佐久田恵は姫矢のことを気にかけていた。根来はそんな恵に、ビースト関連の-無論隠蔽されてしまった-事件をもう一度洗いなおしてはどうかと提言する。
姫矢は闇に堕ちていく孤門を救おうと懸命に語りかける。戦場で負傷し憔悴した姫矢を救ってくれたセラは目前で爆破の犠牲となり、その現場写真が高い評価を受けてしまった姫矢にとってトラウマとなった。姫矢は夜な夜な夢を見るようになり、夢の中でセラに導かれた先でウルトラマンの光と出会った。
「自分にも忘れたい過去がある。過去は変えられないが、未来なら変えられる」と話す姫矢だったが、孤門の「自分に関わった人が全て犠牲になった」傷は深く、結局孤門は憎しみを力に変えて戦う道を選択する。
その頃、ノスフェルがまたも出現。スクランブルするナイトレイダー。溝呂木も姫矢の前へ現れ、両者は光と闇の巨人となって戦いを始める。石堀と共に後方で迎撃を待つ孤門は、襲い来るノスフェルを撃つことが出来なかった。それは彼自身の迷いに起因しており、石堀は負傷してしまう。
「憎しみでは何も変えられなかった…」孤門は痛感する。一方、ウルトラマンはメフィストに苦戦していた!
解説
「悪魔」「悪夢」と異様なタイトルが続く。それは孤門を闇へ誘惑する「悪魔」、そして迷いにとらわれて何も出来ない「悪夢」だ。姫矢の光との出会いは夢幻の中で行われたかのようだが、これはセラのトラウマが繰り返される「悪夢」からの脱出のように描写されている。姫矢は「悪夢」から脱することで光を得たが、孤門はまだ「悪夢」の中に囚われている。この対比が鮮やかだ。
ここまでで明らかなのは、溝呂木が孤門を闇に適した人物だと目している事、そして姫矢は孤門が闇に囚われるべきではないと考えている事である。すなわち、光と闇のエージェントである姫矢と溝呂木が孤門にこだわっているということは、孤門は何か特別な存在なのかも知れないと想像できるのだ。様々なドラマを積み重ねて作り上げられていく主役、それが孤門なのかも知れない(孤門がデュナミストなのかという議論はとりあえず捨てておく)。
今回は姫矢のシーンが多かったが、それらは主に姫矢の過去についての描写であり、逆に現在の姫矢は、既に完成されたデュナミストの人格を備えていると考えられるだろう。このあたりが姫矢のドラマ性を希薄にしているものと思われる。姫矢はあくまで孤門を導かなければならない光としての存在だ。
一方、前回で凪と孤門は共感していたようだが、憎しみを力に変えることをためらった孤門に、凪は容赦ない怒りをぶつけた。溝呂木が凪に闇の要素を見出しているのがジワジワと見出せる印象的なシーンだ。そんな凪と孤門に一抹の不安を覗かせる隊長の描写も見事。
ところで、ウルトラマン対メフィストの戦闘は、前回の肉弾戦と見事な対比で描かれる超能力バトル。特に映画「ULTRAMAN」でのネクスト・ジュネッスを彷彿とさせる、空中からの三日月状光線(エースのホリゾンタルギロチンを思い出させる)の連射が爽快。CGの使用も巧みで違和感が全くない。やはりこのようなスピード感の充実は、敵が俊敏なヒューマノイドであることが大きい。