ストーリー
月より帰還するフェニックスネスト。ところが、地上からもフェニックスネストの姿が見えた刹那、怪しげな光に包まれ爆発四散してしまう。神戸よりジープを飛ばし、東京近郊に来ていた郷秀樹は、その様子を目撃する。報道はジョージのみが生還したと伝えた。
ベッドの上で目覚めたジョージは、フェニックスネスト内での惨劇、そして自分だけが空間転移によって地上に運ばれたことを思い出す。ミライとミサキ総監代行がジョージの元へ駆けつけると、ジョージは事の一部始終を話し始めた。仲間は全員無事だが、四天王の一人・デスレムによって囚われの身になっていると言う。地上におけるメビウスの完全なる敗北が、デスレムの目的であり、仲間を生還させる条件なのだ。ジョージはデスレムからのメッセージをメビウス伝える為に、一人地上へと解放されたのである。その時、市街地にデスレムが降り立ち、破壊活動を開始した。
ミライはウルトラマンメビウスとなってデスレムに立ち向かう。郷秀樹は、テレパシーでメビウスに警告した。メビウスは頭上に、不可視の球体の中に囚われたフェニックスネストを見る。戦慄するメビウスは戦意を喪失し、デスレムの思うがままになってしまう。勝負あったと見たデスレムは余裕を見せ、とどめを刺さずに一旦引いた。
ミライは悔しさをジョージに吐露する。そこへ市民が押し寄せ、不甲斐ないGUYSの代表として、ミライとジョージを責める。思い余ったミライは、仲間が人質となっていることを暴露。GUYSに対する市民の反感を煽ってしまう。世論には「市民の安全とGUYSメンバーの生命、どちらを重んじるのか」という批判が渦巻き始めた。ミライは、仲間の死を悼む市民の感情が、一転して仲間の生を非難する声へと変わったことに、疑問を感じざるを得ない。
フェニックスネスト内で、傷身のサコミズは「メビウスと人間の絆を断ち切るつもりなんだ」と、デスレムの企みを看破した。リュウは、「帰れなくてもいい」という言葉を飲み込む。しかし、マリナ、コノミ、テッペイも決意は同じであった。テッペイは、あらゆる周波数帯の電波を発信し、誰かがその電波を拾ってくれる可能性に賭けるという。テッペイは、それを「僕の最後の仕事」と称した。
その頃、ジョージはミライに「昔ウルトラマンになるのが夢だった」ことを語っていた。「守るってことは難しいが、ぶち壊すのは一瞬」そう言ってジョージは歯噛みした。
翌日、ミライは郷と会う。「仲間を救えなかったとき、自分自身と地球人を許せないかも知れない」と恐怖するミライに、郷は「それでいいんだ」と諭す。人間の美醜両面を知ってこそ、愛することが出来る。ウルトラ兄弟は、「守るに値する星」だと信じて戦ってきたのだ。
再びデスレムが出現し、人質を利用してメビウスを煽る。パニックに陥る市街。「きくち電器商会」の社長も避難しようとしたが、アマチュア無線の受信機にフェニックスネストからの通信が入ったため、直ちにTV局であるKCBに連絡。リュウの声は無線、TVを通じてミライに伝えられた。「メビウス、俺たちの分まで戦ってくれ」その声を聴き、市民は自分達の過ちに気付く。焦ったデスレムはフェニックスネストを破壊しようとするが、間一髪、郷がウルトラマンジャックに変身、デスレムの火球を防いだ。
メビウスは戦意を取り戻し、バーニングブレイブとなってデスレムに立ち向かう。メビュームバーストとスペシウム光線の同時攻撃によって粉砕されるデスレム。フェニックスネストもジャックの手により、無事地上に帰還した。
涙の再会を果たすミライとリュウ。郷は「GUYSという家があり、仲間が居る」と呟いた。一人、ジョージは郷の気配を感じて振り向いた…。
解説
帰ってきたウルトラマン、否、ウルトラマン二世、新マン、帰マン、帰りマン…いや、ウルトラマンジャック登場エピソード。実は、TVシリーズにて「ジャック」と呼称されたのは、今回が初。本稿では、本編に合わせて「ジャック」の名称を使用する。
「ウルトラマンジャック」の呼び名は、世代によって様々に異なり、それぞれの世代にそれぞれの主張がある。「ウルトラマンジャック」という名称は、元々タロウの為に用意されていた名称であった。「帰ってきたウルトラマン」の名称として初使用されたのは、映画「ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団」。以後、児童向け書籍展開、及び大多数の商品展開では、「ウルトラマンジャック」の使用が慣例となった。
さて、本エピソードは、メビウスにおける数々の兄弟客演エピソードの中にあって、比較的地味なポジションにあると言える。兄弟客演エピソードは、その程度こそあれ、ゲストウルトラマンがファンの期待に応えるべく大立ち回りをし、(タロウを除く)人間体が登場してファンの溜飲を下げるという展開を常としていた。しかし、「帰ってきたウルトラマン」というシリーズ自体が完結性の高い物語だったからなのか、旧シリーズの補完という醍醐味は全くなく、ニヤリとするシーンも驚くほど少ない。「ただ郷とジャックが出ただけ」それがファースト・インプレッションだと言われれば、それはそれで否定しようがない。
ゲストウルトラマンを度外視すると、登場するエキストラ的キャラクターが特定されすぎているという問題も含めて、直截な市民の感情描写が目立つものの、重厚な雰囲気に彩られた王道的展開。フェニックスネストを人質としたデスレムの心理戦は、思いのほか緻密な構成で描かれ、メビウスの心理的危機へとグングン引っ張って行く。途中、ジョージの心情、ミライの心情が吐露されるという、息継ぎの部分も、ドラマに良いテンポを与えている。
映像面も非常に意欲的である。デスレムによる破壊シーンは、ほぼアオリに統一され、市民の視点を強調していることが分かる。それに併せてミニチュアセットも緻密で、実景とのカットバックが非常に自然。またデスレムが、基本的に火球を召喚するのみというシンプルな立ち回りをする為、爆発効果が惜しみなく使われ、満足度の高い破壊シーン目白押しとなった。「アナログ特撮」の実力を見せる破壊シーンは、後述するジャックの「デジタル特撮」と見事なコントラストを成す。
では、「帰ってきたウルトラマン」の話に移ろう。
「帰ってきたウルトラマン」を彷彿させる要素は、郷秀樹、ウルトラマンジャック、そしてきくち英一氏。この中で、さすがに郷の存在は「帰ってきたウルトラマン」を継承するに充分な要素を備えていると言える。「GUYSという家があり、仲間が居る」というセリフは、帰ってきたウルトラマン・第33話「怪獣使いと少年」で「私にはMATという家があり、隊長という父があります」という郷のセリフを引用したものと思われる。また、人間の美醜を説く郷の姿には、様々な局面で人間関係の軋轢を経験した、郷ならではの達観を感ずることができる。
「帰ってきたウルトラマン」オリジナル・スーツアクター、きくち英一氏の登場は、「ウルトラマンが帰ってきた~」というセリフに代表されるように、「知る人ぞ知る」というマニア心をくすぐるファンサービスであることは論を待たない。「ウルトラマンネクサス」にきくち氏が登場した際と同様、何となく嬉しくなってしまうのは、ウルトラマンのスーツアクターだったという経歴のみならず、その独特な存在感故であろう。
問題は、ウルトラマンジャックその人だ。
まずは、郷が折角ポーズまで披露したにも関わらず、変身シーンが省略されてしまっていること。レオ、エースの変身シーン(80は、元々変身シーンがない)が、ある意味衝撃的だっただけに、物足りなさは一際大きい。主題歌のイントロは一部使用されたが、前回のエース変身シーンと比較すれば、その鳥肌度の違いは歴然。これではイントロも浮かばれまい。また、格闘シーンが一切無かったことも、非常に物足りないところだ。CGによる空中防衛シーンは、スピード感や質感において素晴らしい効果をもたらしているのだが、格闘戦が一切無いことに疑問を感じたファンは多いことと思う。格闘戦のオミットは、カラータイマー点滅の説得力をもスポイルしてしまっており、どうにもちぐはぐな登場シーンとなってしまった感が強い。
一方、注目すべき点もある。ジャックの掛け声が、何と団氏自身による新録となっていたことだ。由緒正しい(?)ライブラリ音源は使用されず、団氏のアフレコとなったことで、ジャックに新鮮かつ正統なイメージを与えることに成功している。ただ、前回のエースがわざわざ納谷悟朗氏のライブラリを使用した事実を考えると、この処理には疑問も残る。益々「新マン」のイメージから遠ざかったと、旧来ファンからは厳しい意見も聞かれそうだが…。
最後に、蛇足的チェックポイントを一つ。「KCB」というTV局が登場するが、これは「ウルトラマンガイア」にセミレギュラー登場する放送局と同一。ロゴまで同一だ。この「遊び」は、ジャックのゲスト出演というイベント性を考慮すると、大いに疑問。郷の乗るジープがMATジープを連想させるという仕掛けがあるだけに、イメージの統一性という面で配慮を欠いた処理だと思う。
データ
- 監督
- 村石宏實
- 特技監督
- 村石宏實
- 脚本
- 太田愛