タイトルは「マエカブ・ワダアキコ」と読む。歌手生活35周年記念盤。セルフ・カヴァー集である。個人的なことで告白すれば、このアルバムは「悩み無用!」目当てに買った。しかし、聴いてみると実に「和製R&B」していて面白いアルバムだった。
ベスト盤で分からなかった和田アキ子の魅力の構成要素が、このセルフ・カヴァーを聴いて分かったような気がする。それは、アレンジがどれだけファッショナブルになっていても、「日本の歌謡曲の歌唱法」を大事にしているということだ。勿論、和田アキ子が歌謡曲専門の歌手だという意味ではなく、歌謡曲の旗手たちが築いてきた歌唱法に、自身が愛するソウル・ミュージックの要素を取り入れてブラッシュ・アップさせているということだ。「オーソドックスかつダイナミック」というのは、実はここに起因している。
ソウル・シンガーの模倣であれば、他にも沢山のアーティストが輩出されているし、確かにうまいのだが、和田アキ子のうまさというのは、メロディの押さえ方やヴァイブレーションのダイナミックさという「機能的」なものだけではなく、日本人独特の「オモテ拍」を微妙にフェイクさせているところだと思う。実際「ウラ拍」を押さえることの出来る日本人は少ないというが、「オモテ拍」しか押さえないような実にくだらないソウルもどきが氾濫している中、和田アキ子のリズム感は天才的だ。「オモテ拍」はちゃんと押さえている。だが、感性的に微妙にフェイクしていて、実にグルーヴィな歌い方をする歌手だ。
ところで、このアルバムのアレンジメントだが、和田アキ子の魅力をよく分かっていると思う。「歌謡曲にソウルフルでジャジィなアレンジ」が主旨のようで、それはこの粋なセルフ・カヴァーにピッタリだ。ただし、「古い日記」と「コーラス・ガール」のアレンジメントはちょっと...。「あの鐘を~」と「だってしょうがないじゃない」、そして「抱擁」はシビれる出来。「あの鐘を~」ではサビを1小節ずらしてくるところなど「これぞセルフ・カヴァー」と言える内容。「だってしょうがないじゃない」は原曲の歌謡曲っぽさが抜けてメチャクチャにカッコいい出来!
このアルバムはデジパック仕様。しかも「代表取締役社長和田アキ子」の名刺付き! このCD、リサイタルっぽい雰囲気で構成されているのかと思いきや、何と株主総会だったというオチ付き! 粋な構成だ。
1枚ものとしては、和田アキ子最良のベスト盤。ヒット・シングルを時系列的に網羅し、根底にある魅力と時代による楽曲の変遷とが手に取るように分かる。
「和製R&B」が意味するところは、このベスト盤でほぼ理解できるだろう。まず、デビュー曲から検証してみると、割とオーソドックスなブルーズのリズムに乗って、実に生き生きと「日本の歌謡曲」が歌われている。それはかつてロカビリーを様々なシンガーがカヴァーしたのとは異なり、むしろ笠置シヅ子や美空ひばりが歌ったような和製ブギーの血を引くものとすれば理解しやすい。そこには、日本人好みのメロディーと、いわゆる「舶来モノ」のリズムが融合したときの何とも言えない快感がある。
「どしゃぶりの雨の中で」になると、さらにその傾向は強くなる。極めてブルージィなアレンジメントではあるが、メロディは日本の歌謡曲そのもの。「笑って許して」、「天使になれない」も同様の色が強い名曲である。「古い日記」に至っては、ジェイムズ・ブラウン顔負けのパワフルなソウルなのだが、やはり歌謡曲の要素がビシビシと響いて気持ちいいことこの上ない。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、和田アキ子が最も大切にしていると公言している曲だが、このアルバム中の白眉であろう。しかし、意外にも歌謡曲っぽさが希薄で、メロディ的にはシャンソンのようで優雅である。
問題は「雨のサタデー」以降の曲。ここからは、従来とは逆の発想を元に作られた曲が殆ど。つまり、歌謡曲そのもののアレンジメントおよびメロディを、和田アキ子がソウルフルに歌い上げるというもの。この代表的な成功例が「だってしょうがないじゃない」、「愛、とどきますか」である。前半と後半、好みは分かれるところかもしれない。
「天上天下唯我独尊!唯一無二の和製R&Bシンガー」
日本人なら誰もが知っている、「芸能界のゴッドねぇちゃん」。タレントとしての側面を強く感じさせつつも、紅白歌合戦に必ず出場したり、精力的なツアーを行うなど、歌手としての知名度も高い稀有なエンタティナー。
そのダイナミックな歌唱力は聴く者を魅了し、ヒトが気持ち良く感じる音域をダイレクトに突いてくるキーを備えている。ともすれば、その歌唱力が嫌味になる危険性を孕んでいるのにもかかわらず、決してそうならないのは、意外と素朴でオーソドックスな歌唱法にあると言える。紅白でノーマイクの歌唱を披露したのがその好例だ。
実は、その「オーソドックスかつダイナミック」という点に和田アキ子の魅力を求めることが出来るのだが、それは、ここでご紹介するCDのレヴューにて述べたいと思う。
これからも、是非ともカッコいい「和製R&B」を聴かせて頂きたいものだ!
8人イエスから再び離散が起こり、ラビン体制の90125イエスが残留した。「ロンリー・ハート」、「ビッグ・ジェネレイター」を制作したメンバーの手による本作は、それら2つのアルバムとはかなり赴きの異なる作風となった。
勿論、ラビンのヘヴィでハードなポップ・ミュージック趣向は全編に漂っているが、「ビッグ・ジェネレイター」程あからさまではなく、イエスとしてのアイデンティティ、つまりプログレッシヴ・ロック・グループという肩書きの雰囲気が存分に感じられるアルバムとなっている。これは、「結晶」で既に示された方向性であり、ABWHとの交流がこの音を作ったのだろう。現に「結晶」で聴かれた90125イエスの楽曲の雰囲気は、本作と大差ないように思われる。
「コーリング」や「ステイト・オブ・プレイ」といったキャッチー路線はもはや無敵の印象。ラビン無しにはありえない旋律の美しさとアレンジメントの重厚さが映える傑作である。一方で、「リアル・ラヴ」や「ホェア・ウィル・ユー・ビー」のようなABWHを想起させるような曲もあり、必ずしもラビンが一方的にプロデュース・ワークを行っていたわけではないことが感じられる。
そして、本アルバム最大の問題作は最終を飾る大作「エンドレス・ドリーム」である。スピード感と重厚感をこれでもかと感じさせる開幕パートの素晴らしさは鳥肌モノ。泣きギターが唸る重厚な中間パートはタイトル・チューンでもある。最後のパートは奥行きを感じさせるバラッドとなっており、プロダクションの良さが光る。当時は「危機」の続編だとはやし立てられたのだが、「危機」とは全く世界が異なるのは一聴瞭然であり、アルバム全体の中にこの形態で配されたことに意味がある。90125イエス最後の輝きを是非とも感じ取っていただきたい。
アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ(以下ABWH)が次作を制作中、アンダーソンはキャッチーな曲がないことに気付き、こともあろうにラビンに接近、これがきっかけとなって90125イエスとABWHが合体、8人イエスが誕生した。ABWHの次作となる曲群にスクワイアがコーラスで参加し、90125イエスにアンダーソンがヴォーカルで参加することにより、本作が誕生した。
ファンのみならず、メンバーの評判もあまり良くない本作だが、それはダブル・プロダクションの無理な融合にあるのは間違いない。ということで、トータルな完成度という点では、オムニバス盤の域だと言えるだろう。
そこで、あえてABWHと90125イエスの楽曲を分けて聴いてみると、なかなか興味深い。1、2、3、5、8、10、11、12、13、14、15がABWH、4、6、7、9が90125イエスによるものである。ABWHは「閃光」で見られた緻密で粒子の細かいアレンジメントに、トニー・レヴィンによる「スクワイアの物真似」ベースとスクワイア本人のコーラスを加えて(実際は1、5、11のみ)、より本来のイエス・ミュージックに接近した印象。「ウェイティッド・フォーエヴァー」、「ショック・トゥ・ザ・システム」、「サイレント・トーキング」、「デンジャラス」のような佳曲が並ぶ。ハウのソロ「マスカレード」も素晴らしい。対する90125イエス側は、「ビッグ・ジェネレーター」を超える完成度を持つ楽曲ばかりで、このあたりは次作「トーク」への伏線とみて間違いないだろう。
このように、一曲一曲の完成度は高いのだが、無理やり一つにまとめてしまった為に、散漫なアルバムになってしまった。ABWHが単独で、そして90125イエスの曲が「トーク」と一緒に収録されていたら、と思うと興味は尽きない。
トレヴァー・ラビン体制に耐えかねたアンダーソンが、自身のソロ・プロジェクトとしてブラッフォード、ウェイクマン、ハウといった「こわれもの」「危機」を作り上げた仲間を集結させた。やがてそれはイエスそのものではないかという認識となり、ラビン体制のイエス(いわゆる90125イエス)とは異なるもう一つのイエスとして活動することになった。それが、このアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウというグループである。長いグループ名になったのは、無論本家90125イエスが存続していたからである。
さて、肝心の内容はというと、キラキラとした透明感を伴った粒子の細かい音が絡み合うようにして構成された、実に美しくダイナミックな曲群が並ぶ傑作である。それは、そのまま「危機」や「究極」といった傑作の特徴を継承したものだ。
イエスを名乗ったとした場合、このアルバムに欠けているのはスクワイアのベースとコーラスなのだろうが、決定的に欠けているのはアコースティック感である。この時期、ブラッフォードはエレクトリック・パーカッションに傾倒しており、ウェイクマンのキーボード・ワークも当然デジタル化されているわけで、所々では音の軽さが目立っている。ちなみに、ベースはトニー・レヴィンが担当している。レヴィンの起用は恐らくブラッフォード繋がり。
ただ、重量感という点をあえて軽視したとき、本作の美しさの突出振りがうかがえるのは間違いない。「テーマ」、「ブラザー・オブ・マイン」のようなこれぞ新世代イエス・ミュージックと唸らせるようなものや、「バースライト」や「クァルテット」のように各人の持ち味が存分に発揮されたもの、「TEAKBOIS」のようにアンダーソン趣味丸出しのものまで、実にバランスよく配された傑作アルバムである。
「ロンリー・ハート」をよりラビン色に染めたアルバムと言って、ほぼ差し支えないだろう。「ロンリー・ハート」ではアンダーソン、ラビン、スクワイアの三位一体ヴォーカルが実にバランス良く配されていたのだが、本作ではアンダーソンのヴォーカルがかなり部品化している(わざとそうしているようにも聴こえる)。
実のところ、ラビンの強引なイニシアティヴがプラスに働いている面も多い。「ロンリー・ハート」よりもさらにパワーに溢れ、押しの強いサウンドになっており、パワー・ポップというジャンルに限って言えば最高峰とも言える出来。各曲も実に個性的でいてキャッチーなのは驚きだ。
しかしながら、この辺り、イエスファンとして受け入れられるかどうかは大きく意見が分かれるところ。実に売れ筋なカッコいいアルバムなのだが、イエス独特のガラス細工っぽい繊細さがかなり後退しているような感じもする。「ロンリー・ハート」に「ドラマ」の大仰な作風をプラスしたような味わい。
この後、激しくメンバー集合離散を繰り広げるイエスだが、展開される音楽には、本作にあるようなパワー・ポップの要素が少なからず踏襲されているのが面白いところだ。
邦題からは、いかにも「ロンリー・ハート」に伴うツアーの様子をバッチリ収めたライヴ盤のようだが、かなり様相が異なる。ほぼ「オマケ」程度であり、ミニ・ライヴ・アルバムという形容が正しい。
実のところ、映像作品である「9012 Live(LiveはFiveの韻を踏んでいる)」のボーナス・トラック扱いだったようで、「The Solos」の副題のとおり、各メンバーのソロ・プレイが中心になっている。
しかし、このソロ中心というのがたまらなく面白い(逆の意見も多いが...)。ライヴでは各メンバーのソロ・プレイは定番で、各々のテクニックを披露して盛り上がるパターン。ここで特筆しておきたいのはラビンとイエスに戻ってきたケイ。ギター・ソロによって、ラビンのスタイルが、ハウとは明らかに異なるソリッドな速弾きスタイルであることが良く分かる。一方のケイは、ウェイクマンがあまりに派手なプレイヤーの為、評価が不当に低いが、実際のテクニックに遜色はないし、タイトなプレイはリズム主体となったこの時期のイエスにマッチしている。
コアなイエス・ファンとしては、押さえておいて損はない珍品。
このアルバムを初めて聴いたときの驚きは、キング・クリムゾンの「ディシプリン」を聴いた時に匹敵するものだった。
確かに、本作と「ディシプリン」の2作には共通点がある。共に、それまでのグループにとって明らかに異質な、それでいて強力な個性を持ったメンバーが加入している点。そして別のグループ名義で活動しようとしていたものが、結局「元サヤ」になったというパターンを踏んでいる点である。
ただ、クリムゾンの「ディシプリン」に比べ、イエスとしての違和感があまり感じられないのが本作の特徴。それは、ラビンのハード・ポップ・コンポーザーとしての個性が、イエスが常に標榜していたと思われる「ポジティヴ」に見事にマッチしたからに他ならない。リズムとしては基本的に8ビートがベースで、以前のような変拍子の嵐や細かな音符の重なりといったものは感じられにくいが、そこはトレヴァー・ホーン(!)による緻密なプロデュース・ワークによって、イエスの構築美感覚が完璧に発揮されている。
本作は80年代ロックにありがちな、独特の古臭さがないところが本当に凄い。イエスのアルバムの中で一番売れており、現在でもCMソング等に採用されている「ロンリー・ハート」など、絶妙なノリを湛えたチューンは酔える事必至。
イエスのベスト盤(またはオムニバス盤)としては、第2集ということになろうか。前作「イエスタデイズ」もそうだが、この盤も相当偏っている。「究極」以降のアルバムからは「不思議なお話を」の1曲のみ、後は「サード・アルバム」、「こわれもの」、「危機」からとなっている。ボーナストラックのライヴ音源にしても、例外なくだ。
実際、現在の視点に立ってみると、選曲が黄金期に集中しているため「ベスト」ということになろうが、当時の状況を考えれば「ドラマ」でイエスとしての個性を見失ったような状態に置かれたスクワイアが、この黄金期を匂わせる本作を編纂した、と言えないだろうか。「イエスショウズ」と同様の意図が感じられるとも言えよう。
スクワイアが編纂しただけあって、ベース(低音)がオリジナルよりブーストされており、随分とヘヴィな印象を受ける。しかし、真に重要なのは、ライヴ音源によるボーナストラックの「ラウンドアバウト」と「アイヴ・シーン・オール・グッド・ピープル」である。「イエスソングス」時期よりもさらに疾走感を増して演奏され、その興奮度は最大。オリジナル・アナログ盤では付録のシングル盤に収録されていた。