ナイトレイダーの面々は、TLTが自分たちにまでも記憶処理を施していたことを知り、スクランブルをためらった。しかし、被害を受ける街に成すべき事を説く和倉の言葉に、出動を果たす。ウルトラマンはメタフィールドを展開しようとするが叶わず、ビーストに苦戦。憐の命はあとわずかであり、確実にその力を失いつつあったのだ。TLTは事件のあった青葉地区を封鎖し、情報操作に奔走していた。松永の娘・葉月は父親の本当の仕事を知り、驚きと尊敬の念を抱くのだった。
沙羅は5年前の真実をナイトレイダーに語る。新宿で起きたウルトラマンとビーストの戦いは、来訪者によって大規模に封じられた。スペースビーストは高度な知性に宿る恐怖を求め捕食する性質があり、ビーストひいてはウルトラマンに関する記憶は全て消去される必要があったのだ。凪は、憎しみこそが恐怖に打ち勝つものだと断言するが、沙羅は、人を愛する心と人を慈しむ眼差しこそが恐怖に打ち勝つものだとして凪の言を否定した。
アンノウンハンドの目的は、憐の抹殺だと気付いた吉良沢。憐の抹殺を遂行すべくメガフラシが再び現れる。孤門は憐の元を訪れ、ウルトラマンになるのを止めさせようとするが、人を守るためにウルトラマンの力を使いたいとする憐に迷いはなかった。
憐はウルトラマンに変身し、メガフラシに立ち向かう。ナイトレイダーの援護も受け、善戦するもメガフラシには逃げられ、ウルトラマンはその場に倒れ伏してしまった。
真木舜一が託された想いに答えて世界を守り抜いたように、憐もまた多くの人々の思いを託されて戦っている。憐はその思いに答えることができることを確信し、沙羅は北米本部に戻っていった。その頃、真実を知った葉月と、やっと本来の親子の絆を取り戻した松永は、葉月の記憶処理に関して疑問を挟む余地がないことを既に悟っていた…。
一方、吉良沢は紅蓮の炎の中で吼える漆黒のウルトラマンをビジョンの中に見るのだった!
解説
全編鳥肌立ちっぱなしの今回。圧倒的なスピード感と、決まりすぎる各キャラの言動、燃える市街地でのバトル…。解説を書いているのがイヤになるほどの傑作エピソードだ。
まずは殆どのファンが待ちに待ったであろう、ウルトラマンとビーストの市街地でのバトル。本編中、2回にわたってウルトラマンの戦いが描かれるのは、ネクサスでは異例中の異例だが、それだけに興奮度は最高潮である。2回とも苦戦のうちに終わっているのだが、それぞれに見せ場が用意されており、手抜かりのないシーンが創出されている。建造物の破壊におけるミニチュア・ワークは劇場版にも劣らぬ迫力を持ち、円谷伝統の「映り込み」では何と布団の干されたマンションがちらりと登場。こういったところに一々感動するのがファンのサガである。
また、CGシーンから空中での格闘戦に持ち込まれるところでは、ウルトラマン第2話の対バルタン空中戦を思わせ、高空からの落下シーンは、本当に痛そうだったウルトラマンガイアの高空落下シーンを彷彿させ、メガフラシへの必殺キックは、ウルトラマンレオのレオキックとほぼ同じアクションで放たれる。ネクサスが従来のウルトラから距離を置いているのは承知の上だが、こういう描写に燃えてしまうのもまたウルトラファン心理だ。
続いて、各キャラの振る舞いについて。沙羅は一貫してクールな雰囲気だが、心の内に「愛と慈しみこそが憎しみを乗り越える力」という非常に熱い信念を抱いていることが判明。映画そしてTVでキーパーソンとしての存在感を不動のものとした。常に憎しみを抱くことで強くなろうとしていた、凪の長い苦難を解き放つ瞬間はとてもすがすがしい。沙羅が主張する強さこそが、デュナミストの本質なのかもしれない。露出回数は少ないものの、かなりのインパクトを残した海本は、プロメテの子の「父」であるという重大なキャラクターだった。憐の監視者(海本)の目的が、我々視聴者の抱く印象と真逆にあったことも驚きである。それと「成すべきことが何か考えろ」と一喝する和倉隊長のカッコ良さは必見だ。
そして遂に、憐がウルトラマンであることを瑞生が知る。「正体バレ」は、ウルトラシリーズにおけるクライマックスとして常々描写されてきたが、ネクサスに関してはデュナミストたちの正体が早々に(TLTの面々に)知れ渡る構造を採ってきたため、そのドラマは生まれにくかったと言えるだろう。しかしながら、瑞生と憐の関係はある意味「正体バレ・クライマックス」に相応しい関係であり、この部分での盛り上がりを期待してしまうところだ。
さらに、今回の終盤で突如「アンノウンハンド」のビジョンを吉良沢が幻視したことに止めを刺す。あれは、まさしく「ダークザギ」ではなかろうか。やはり「ウルトラマンノア」とネクサス・サーガは繋がっていたのだろうか!?
「鳥肌ポイント」は大体以上の点だが、最後に隠れた鳥肌ポイントを一つ。「沙羅の回想」という注釈付きでありながらも、真木を演じた別所哲也氏がクレジットされていたことだ。