1クールは通常13話ほどになるのですが、次回の話の骨子を眺めた時、一応、今回で一旦の一区切りとなるようです。
というわけで、今回は前後編の後編でもあり、「シンケンジャー結成編」の最終話でもあると言えます。
これまで、殿と家臣という特殊な関係を巡り、様々なドラマが繰り広げられてきました。
ある者は主従関係に反発し、ある者は主従関係に苦悩したわけですが、それでも各々が感じるままに結束を固めていったのです。
ところが、丈瑠だけに特殊な能力があることが判明したことで、この結束に揺れが生じました。それが前回です。
志葉家独自の能力が分かり、尚更丈瑠を守らなければと決意した、流ノ介とことは。茉子と千明もそれは同じですが、流ノ介達とは微妙に丈瑠に対する感情が異なります。
それは、流ノ介とことはに見られる、丈瑠との直列的な関係と、茉子と千明に見られる、丈瑠との並列的な関係とに分類出来ます。つまり、主従か仲間か。これが、今回のシンケンジャー再結束のキーとなります。
結果だけ言ってしまえば、主従関係は絶対的に存在したわけですが、それは一方的なものではなく、双方向に作用する関係であるからして、仲間という並列的な関係にも置換可能なものだという方向性が示されたのです。
これはスーパー戦隊シリーズにおける、レッドの突出性と全メンバーの等価性を巧く解決してみせる新しい手法だと私は思いました。ここに至るまでを、各々のエピソードのカタルシスや完結性を損なうことなく、1クールかけて丁寧に描いてきたことを振り返ると、非常に感慨深いものがあります。
では、この屈指の感動作を見ていきましょう。今回も見所を頑張ってまとめました。
冒頭は前回の続き。
丈瑠は、家臣達が傷付くことに申し訳なさに似た恐れを感じており、その重責に耐えかねていたのです。正に徘徊と言う言葉が似つかわしく、赤信号のまま横断歩道を渡ろうとしたり。しかも、後の様子から、一晩中歩き続けていたようです。
戻らない丈瑠に想いを馳せる彦馬は、
「お探しは致しません。お早いお戻りを」
と言いつつ、丈瑠の空座を見つめています。
今回は、彦馬が毅然とした落ち着きを見せ、流ノ介達に要らぬ心配をかけまいとしているのも重要なポイント。
翌朝。夜が明けても戻らない丈瑠を心配する茉子と千明をよそに、彦馬は庭に咲いていた菖蒲(アヤメ)を摘み取って来るなど、努めて明るく振舞います。
千明は、その様子にやや不満気。彦馬の「気分転換」という言葉に、千明は過敏になります。
視聴者には、彦馬が人一倍丈瑠を心配しているのは、手に取るように分かるのですが、一方で、丈瑠が必ず帰って来るという確信も彦馬の中にはあるものと、分かるようになっています。
その後、少しは落ち込んでいるのかと思ったという千明に茉子は、
「同じ意味かもよ。気分転換って言ったら軽すぎるけど。千明さ、自分が殿様だったらって考えたことある?あたし、夕べずっと考えてた」
と返します。それに対し、
「何それ。ま、ペコペコされんのは気持ちいいかもな」
と千明流の軽い返答。すると茉子は突如立ち上がり、
「あのね!ペコペコされるってことは、その人の全部預かるってことだよ。昨日のことはと流ノ介みたいに、自分に命賭けてくる」
と声を荒げます。
「それは丈瑠もやめろっつってたろ」
「でも、止められない。丈瑠は、死ぬわけにはいかないんだから」
「そっか。丈瑠が外道衆倒す切り札だもんな...」
「この世を守る為には、家臣を捨てても自分は生き残らなきゃいけない。出来る?私だったら、殿様やめる。でも、丈瑠はやめられない。ちょっとぐらい、逃げだしたくもなるよ」
このシーン、内面をあまり描かない方針になっている(と思われる)丈瑠の内面を、他のメンバーの会話という形で描写しています。
巧いのは、密かに人を気にかける性格の茉子が、丈瑠の内面に気付き、丈瑠を表層で解釈する傾向のある千明に話すという構図。キャラクターの性格を的確に利用し、なおかつ視聴者に分かりやすく「丈瑠の家出」の意味を分からせるというテクニックが冴えています。
ここで千明が頑なに「丈瑠に限ってそんなことない」等と言わないところも重要で、千明が心の中では丈瑠を心配しているということが、何となく伝わってくるのです。
それにしても、自分が生き残る為には、他人を犠牲にすることも止むを得ないという設定は、スーパー戦隊シリーズでも屈指の壮絶さだと思います。
さて一方、丈瑠はとある場所で、泣いている幼稚園児・広樹に出会います。
丈瑠は、泣き止まない広樹に、「紙」のモヂカラで折紙を出し、紙飛行機を作って飛ばして見せます。
「あんまり泣くな」
と言う丈瑠。口数の少ないキャラクターですが、優しさが十二分に表現されているのは、実に素晴らしいことです。演出・演技の冴えを感じます。
面白いのは、頬に負った傷がそのまま残されていること。これにより、丈瑠を「場違いな人」という印象に仕立て上げてもいます。私の解釈ですが、シンケンジャーはやはり、市井の人間とは違う世界に居なければならないという風にも見られるかと思います。
丈瑠は、この場所がどこだかよく分からず、広樹に尋ねます。
そこに広樹の先生・香奈が登場。
「先生、あのお兄ちゃん迷子なんだって」
と広樹に紹介され、丈瑠は思わず苦笑い。丈瑠は決して浮世離れした人という印象ではありませんが、ここでやや浮世離れした感じを付加することで、前述の私の解釈(市井の人間とは違う世界に居なければならない)も補強されます。
しかしながら、このシーンは、丈瑠に可愛らしさを付加するものでもあり、これによってグンと好印象になるのです。ちょっと無垢系なキャラクターになるわけですね。
ところで、この香奈先生、「救急戦隊ゴーゴーファイブ」のゴーピンク・巽祭役の柴田かよこ(当時は坂口望二香)さんです。
「ゴーゴーファイブ」と言えば、1999年度の作品ですから、かれこれ10年前。云わば丈瑠にとっては大先輩です。それでも、殆ど当時と変わらないチャーミングな笑顔を披露し、旧来のファンを大いに満足させてくれました。こういったゲストの充実は、作品そのものの勢いが強力な「シンケンジャー」では意外な気もしますが、考えてみればゴールデンウィークという、視聴率の大敵への対抗策としては、なかなか的を射たものかも知れません。
ここで場面は変わって、三途の川。
ウシロブシは、十臓にシンケンレッド討伐を邪魔されたと報告します。それを聞いた血祭ドウコクは、いつもに増して怒り狂い、ウシロブシの盃を取り上げて六門船を出て行きました。
賽の河原で、十臓を襲う血祭ドウコク!
十臓は、シンケンレッドを討つことに関しては、血祭ドウコクの目的の妨げにはならないと考えていますから、一旦仁義を通したにも関わらず襲い来る血祭ドウコクの行動は、到底納得できるものではありません。
一方、血祭ドウコクにとっては、自らを封印する力を持つシンケンレッドの秘密を、十臓が隠していたことに腹を立てており、更には十臓がウシロブシが討つ筈だったのを邪魔したわけですから、立腹倍増して当たり前といったところです。
血祭ドウコクは、妖術で十臓を縛りあげますが、十臓は人間態になって逃れます。
「こういう時に、半分人間なのは便利だな」
「チッ!気に食わねぇぜ十臓!」
骨のシタリの解説によれば、血祭ドウコクの縛りは人間には効かないらしい。
十臓の特殊な素性を、無理なく描く最適な場面セレクトだとも言えるこのシーン。他方では、これまで実力が殆ど示されることのなかった血祭ドウコクが、十臓を翻弄するという能力の高さを見せることにより、丈瑠の使命の重さを対比的に印象付けることにもなっています。
さて、さらに場面は変わって、丈瑠のシーン。
園児たちは、丈瑠の教えた(あるいは作った)紙飛行機で遊び始め、広樹も元気に遊びまわっています。
広樹は、かつて外道衆によって父親を失っており、香奈によれば、大人の男性に遊んでもらったことにより、広樹の心はやや救われたといいます。
今回は、云わばシンケンジャーの再結成のような趣があるのですが、2クール目よりバラエティ編へと突入するにあたり、このように戦い以外で人々の心を救うことが出来るという観点の端緒を、見せておく意図もあったと思うわけです。
丈瑠が園児たちの元を去り、そろそろ帰ろうかと思案している(ように見える)際に、外道衆の襲撃を目の当たりにします。
勿論、その気配はスキマセンサーにとらえられており、彦馬達も察知。
彦馬は、4人を送り出す際、
「これだけは言っておこう。殿は、最後までお前達を集めることに反対しておられた。戦いに巻き込むまいと、一人で戦っておられた!」
と言います。
ここで1話が振り返られるわけですが、これは今回のハイライトにおける、「互いに命を預け合うという関係」の対極にあり、丈瑠の心境の変化を再確認する作業でもあります。スーパー戦隊シリーズの骨子に「1人ではない」というテーマがあることは周知のとおりですが、ここまで強調されるのは、シンケンレッドが殿であり、他のメンバーが家臣であるという特殊な関係故であるとも言えるでしょう。その事は、後にまた繰り返し語られることになります。
ウシロブシは派手に暴れていましたが、それは、精神的ダメージを負ったシンケンレッドを誘き出すには、派手に暴れる必要があると考えてのことでした。
そういえば、ウシロブシは他のアヤカシとは異なり、三途の川の水かさを増す目的で遣わされた訳ではありませんでした。ウシロブシが暴れる理由がわざわざ説明されるとは、随分と丁寧な作劇だと驚かされます。
広樹ら園児が襲われ、広樹はウシロブシが踏んづけた紙飛行機を取り戻そうと必死になります。
この紙飛行機、丈瑠が香奈に出会い、広樹の置かれた状況を知って、再度自らの使命の重要さを認識する小道具として機能しました。ここでは、広樹が父親のシルエットを重ねた丈瑠の象徴として、命懸けで取り返したい物になっています。
更には、この紙飛行機が丈瑠の父の象徴であることも示され、父と子の関係性を示す機能も持つ事になります。紙飛行機という題材は、あまりセンチメンタルな描かれ方をするとチープになってしまうのですが、使い方が巧みな為に、感動を呼ぶものに仕上がっています。しかも、紙飛行機の紙自体はモヂカラによって生まれていますから、「シンケンジャー」の世界観をも体現しているのです。
丈瑠は、広樹達を助け、ウシロブシと対峙します。
そして丈瑠は、変身しないままシンケンマルを構え、ナナシ連中を撃退していきます。
このアクション、丈瑠役の松坂さん自らが果敢に挑戦しており、しかも結構な長さ。俯瞰気味のアングルだけにトータルな動きを要求されますが、見事に華麗なチャンバラを披露してくれます。
そこに流ノ介達も合流、彼らも変身しないまま戦いに加わります。
ここが今回の白眉になります。
「殿!うるさく思うでしょうが、私はこのように育ちましたし、このようにしか戦えません!この先もずっと!」
「正直、戦うなら仲間でいいって思ってたけど、殿だから背負えることもあるんだよね、きっと!...だから決める。丈瑠に命預けるよ!」
「お前が殿様背負ってくっつーなら、家臣になってやってもいい。ただし、俺がお前を超えるまでだ」
「うち、あの...殿様!死んだらあかん!うち嫌です。それだけです!」
この四者四様の言葉が実に秀逸で、しかも感動的。
わざわざ解説して感動を殺ぐのは野暮ですが、一応読み解いてみます。
まず、流ノ介。流ノ介は代々受け継がれた伝統を重んじる故に、不器用かつ滅私的に丈瑠に仕える術しか持ち合わせていません。彼に疑問の余地はない。しかし、「うるさく思うでしょうが」という前置きが、彼なりの丈瑠への優しさ・配慮であることも忘れてはいけません。
続いて、茉子。茉子は流ノ介と千明という両極端なキャラクターの間に位置する人物ですから、そのポジションは非常に曖昧です。しかし今回、茉子がどう考えていたのかがはっきりと明言され、それと共に溜飲が下がる思いでした。「仲間」と「家臣」という、並列か直列かというリレーションシップに関して、最も迷っていたのは茉子だったのかも知れません。
そして、千明。千明らしい言い方で「家臣」としての覚悟を口にするのですが、但し書きを付け加えることで、千明のキャラクター性をスポイルすることなく、彼なりの「忠義の在り方」を示しています。千明も茉子と同様に「仲間」という感覚が強かったと思われますが、ここで直列関係を採ったとしても、丈瑠と自分の関係性は揺らがないという確信も読み取れます。
最後に、ことは。ことはの中では丈瑠の絶対性が揺らぐことはありません。本当にそれだけであり、それしか示すことの出来ないことはの、不器用な可愛らしさをもクローズアップされていきます。
そして家臣達の言葉を聞いた丈瑠は、かつて父が「強くなれ」といいながら紙飛行機を折ってくれたのを思い出します。
丈瑠の父役の津田さんがはっきりと顔出ししたのは、今回が初めてですよね?
「志葉家十八代目当主。どんなに重くても背負い続けろ。落ちずに飛び続けろ!」
父の飛ばした紙飛行機は、鯉のぼりを超えて空高く飛んで行きました。
子供の日に関するイベント性は、あまりフィーチュアされませんでしたが、鯉のぼりが印象的に配されることにより、端午の節句のトータルイメージとしての猛々しさと優しさが、ストーリーに潤いを与えています。全面的なフィーチュアが行われるのも楽しいですが、この手法の方がずっと上品に感じられるのも確かです。
丈瑠は、丈瑠なりの、殿様としての覚悟を決め、
「お前達の命、改めて預かった!」
と宣します。
「元より!」
とすぐさま応えるは流ノ介。
再びその結束を固めたシンケンジャーは、変身して高らかに名乗りをあげます。
そして、丈瑠は再び宣します。それは、
「俺の命、お前達に預ける!」
というもの。先程とは逆ですが、殿と家臣という特殊な関係は、「命を預ける」方向が双方向に成立するという関係だと示され、それに深く納得させられるのです。
この宣言に、
「任せろ」
と応えるのが千明というのもポイント。
流ノ介は丈瑠の為に命を賭し、千明は丈瑠の命をなんとしても守るという、忠義の両側面を捉えたものになっているわけです。
シンケンジャーは「シンケンマル・五重之太刀」でナナシ連中を一掃!
一気にナナシ連中を片付けるのは、多分巨大戦とのバランスを考えての配慮でしょう。
そして、ウシロブシとの激戦を制したのは、5人の一糸乱れぬ連携攻撃。
このアクション、5人が塊になってウシロブシを追い詰めていくという組み立てになっており、1対多が基本のチャンバラとは、やや趣が異なりますが、非常に戦隊的なこの構図にもチャンバラの要素がしっかり感じられるのは、静と動のコントラストが巧く付けられているからだと考えられます。
追い詰められたウシロブシは、「鬼刀二段斬」によって勝負を決しようとします。
一度その技を体験した丈瑠は、「二度と同じ手は通用しない」というセリフこそないものの、既に策を講じています。
最初の衝撃波を茉子とことはが防ぎ、次の太刀を流ノ介と千明が受け、最後に丈瑠が烈火大斬刀大筒モードを構えるという三段作戦。殿と家臣という関係を、アクションにもしっかりと持ち込んでいる丁寧な作劇には感心するばかりです。
丈瑠は、虎五輪弾でウシロブシを撃破!
しかし、例によってウシロブシは二の目で巨大化を果たします。
シンケンオーで出るものの、大空ナナシ連中が登場し、空からの攻撃に翻弄されてしまいます。
ダイテンクウで大空ナナシ連中を一掃しようと提案する千明でしたが、流ノ介は、ダイテンクウをシンケンオーに合体させるという奇策を提案するのです。
しかも、解説書まで用意していました。
伝統一筋の流ノ介が、伝統(伝承)を破って奇策を講じるというところに、意外性と可笑しさが生まれています。全体的に重い雰囲気で展開してきた今回ですが、ここで一気にギャグテイストにするあたりが素敵。
「超」のモヂカラで、ダイテンクウとシンケンオーが合体!
「超侍合体テンクウシンケンオー!」でテンクウシンケンオーの完成です。
「テンクウシンケンオー天下統一!」
「やった!やりましたぁ!やりましたよ殿!」
「初めてお前に感心したぞ!」
の会話が可笑しすぎます。丈瑠は「おでん合体」の前科も含めて、かなり皮肉たっぷりに言った筈ですが、流ノ介が素直に喜んでいるのが、なお可笑しみを生んでいます。
空飛ぶテンクウシンケンオーは、大空ナナシ連中を一気に撃退します。
この空中戦、戦隊黎明期における敵戦闘機の大群と巨大母艦を彷彿とさせる雰囲気で作られており、ノスタルジィを感じさせるシーンでした。ミニチュアの精度やスーツでのカットへの繋ぎなど、戦隊らしいテクニックに溢れています。
そして、ウシロブシに炸裂させるは、「ダイシンケン天空唐竹割り」!
出ましたよ「唐竹割り」!
唐竹割りと言えば、私にとっては「バトルフィーバーJ」なわけです。私はバトルフィーバー大好き人間ですから、個人的に物凄く嬉しかったのでした。バトルフィーバーロボは鎧武者モチーフでしたから、正統に継承され、涙モノなわけです。
戦いが終わり、丈瑠達の帰還に大喜びの彦馬。
端午の節句の御馳走を用意して待っていたという彦馬に、皆大喜び。
ここでの彦馬の喜びっぷりを見ると、いかに心配していたかが分かります。ホント、いい話でしたね。
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こんばんは。続いての投稿失礼します。
このGWという視聴率の大敵の日、待ちに待ったオンエアをリアルタイムで観た挙句に録画を2回見直し、それから佐倉の旧堀田邸に行ってしまいました(笑)。
正にテレビカメラの魔力、実際のあのお邸は意外と狭い感じで、画面を通すと随分広く見えるものだと思いました。
9話の朝稽古のシーンも、あんなに狭い庭でスーツアクターさんが殺陣をよくやったなあと思ったぐらいです。
さて、この回は、丈瑠がいかにも街に不慣れで(笑)、変身しないでお屋敷の外を出ると自動的に道に迷うんじゃないかといういかにも殿様っぽい可愛らしさと…
敢えて素面での殺陣で絆を見事に描いて見せた海辺と…
そして、津田さん!
1話のOPクレジットで気づいたものの、その1話では後姿。でもこの方を使うからには絶対まともな出番がある!と信じていて、予告で観た時は「来たー!」でした。
でもこのお父さん、「レッドの父親!」という、熱血だったり雄々しい感じの方ではなく、むしろ齢よりも老けた(実年齢44歳、デコが…ということではなく!!)、レッドの役目にかなり神経をすり減らしたっぽい、いかにも生真面目そうな人でしたね。津田さんの中での解釈や演出がそうだったのでしょうが。(あと、殿様にしては齢とってからの子だなーと(笑))
もっと深読みすれば、まるでもう死を覚悟していたような…
あのミニ丈瑠は、まだ髪の毛がぺしゃんこで、遊園地でお漏らしをしていた(=父の死後爺に育てられていた)頃の少し前でしょうから、それから間もなく悲劇の夜が…でしょうか。
きっとあの頃は、今よりももっと外道衆の勢いが強く、ピークと言ってもいい時期にあり、先代の5人全員が薄々は死というか相打ちを覚悟していた…というような推測までしてしまいました。
(焼け落ちていたお邸は門が違ったので別のお家なんでしょうが、今の家は引越し後なんですかね…えらくでかい借家だったりして(笑))
そして、丈瑠の生真面目さ(ある意味老けてる…)は、あのお父さんからしっかり受け継いだものなのかもしれません。
(それにしても母親不在な家ですね(笑)。うんと早くに亡くなっていたのでしょうが)
何とも、大人向けな「こどもの日」回想シーンでした。
あとこれは別の回ですが、十臓の台詞の、
「肌があわだつような」
は、「泡立つ」ではなく「粟立つ」です。
簡単に言うと鳥肌がブツブツ、という状態です。あのブツブツを粟粒(今は鳥の餌と言った方がわかりやすいですね…)に例えているわけです。他の感想ブログでも同じ間違いがありましたので、難しい言い回しなのかもしれませんが。
斯く言う私も、1話で殿が書いた「馬」の字で、自分がずっとこの字の書き順を間違っていたことに気づきました(笑)
人間何歳になっても発見です…