epic49 「未来への戦い」

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 最終回の一話前というのは、否応なく盛り上がるもの。極端な事を言ってしまえば、話の出来不出来に関わらず、土壇場の迫力に引きこまれて行くのが常。

 今回もこのパターンではあったわけですが、実際に中身を見てみると、これが意外な程に(失礼)ちゃんとしていて驚きました。

 確かに、相変わらず敵味方問わずベラベラ喋りまくっているし、ブラジラさんも、護星天使達の心が折れそうな場面でボーッと見てないで、さっさとトドメを刺せよとか、緊張感を殺ぐような構成は目立ちますが、あえてバトルで押しまくらない事によって、最終回への期待を煽っている「静」の描き方は、なかなか良かったのではないでしょうか。

 特に良かったのは、カッコ良すぎるブラジラと、護星天使の使命の再確認へのくだり。

 今回は甘口ですよ。では続きにて。

 今回は、敵側に関してはブラジラのみが登場というシンプルさ。最終決戦手前ということで、これまで登場した敵組織のボスキャラが、怨念となって総登場というサービスもありましたが、皆同じ光線を発射するとか、結構ぞんざいな扱いだったのが残念でしたね。

 さて、このブラジラが実にカッコ良かった事には、諸兄諸氏も異存ないでしょう。

 飛田展男さんの声質は、他のアニメ等でお馴染みのように、ソフトでヌケの良い声質。クールな二枚目から優しい親父、はたまたエキセントリックなキャラクターまで、声色を変化させながら演じ分ける巧者です。この辺りは、カミーユ・ビダンと丸尾末男を比較すれば、どれだけ幅広いかが分かると思います。

 今回のブラジラも正に適役。

 悪のボスとしての風格もさることながら、出自が護星天使であるという面は、その上品な声色によって肉付けされており、正に孤高の存在たるキャラクターに仕上がっています。非常に冷酷でありながらも、どこかに落ち着いた包容力のようなものを感じさせるのは、飛田さん故でしょう。

 造形に関しても、いわゆる「悪のボス」とは一線を画すデザインが素晴らしいと思います。

 今回は、天使の翼が効果的に演出されていましたが、この翼によって、より一層高貴な雰囲気が増幅され、ブラジラが護星天使である事を印象づけています。ボスキャラの質量としては、等身大ということもあって小粒なのですが、これだけ図体の小さい者が、あらゆる天装術を操ってゴセイジャーを追い込んでいく迫力は、ボスキャラに相応しいと思います。一見、冷たい雰囲気を除けば、敵キャラに見えない処がポイントになっているのではないでしょうか。

 このデザインの方向性は、例えば「悪キャラに見える司令官」だった「チェンジマン」のユイ・イブキとは対極にありそうな気がします。いや、ユイ・イブキがカッコ悪いと言っているわけではないんですけど(笑)。

 で、ここでやや深読み的な気付きがあるのですが、ブラジラに与えられた雰囲気というのは、実はアラタに近いのではないかということ。

 ブラジラは、恐らく当時の護星天使の中で最強の力を持った「ゴセイレッド」的な存在であったものと考えられます。一方、アラタは現在のゴセイジャーのイデオロギーを体現する存在で、今回の描写にもあるように、護星の使命を誰よりも強く感じており、例え生身でもブラジラの攻撃をはねつけるという、秘めたる最強の実力者です。

 そして、二人に共通しているのは、包容力。これははっきりと描写されているわけではありませんが、ブラジラは前述の通り、どことなく優雅な包容力を感じさせ(故に、ダークヘッダー達は恭しくブラジラに追随していた)、豹変する前の性格が、アラタのそれに近い感じを受けるのです。一方のアラタも、そのあまりにも楽観的な優しさが、何度かゴセイジャーの危機を救ってきました。人一倍悩みも怒りも多かった彼ですが、それも含めた懐の深さというものが感じられます。

 なので、アラタとブラジラは似たもの同士。そう考えると、今回描かれた「護星の使命」に関する展開は、かなり深みを帯びてくると思います。

 ブラジラは、ことごとく他者の能力を奪取し、他者を排除することで力を身につけてきましたが、一方のアラタは、例え自分が弱い存在であっても、他者との関わりを重んじ、他者との連携によって大きな力を発揮しようとするわけです。

 今回象徴的だったのは、ハイド達が自分の天装術をアラタに与えて殉死しようとするくだり。ここでのブラジラは、それを止める事もなく、自分と同じではないかと高笑いするのですが、これはかなり高度な筋運びだったと評価出来ます。

 図らずも、ブラジラは護星天使の先輩として、後輩であるアラタ達を蔑視しつつも導いてしまっているわけで、ここに護星天使という存在の面白さが凝縮されているように思うのです。

 アラタは、ハイド達の申し出をキッパリと断るわけですが、ここでアラタの抱えるポリシーが完璧なものになったと言っていいでしょう。これまで、何となく「仲間」というキーワードを連呼していて、あんまり中身が伴っていない印象がありましたが、今回でようやく「ゴセイジャー」における「仲間」という言葉の意味が明確になりました。

 まさか、土壇場でこれをやる為に、今まで曖昧にしてきたわけではないでしょうけどね(笑)。

 そんなわけで、アラタとブラジラにとって、やはり「他者」である地球の人々に対するポリシーも、ここで完全に差別化されたわけです。良かったですねぇ。ヘッダーの扱い云々を語っていた時には、どうなることかと思いましたが。

 さぁ、次回はとうとう最終回です!