直してみると、
「もう、これ以上君に侍道を教えることは出来ない」
「教えること...ない...」
と、リチャードは聞き間違えています。
シンケンジャーが喧々諤々やっている間、痺れを切らしたハチョウチンの攻撃により、リチャードは怪我を負ってしまいます。
敵側そっちのけで議論するという、コメディ描写の王道がここでもしっかり登場。戦隊とコメディの王道は相性がいいのです。しかし、リチャードが攻撃されたことで雰囲気は一変。このあたりの切り替えのスピーディさも戦隊ならではと言えるでしょう。
流ノ介は怒りにまかせて突進していきますが、ハチョウチンに一切の攻撃が当たらず、丈瑠ら共々火炎攻撃の餌食となってしまいます。
冷静であれば、水のモヂカラを使ってハチョウチンに対抗するといった戦略ぐらい、流ノ介でも充分立てることが可能です。しかも、シンケンマルを振り回すという流ノ介らしからぬ攻撃方法に打って出ていますので、彼が冷静でないことは状況からもビジュアルからも分かるようになっています。結局、流ノ介はリチャードにすっかり深いシンパシィを抱いてしまっていたのです。
変身も解けて絶体絶命の中、リチャードは、
「諦めるなぁぁぁ!」
と叫びます。
「侍は絶対に諦めないよ!何度も何度もぶつかっていくのが、大変なことよ。それが、それが侍道だよ!」
とリチャード。
ことは「ブラウンさんの言う通りや」
千明「まさか、あいつに侍道を教えられるとはな」
茉子「ホント。でも、大変じゃなくて、大切なことだけどね」
丈瑠「いい弟子を持ったな、流ノ介」
流ノ介「はい!ブラウンは真の侍です!この声援に応えぬ訳にはいきません」
5人はそれぞれリチャードの叫びに応えます。それぞれのセリフの書き分けはバッチリです。特に丈瑠のセリフがいい。そして、
「ナイスサムライ!」
とエールを送るリチャード。
結構感動的なシーンに仕上がっているのが悔しいところ(笑)。思わず熱くなってしまいます。
コメディだけで突っ走るのではなく、こうしたシチュエーションを積み重ねることで生まれるテーマ性といった所を重視するのは、「シンケンジャー」の基本的なコンセプトであり、それを充分体現していると言えるでしょう。
流ノ介が教えた精神論を、逆に弟子から教えられるという「双方向性」も「シンケンジャー」のテーマに沿っていると、私は思います。
ここで、「侍」と「侍道」の違いは、そのままビジュアルの違い(端的に言えば変身出来るか否か)で表現され、逆に「諦めない」という基本的な精神性を根底に抱えることで、共通した概念であることも見せています。つまり、劇中の「侍」にはなれないけれど、「諦めない」心を身に付ければ、君も「侍」になれるよという、(子供番組らしい)メッセージなわけです。
再び立ち上がるシンケンジャー!
戦意を復活させ、冷静さも取り戻した流ノ介は、シンケンマル・水之幕でハチョウチンの攻撃を防ぎ、他の4人が連続攻撃。そして、流ノ介が水流之舞でハチョウチンの戦意を奪います。
「流ノ介、任せる」
と烈火大斬刀を手渡す丈瑠。大筒モードを流ノ介とリチャードが構え、舵木五輪弾を放つ!
これは半分ギャグですが、半分は大真面目です。途中でリチャードが思わず手を離しているという芸コマなカットも見られます。
ちなみに、丈瑠が関わらない場合は、腕組をして立っているんですね。
例によって二の目で巨大化するハチョウチン。勿論シンケンジャーはシンケンオーで迎え撃ちます。さすがにリチャードをシンケンオーに乗せるということはありませんでしたが、
「おお、ジャイアント・サムライ!」
という表現で充分でしょうか。
舵木折神でハチョウチンを攻撃し、更にテンクウシンケンオーで畳みかけます。
殆どハチョウチンは手出しできないまま、ダイシンケン天空唐竹割りの前に敗れます。
戦いの後、リチャードとの別れが訪れます。
「ありがとうございました、お師匠。国に帰ったら、皆に侍道を広めまぁす!」
と高らかに宣言したリチャードは、流ノ介と固い握手を交わした後、1人祖国へと帰って行きました。
引き際にコミカルな味付けをしなかったことで、流ノ介とリチャードの師弟関係の美しさが強調されたのは非常に良かったと思います。とても綺麗な幕切れだったのではないでしょうか。
千明「侍道ね。あいつに任せて大丈夫かな」
流ノ介「大丈夫。侍にとって一番大切なことを、ブラウンは知ってるからな」
この会話はややとって付けた感じですが、千明のリチャードに対する態度は終始一貫しており、流ノ介との対比を表現するのに一役買ったとも言えるでしょう。セリフ的には、キャラクターの性格分けが巧く表現されていると思います。
私としては、やや物足りない感もあった今回ですが、セオリーやスーパー戦隊シリーズの基本的な要素やクォリティは充分クリアしており、完成度もそれなりに高かったと思います。ただし、何となく深みが不足している。そんな感じを受けました。それはやはり、バラエティ編の宿命ということもあるでしょう。しかしながら、コメディでありながら、ちゃんとシンケンジャー的テーマを垣間見せた点は、大いに評価していいと思います。
コメント