Space.43「聖夜に誓うヨッシャ、ラッキー」

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 この時期は、クリスマス編として派手に振り切ったバラエティ編になるか、総集編を展開して年末商戦に活を入れるか、はたまたその年最後の放映ということで、ある種のクライマックスを入れてくるか...という、いわゆる「常套句」が存在するわけですが、今シーズンは「クライマックス」を選択しつつも、一旦ストーリーが途切れるような(年明けからの展開に蛇足感を与えるような)構成ではなく、あくまで最終決戦シリーズの一編に徹していました。

 しかしながら、扱うテーマは非常にヘヴィであり、クリスマス編としてはかなり沈鬱なものとなりました。クリスマス要素は、最後の最後、ラッキーを元気付けるという名目でクリスマスパーティの様子が挿入された程度。全編に亘ってラッキーとアスランの真の再会を情感たっぷりに、そして悲壮感たっぷりに描きました。

メカマーダッコ

 年末のクライマックス感、一端を担っていたのはこのお方。遂に、退場となりました。

 不死身の刺客として登場したマーダッコですが、再生する度に性格が変わるという難しい要求に対し、喜多村英梨さんが抜群のお芝居で応えていたのが印象に残ります。最終形態のメカマーダッコは、再生能力を捨てて強化された機械の身体を手に入れたという設定でしたが、何となくツルギの過去に似ているあたりが興味深いところですね。

 ドン・アルマゲが、宇宙を消滅させ、自身が新しい宇宙の創造主となることを目指しているという真意を聞くに及び、遂にマーダッコはその鉄の忠誠心に揺らぎを覚えることになりますが、ドン・アルマゲへの恐怖には勝てず、当たり前のように盾になり、当たり前のように巨大化して散っていくという、何となく物悲しい最期を遂げました。オラオラ系の勢いある口調だったので、そのあたりの悲惨な感覚は巧く相殺されていましたが、ドン・アルマゲによる「使い捨て」が露わになる瞬間であり、やはり倒すべき巨悪はドン・アルマゲであると、強く印象付ける結果となりました。

 こういった感覚は、「チェンジマン」のゴズマや、「ゴッドマーズ」のギシン星の成り立ちに通ずるものがありますね。まあ、チェンジマンが対抗するゴズマの感じさせる組織規模は、地球から遙か宇宙を見上げたときの感覚を巧く利用しているので、今回とはスケール感に違いがありますけれども。あの当時にあれだけのスケール感を醸成していたのは凄いと思いますね。「キュウレンジャー」は宇宙を縦横無尽に駆け回るというダイナミズムで売っていますが、むしろ「ダイオージャ」の諸国漫遊に近い牧歌的な雰囲気が漂っているので、「チェンジマン」と比べると、何となくブライトネスが強いというか、明るく賑やかな作風になっていると感じます。

ドン・アルマゲ

 今回は、アスランに取り憑いていた、ドン・アルマゲの分身体の一人(?)と決戦が行われます。一方で、ツルギとの「会談」を望むドン・アルマゲ(本体?)は、その正体をツルギに明かし、前述の「創造主」の野望達成を急ぐ形で早々に姿を消すことになりました。

 アスランへ憑依していた分身体は、ホシ★ミナトたちに憑依していたものと同様、現在のキュウレンジャーをある程度苦戦に追い込む実力は有しているものの、やはり勢いを止めないラッキーたちの敵ではない印象。勿論、ラッキーたちが勝利に至るプロセスは丁寧に描写されており、各個の得意技を活かして徐々に突破口を開いていく展開は、アクションでストーリーを語るポリシーの一環として、非常に高く評価出来るシーンでした。

 当然ながらこの展開が、ドン・アルマゲという存在の矮小化をも招いているのは、かねてより指摘している点ではあります。ただ、今回は「ツルギにのみ明かした驚愕の正体」という新トピックが用意されていたので、巧く悪い印象を回避していましたね(笑)。個人的には、ここに来て意外な新トピックでしたので、早く続きが観たいところです。

 ただし、その「正体」は既に多くの点でわざとバレるようにされていたように思います。ドン・アルマゲが突如一人称を「僕」に変化させたり、背中に生えた羽がいかにも「黒い鳥」のものだったりと、いかにも「彼」であることを匂わせていました。そして次回の舞台がカラス座系というのも...。

 完全無欠なツルギが「人」になるきっかけを与えたであろう「彼」が、何故ドン・アルマゲなのか、興味は尽きませんね。

ラッキーとアスラン

 ドン・アルマゲ戦と同様、ラッキーがアスランを救うに至るプロセスも、非常に丁寧な描写に彩られていました。「やはりこうでなくては」と思わせるカットが随所に見られ、実に見応えのあるシーン作りが行われていたと思います。

 アスランを救うにはそのマスクを割れば良いという、非常に単純明快な方法論が巧く作用し、一点集中で目的を達成していくハイテンポな構成がワクワク感を煽ってくれました。都合、今回でアスランのお話は完結することになるため、山崎銀之丞さんという素晴らしいキャスティングを得つつも勿体なさを感じてしまう点は否めません。しかしながら、その説得力に溢れる芝居により、ラッキーが乗り越えるべき山たる存在感は抜群に発揮されていました。

 「ヨッシャ、ラッキー!」というセリフは、使いどころによってはギャグになりかねない危険なワードだと思います。ここに情感を込めるということがいかに困難であるか、我々自身が芝居気たっぷりに言ってみれば分かるというものです。それを、「父であることを確認して噛み締める」かのように呟く素晴らしさよ! ここで、幼少期のラッキーに対して常にこのワードを言い続けていた父の愛情が感じられるわけです。

 「父として何もしてやれなかった」と悔いるアスラン。最後にラッキーを逃がして犠牲になることで、やっと「父らしいことを息子にしてやれる」と誇らしげな笑みを浮かべることができた...という図は壮絶に過ぎ、正直なところ「何も殺さなくても...」と思うところはありました。クリスマス編としても似つかわしくないテーマですし、年の瀬には寂しすぎる展開です。ただ、割と淡々と進んでいく攻略戦の中にあって、こうしたウエットな展開は感情を描くために必要だったとも思えます。結果、ラッキーにとっては辛い出来事になってしまいましたが、ハミィがフォローしたように、アスランを救ったことに相違ないという論理もまた真であり、小太郎主催(!)のクリスマスパーティで笑顔を見せるラッキーもまた、この出来事で救われたと見て良いと思います。

 悪として立ちはだかる父を救うという展開は、ダース・ヴェイダーそのままと言え、今際の際のヴェイダーに対して救えなかったと嘆く息子ルークに、「既に救ってくれた」と返すところまで含めて相似形を為します。結局、この図式は普遍性のあるものだと言えるわけですね。今回もそれは成功していたのではないでしょうか。

次回

 次回は年明けとなります。本年も大変お世話になりました。年明けからの「キュウレンジャー」はあと少しとなりますが、引き続きよろしくお願いいたします。