ブレイブ35「チョーすげぇッ!ギガントキョウリュウジン」

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 「キョウリュウジャー」一年間お疲れ様でした。大団円は盛り上がりましたね。

 ...と思わず言ってしまいたくなるような一編でした。それもその筈、最終回の定番要素がてんこ盛りなのです。

 逆に、本エピソードが最終回でない「証拠」として挙げられるのは、ロボの新形態が登場した事(最終回のみのスペシャル合体はマーチャンダイジング的に有り得ない)、キョウリュウシアンとキョウリュウグレーが敗北したままである事、ダンテツの不在、マッドトリン登場という次回への引き、デーボス軍の健在。とまぁ、こんなものです。つまり、これらさえちょっと解決してしまえば、立派な最終回(笑)。

 しかし、ここまで盛り上げてしまって、この後どうするのかという心配は、不思議とありません。

 「最終回のような」エピソードが何度か登場するシリーズとして、直近の「ゴーバスターズ」を想起しますが、そうしたエピソードの後、急激に失速感を感じさせて苦しんでいたような印象のある「ゴーバスターズ」とは異なり、今シーズンはグイグイと盛り上げている印象。今回程ではないですが、既に「キョウリュウジャー」もクライマックス風のエピソードを数度重ねています。しかし、失速感は皆無。真のクライマックスをきちんと見据えて、展開を計算し尽くしている結果なのか、それともクライマックスを迎える毎に盛り上がる潜在的なパワーの高さなのか、とにかく「キョウリュウジャー」には失速という言葉が全く当てはまりません。

 「ゴーバスターズ」以前には、「ゴセイジャー」が敵組織を模様替えする事で節々に最終回的なエピソードを挿入していましたが、「ゴセイジャー」こそ、この「一巻の終わり」を使う事の危うさ、怖さといったものを体現しているシリーズだと言えます。キャラクター造形やビジュアルの良さ、私が個人的にシリーズ随一だと思っている音響設計の素晴らしさがありながら、一年を通した展開にモタツキが感じられるのは、「一巻の終わり」を経た後のインパクトに著しく欠けていたからだと分析出来ます。

 「ゴーバスターズ」は「ゴセイジャー」とは少々事情が異なり、最終目的である巨悪の打倒が繰り返されるという、悪く言えばルーチンワーク的な構成になってしまった辺りに問題がありました。それぞれのクライマックスには、肉親との別れ、「約束」の完遂、本当の事件収束といった、それぞれの役割があってドラマ的に盛り上がるのですが、如何せん敵の描写が著しく弱く、戦隊本来の「戦い」にメインテーマを見出すのが困難だったように思います。

 これらのシリーズと比べた時、「キョウリュウジャー」は「一巻の終わり」の語法をフル活用して盛り上げながらも、それが単なる通過点として成立するよう配慮されている事が分かります。今回は、この「一巻の終わり」の語法が物凄く色濃いのですが、それでも全体を総括してみれば単なるギガントキョウリュウジン登場というパワーアップ譚に過ぎないという匙加減。これなんです。シリーズ内でそのエピソードをどう位置づけるのかというポジショニングの妙こそが、「キョウリュウジャー」の肝だと思います。

 今回の件の語法ですが、まず、これまでメインメンバーと交流のあったセミレギュラー、あるいはゲストが顔を出し、ヒーローのメンタルに大きな影響を与える事。

 これは、戦隊シリーズでは「チェンジマン」が初めて方向性を示した語法であり、ゲストキャラクターが「解放」あるいは「レジスタンス」の象徴としてヒーローの元に集結してくる展開には、言い知れぬクライマックス感が漂っていました。次に顕著だったのは「ダイレンジャー」ですが、こちらはヒーローのメンタルに影響を与える存在として、ゲストがセミレギュラーに昇格する展開をシリーズ通してやっていたので、最終回だけ特別だったわけではありません。

 この語法が顕著だったのは、むしろ「ウルトラマンティガ」以降のウルトラシリーズ。インパクトのあるゲストキャラクターをキーパーソンとして再招聘し、最終編を否応なく盛り上げるという手法を、繰り返し用いています。

 この語法のメリットは、これらの傑作エピソードを俯瞰すれば自ずと見えてきますが、デメリットもあります。それは、シリーズを通してしっかり見ていないと、「これ誰?」となってしまう事であり、その意味でややマニアックな語法になってしまうわけです。ただし、これは普通のドラマや海外ドラマではごく当たり前の手法でもあるわけで、言うなれば、この語法を用いる特撮シリーズは、ややハイターゲット寄りという事になるのかも知れません。

 そう。「キョウリュウジャー」はハイターゲット寄りの側面を持ちながら、必要十分に幼児向けコンテンツである...。今気付きました。凄い事です。

 続いて、難攻不落の巨敵の前に絶対的な危機に陥る展開。これは盛り上がる為の常套手段として「仮面ライダーX」辺りからずっと用いられてきた定番中の定番ですね。

 今回の面白い処は、敵(ガドマ)の圧倒的な闇の力のみならず、その呪いの力によって、キョウリュウジャー自体が弱体化していて、二重の危機になっている点。実際、カオスが秘石を早々に諦めてしまうくらいにまで、キョウリュウジャーは強くなっている為、単なるパワーインフレを避ける意味でも、この措置は見事だと思いました。メロディを乱されるというテーマ性の体現も素晴らしく、ビジュアルだけでなくサウンドで納得させる事が出来るのは、「キョウリュウジャー」の強みだと思います。

 そして、この危機を打開するのが「人々の応援の声」というダメ押し。これぞ、最終回らしさを最高潮に到達させるもの。実は、このパターンは戦隊よりもウルトラに顕著で、「ウルトラマンティガ」の最終話において、全世界の子供が光となってティガと一体化するという、当時の空気では「到達点」を示すものでした。今ではやや気恥ずかしい感があるものの、後の作品にも大きな影響を与えていると思います。

 今回の場合、優子やジェントルを中心とした応援が説得力抜群であり、さらに応援の声と手拍子がギガントキョウリュウジンの合体シークェンスにてBGMと相互作用するよう演出され、否応なく盛り上がるシーンを創出していました。ごく狭い世界で行われている戦いと結束からは、あまりスケール感を感じられませんが、オープンセットでガドマの威圧感を強調するアングルが多用されている為、ビジュアルでのスケール感を見せられる事となり、舞台の矮小化とは無縁です。乱されたメロディを、整然たる応援の声で本来あるべき姿に戻し、さらなる高みに至らせるというロジカルな展開と相俟って、見事なクライマックスだったと思います。

 さて、一週空けての次回は、今回の引きであるマッドトリンとの対決、そしてキョウリュウシルバーの登場が予告されています。まだまだ牽引力を上げ続ける「キョウリュウジャー」、一体何処まで行くのか!?