流ノ介が操られてしまうという状況から、一見、流ノ介編に見えますが、実は完全に丈瑠編。丈瑠と流ノ介を対決させることで、丈瑠の強さは勿論のこと、流ノ介の実力の高さをも描写するというお題を、高次元で成立させています。
丈瑠の強さは、シリーズ開始当初より何度も描かれてきましたが、ダメ押し的なものに堕さず、あえてラストにて内面を吐露させるという手法によって、その魅力を多面的なものにしているのも素晴らしい。また、新キャラである腑破十臓を、丈瑠の実力を解説できるキャラクターとして置いているのも面白い発想で、これにより、十臓の眼力や好敵手としての確実化を見事に描写しているのも特筆すべきところでしょう。
茉子、千明、ことはの3人も、それぞれ丈瑠という人物のとらえ方を確立させてきており、特に千明が流ノ介と丈瑠の対決姿勢を非難するあたりには、彼の優しさを垣間見ることが出来ます。反面、彦馬に突っかかっていくあたりは全然改善されておらず、千明のキャラクター性を決定付ける良いアクセントになっています。
操られた流ノ介は、シンケンブルーの姿のままで登場することにより、その表情が読めなくなり、余計な迷いが一切感じられない傀儡としての面を強調。それは徹底されており、操られている間は掛け声や叫び以外、セリフも殆ど喋りません。
人格が変えられてしまうという話も面白いですが、今回の場合、丈瑠の心情や覚悟といった面にスポットが当てられている為、流ノ介に感情を持たせなかったのは正解でしょう。
今回のもう一つの主要なトピックは、虎折神。
10話に満たないうちから、既に折神が8体登場するという状況になったわけですが、それぞれ登場編の見せ方が巧い(物語と有機的に絡んでいる)為、次々と適当に出てきているという感覚は皆無。むしろ、個性的な動きで見せる折神達のアクションをも楽しめるようになっています。
それでは、今回も見所を中心に追ってみたいと思います。
まずは、丈瑠と流ノ介の稽古風景から開始。
「稽古」と呼ばれるだけあって、アクション的にはそつなく行われ、ある種の緩さが感じられる仕立てになっています。
実は、この冒頭の稽古風景が、後半の対決シーンと良い対比になっているのは、皆様ご承知の通り。
そんな中、千明は、流ノ介が実は相当強いのではないかと気付きます。彦馬も、流ノ介の腕はかなりのもので、技術的には丈瑠を凌ぐかもしれないと評するのですが。
ことは「流さんの剣、綺麗やもんなぁ」
茉子「まぁ、教科書に載せるとしたら、流ノ介の方だよね」
彦馬「しかし、稽古は所詮稽古。殿の強さは戦いで培われた物...」
千明は、まだ本質を見抜くだけの眼力を有していない。ことはは、剣術に関する審美眼に優れるが素直に感動し過ぎる。茉子は、流ノ介の完成された剣術を認めつつも、丈瑠の実力との違いを直感している。
およそ、こんな風にキャラクターを分析できるかと思います。短いシーンですが、実によくキャラクター分けが出来ている秀逸なシーンです。
なお、「参りました」といちいち丈瑠に言う流ノ介は、実は丈瑠に少しばかり遠慮しているのではないか、と匂わせています。
これも、後の対決シーンにおける丈瑠の苦戦振りと対比されています。
さて、場面は変わって、三途の川。
六門船に腑破十臓が現れ、「シンケンレッドを狙っている」ことを血祭ドウコクに告げます。
一応、話を通しにきたという十臓。いわゆる仁義の切り方を示しているわけですが、往年の東映系の匂いがして面白いシーンです。
血祭ドウコクは、三途の川さえ溢れさせれば、結局シンケンレッドといえど仕舞いだとしており、
「それが俺の意趣返しだ」
と答えます。「意趣返し」とか子供には分からんですよね(笑)。十臓は、
「そうか。何も仕掛けてないのか」
と一言。
つまり、十臓は話を通しに来ただけでなく、血祭ドウコクがシンケンレッド=丈瑠に関してどういった感情を抱いているのか、探りに来たという側面もあるわけです。
骨のシタリだけは、その心中に薄々気付いているようですが、血祭ドウコクはあの調子なので、あまり関心がありません。
十臓と入れ替わるように、今回のアヤカシであるヒトミダマがやって来ます。ヒトミダマは、面白いものを見せるといいます。
その「面白いもの」とは、虎折神でした。
9話目にして、はやくも3体目の追加折神が登場したことになります。この虎折神、大胆にも四肢がドリルになっており、身体の中心にある秘伝ディスクを車輪にして走行するという機構。その特殊振りはクライマックスの巨大戦で堪能出来ます。
それにしても、白い身体に三途の川の赤い照明が映えますね。
ヒトミダマは、まず尾須森林公園に現れます。スキマセンサーの反応を元に、シンケンジャーが出陣。前半の迎撃戦としては至極オーソドックスに描かれていきます。
これがヒトミダマ。
顔面が透けてフード状になっており、その中に巨大な目玉が見えるというデザイン。全身の装飾も美しいのですが、キャラとしてはお調子者として描かれていて、そのギャップが面白いです。歌舞伎の見栄切りを模した動作を行う為、自然と流ノ介へのリンクを感じ取れるのも見事。
昔、「デンジマン」にメダマラーという怪物が登場しましたが、それの発展系とも見ることが出来、時の流れと技術の発展に感慨深いものを感じました。
そういえばメダマラーも人を操る怪物でしたね。
ヒトミダマは、大見得を切って虎折神を呼び出します。鞭を振るうことで猛獣使いの要素も取り入れているようです。
どうやら、虎折神は先代の戦いで血祭ドウコクが封印された際、それに巻き込まれて地割れに挟まってしまったらしく、それをヒトミダマが助けて操っているのです。
で、次の部分がちょっと分かりにくいのですが、ヒトミダマは、虎折神に施した術を、シンケンジャーにかけようとします。
この一連のシーン、虎折神はヒトミダマに助けてもらった恩を感じているのか、と一瞬錯覚させるような構成になっていて、今回の主な要素である「ヒトミダマの術」がやや弱くなっているのです。その為、流ノ介にかけた術と、虎折神にかけた術が、今一つリンクしない感じがします。ちゃんと、虎折神に術をかけるシーンは描写されているんですけどね。
で、その術には千明がかかりそうになるのですが、それを庇った流ノ介がかかってしまいます。
途端、流ノ介は千明を殴り飛ばし、シンケンジャーに襲いかかります。集団ヒーローものの定番ですが、冒頭に稽古風景があることと、流ノ介の丈瑠に対する忠義心の深さが前提になっている為、一際味わい深いものになっています。
丈瑠は流ノ介を飛び越え、「反」のモヂカラで術を跳ね返します。
そして、ヒトミダマに一太刀浴びせるのですが、虎折神の攻撃と流ノ介の攻撃の前にシンケンジャーは危機に陥った為、丈瑠は炎で目くらましをかけ、一旦退却することに。
流ノ介を元に戻す為、その元を断つという考え方は、理に適っています。ただし、巧くいかなかったことで、丈瑠は次に苦渋の決断をする羽目になるのです。
志葉家の屋敷に帰ってきたシンケンジャー。彦馬は、次に流ノ介が仕掛けてくるのは確実だと指摘します。
「殿、覚悟が必要ですぞ。いざとなれば流ノ介と...」
「分かっている...」
丈瑠の、この強気とは到底言えない微妙な表情が絶妙。しかし、この時の苦悩は、仲間と戦わなければならないという苦悩ではなく、実は流ノ介の命を奪ってしまうかも知れないという苦悩だったことが、後から判明します。
「仲間と戦わなければならないかも」というシチュエーションは、それこそ凡百の作品に登場しますが、さらに深く掘り下げているわけですね。素晴らしいです。
さて、また場面は変わり、六門船。
ヒトミダマが殊勲を主張する傍で、骨のシタリは十臓が気になると呟きます。その十臓、とある森を一人歩いており、
「ドウコクめ、気付いていなかったとは驚きだ。が、わざわざ教えてやる必要もあるまい。その方が邪魔にならん」
と独り言を。丈瑠に何か隠された要素があり、十臓だけが気付いているという構図です。勿論、視聴者にもその内容は明かされません。
十臓はさらに長刀・裏正を引き抜き、
「なぁ、裏正。肌が泡立つ程の戦い無くして、生きて三途の川に入った甲斐はない」
と続け、人間態になります。
遂に唐橋さんの顔出し登場です。相変わらず独特の雰囲気がカッコいいですね。
なお、「生きて三途の川に入る事」は彦馬によって否定されましたが、十臓はそれをわざわざやってのけたわけで、「不可能を可能にした男」として印象付けられています。
その行動が何を意味するかは不明瞭ですが、恐らく、生きたまま三途の川に入ることは、自らを外道衆へと転じることであり、普通の人間には耐えられないといったところだと思います。
その後、工事現場にヒトミダマが現れます。傍らには流ノ介の姿も。冒頭で述べたとおり、常にシンケンブルーの姿で居ることにより、表情のない傀儡的な雰囲気を強調しています。
ヒトミダマの反応を受け、丈瑠が既に出陣したと知った千明は、
「味方と平気で戦うことが強さかよ!」
と彦馬にせまるのですが、彦馬は、丈瑠が本気で流ノ介と戦うだろうと言うのでした。
千明は納得いかないまま、茉子とことはは最悪の事態に目を背けたまま出陣していきます。
彦馬も「本気で戦う」ことを強調していますが、これにより、丈瑠が流ノ介を倒すのではないかというドラマの導線が敷かれて行き、視聴者はやきもきすることになるのです。
ヒトミダマは、本気で戦わなければ流ノ介に腹を切らせると、丈瑠を脅します。これはいわゆるパラドックスで、丈瑠はどちらの道を選んでも、結果流ノ介はタダでは済まないことを意味しています。ヒトミダマの卑劣な作戦をどう打開するのか、ここで一気に興味を引かれることになります。
果たしてヒトミダマを欺きつつ、流ノ介を助けることが出来るのか。大方の興味はこんな感じでしょう。私もそうでした。しかし、この物語の結末はそんなところには落ち着きません。丈瑠は本当に「本気」だったからです。ヒトミダマを欺くという小手先の策を弄することなく、本気で流ノ介にぶつからざるを得なかった。それが今回の落とし処です。
そこに、千明、茉子、ことはも合流。
しかし、丈瑠は、
「やめろ!お前達は手を出すな。外道衆、余計な心配をするな。こいつは俺が倒す」
と宣言します。一応「倒す」と発言していますが、私が思うに、ヒトミダマを欺く(つまり丈瑠の「嘘つき」の面)ことと、もしかすると、流ノ介を本当に倒してしまうかも知れないことへの覚悟を、述べたのではないかと。
「大丈夫。流さん倒さはるなんて、きっと嘘や」
「だと思うけど、でもどう見ても本気だよ、あれ」
「何考えてんだよ、丈瑠のヤツ。いつまでも殿様の顔崩さねぇから、こういう時100%信じらんねぇじゃねぇか!」
というわけで、この3人が分析する丈瑠の姿はどれも正しいことになります。
流ノ介を倒すことは真意と言う意味では「嘘」。しかし、本気で事に当たらなければ、流ノ介はおろか、自分すら命が危ない。丈瑠の場合、どちらを悟られても不利になるので、ポーカーフェイスに努めている。つまり、3人は丈瑠のことを「分かっている」のです。千明のように、100%信用できるまでには至らないにしても。
丈瑠と流ノ介の戦いが開始されます。
このアクション、冒頭の稽古風景とは全く異なる、いわゆるサバイバルアクションといった趣向になっており、チャンバラとはジャンルを違えたものになっています。
70~80年代の東映特撮TVドラマは、よく採石場を舞台にアクションを繰り広げることが多かったですが、正に今回はそのアクションを彷彿させる「野外戦」的な趣が濃厚。志葉家の風景との対比が非常に巧く機能しています。
しかも、流ノ介の方が優勢に見えるように工夫されており、流ノ介の実力の高さをも示します。
しかし、そこに十臓が登場。
「勝負あったな」
と一言。
千明達は一様に流ノ介優勢という表層的な状況に目を奪われており、丈瑠が最終的に何を目的としているのか読めていません。そこを、十臓は鋭く指摘します。
「終わるのは、あの青い方だ。あの男、稽古熱心なんだろうが、そういうヤツはどうしても技に走る。一本取ろうとするんだ。無論、ゴミ一つ落ちていない道場で、行儀のいい試合をする場合はそれでいい。しかし、実戦は別だ。必要なのは、その場に応じた動き。そして、時間制限のない中での、体力の計算」
更に、丈瑠の構えは、腕の疲れを最小限にするには最適であると指摘する十臓。時代劇でも、アウトローな剣士がよくする構えです。つまりは邪道系。勿論、流派的にはアリらしいですが。
「一本を狙って来る相手が崩れる一瞬の隙、それを待っていた筈だ。ヤツは。一本ではなく、一撃を取る為に」
つまりは、流ノ介は「試合」向けの短期決戦&マニュアル志向型。丈瑠は「実戦」向けの戦略志向型。彦馬のいう丈瑠の強さは、意外にも十臓というキャラクターの言葉を借りて解説されることになったのです。
ここでの十臓は、クールかつ妙に温かみを帯びた語り口によって、敵役という印象をかなり抑制しており、実に意外な感じでした。十臓、なかなか奥深いキャラクターになっているようです。唐橋さんを起用しただけのことはあります。
そして、十臓の指摘通り、対決は結末を迎えます。
「流ノ介、耐えろ!」
丈瑠は、「反」のモヂカラを込めた秘伝ディスクを使い、流ノ介を斬るのでした。
すると、流ノ介からヒトミダマの術が抜け、流ノ介は我に返ります。前半でモヂカラを見せておき、ここで使って見せるという構成の巧さが光ります。
「やはりな。あの腕、俺の目に狂いはなかった」
と十臓。しかし丈瑠は安堵する千明達に向かって、
「ただ、モヂカラを撃ち込むチャンスを作れるかどうか。流ノ介相手にかなりの賭けだったけどな」
と呟きます。流ノ介相手に苦戦することが必至であった事をうかがわせます。また、一連のアクションでは、流ノ介へのダメージを最小限に抑える形、つまり「守り」主体で戦いを導き、流ノ介の疲れに起因する隙を狙うという、実に合理的な組み立てが為されていたことに気付きます。
流ノ介という駒を失ったヒトミダマは虎折神でシンケンジャーを襲撃。丈瑠は、出現した虎折神を獅子折神で迎え撃ちます。
他の4人はヒトミダマを迎撃します。
巨大戦と等身大戦が並行して行われるというシチュエーションがいいですね。
ここでまた「反」のモヂカラが登場。シンケンマルに「反」の秘伝ディスクをセットし、虎折神のコクピット(?)にシンケンマルをセットすることで、虎折神にかかっていたヒトミダマの術を解きます。この感覚的に納得できるビジュアル、見事です。
そして、「反」の秘伝ディスクが虎ディスクに。
兜折神、舵木折神、そしてこの虎折神と、様々な趣向で登場させてきましたが、それぞれ個性的で面白いと思います。
流ノ介達4人は、シンケンマル四連斬りでヒトミダマを撃破!
丈瑠不在でも強さを発揮するあたり、いい感じです。
二の目で巨大化するヒトミダマ。虎折神は、作った地割れにヒトミダマを落とすという戦法で翻弄。
「貴様、助けた恩を忘れたか!」
というヒトミダマの言う事も、ごもっともです(笑)。
ここでの虎折神、SFでいう単輪バイクがモチーフになっている為、折神でありながらダイナミックなカーアクション的要素で見せてくれます。しかも、大半がミニチュアによる特撮の為か、かなり迫力があります。
シンケンオーも登場し、すぐさまトラシンケンオーに侍武装します。
「トラシンケンオー・天下無双!」
基本的に侍武装は上半身のシルエットを変化させる為、アクション性能が犠牲にならず、ダイシンケンでの立ち回りを基礎とすることができます。それにより、いきなり飛び道具主体のパワーアップにならないという嬉しさがあります。
トラシンケンオーの必殺技は、驚愕の「虎ドリル突撃」。
これは派手な技ですね。
ただ、この巨大戦にはトラシンケンオーになる必然性がなく、単なるお披露目になってしまった印象は拭えないところ。
トラシンケンオーでなければ攻略できないという感じは、残念ながらヒトミダマにはありません。一応、ヒトミダマの強固な盾を砕くのに、ドリルが有効だというエクスキューズは用意されていますが、等身大戦ではさっさと斬り捨てられていますから、少々強引な気がします。
エピローグ。
流ノ介は自分に家臣の資格がないと言い、無理矢理連れ帰ろうとする千明達の腕を振り払おうとします。結構皆本気でやっていて痛そう...。
「もしかしたら私は、殿の命を奪っていたのかも知れないのか...なんてことを...なんてことを」
と座り込んでしまう流ノ介。
その態度に、溜息をつく丈瑠。流ノ介の「分からずや」な雰囲気を一喝するのかと思いきや、
「流ノ介、あれだけのモヂカラを打ち込んだら、お前は死ぬかもしれなかったんだ。俺はお前の命を勝手に賭けた」
という丈瑠。そして一言、
「ごめん...」
丈瑠の意外な言葉に驚く一同。勿論視聴者も驚きますよ。
すぐさま、
「これでこの話は終わりだ。もう二度とするな...いいな!」
といつもの丈瑠に戻ります。そして、流ノ介も、
「殿...勿体ないお言葉...」
といつもの流ノ介に戻り、
「殿~!」
といつものように丈瑠を追いかけるのでした。
この「ごめん」という謝罪の言葉は、「済まなかった」という言葉よりも数倍心に響きます。
何故か。
それは、目線が対等になっているからです。「済まなかった」或いは「済まない」という言葉だったとすれば、丈瑠が殿として家臣に詫びるという意味合いが濃くなります。しかし、「ごめん」という言葉は友達や仲間といった目線で発せられたものと受け止められるのです。
また、丈瑠の内情はどうあれ、結果的に丸く収まったのだから、多くを語らずとも支障はない筈なのです。それを敢えて「流ノ介の命を勝手に賭けた」と暴露してみせた丈瑠は、ようやく自分の心情を仲間に語れるようになってきたというわけです。
その辺りは、ナレーションがきっちり補完してくれています。
ラストカットは、丈瑠を鋭い眼差しで見つめる十臓の姿。十臓と丈瑠の今後が気になります。
通りすがり
いつも拝見させていただいており、その分析に関心することしきりです。
今回の記事でお書きになられていない部分で個人的に印象に残った点をコメントさせていただきますので、そのあたりお分析もしていただければ嬉しいです。
1、流ノ介の洗脳に成功した後の六門船のシーンでの薄皮大夫とヒトミダマのやり取り。
さっさと流ノ介に腹を切らせてシンケンジャーの戦力削減を提案する薄皮大夫に対し、普通ならしないことをするのが楽しいと答えるヒトミダマ。
このやり取りで、正義のヒーローの捕獲に成功した悪の組織がその命をいつまでも奪わないことへの視聴者からの突っ込みを回避するとともに、ヒトミダマの悪趣味な性格をより強調することに成功していると思う。
2、冒頭の剣術シーンと後半の対決シーンの決め技がほぼ同じ。
流ノ介が上段から打ち込んだところを丈瑠が巻き上げて胴を横薙ぎ。
同じ技で敗れるところに流ノ介の剣術のくせ、十臓の指摘通り、面による一本を狙うきれいな剣術を描写し、それを切り返す丈瑠の強さというのが道場と実践の場という両方で明確に描き出されていたのではないかと。
余談
今回の十臓のセリフから鑑みると、丈瑠の刀身を肩に担ぐ特徴的な構えは撮影現場でアクション担当によって作られたものではなく、脚本段階から打ちあわされたものだということが分かり、かなり驚いた。
平成仮面ライダーのある脚本家の脚本には戦闘シーンは「戦闘」としか書かれておらず、現場のアクション監督の裁量が大きいという話があったので。