epic33 「恐怖のマトリンティス帝国」

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 新章突入。「機械禦鏖(ぎょおう)帝国マトリンティス」なる敵組織が登場しました。

 ウォースターから幽魔獣への移行は、ブレドラン→武レドランを介し、一定の繋がりを以て行われましたが、このマトリンティス帝国に関しては、ウォースターや幽魔獣とは直接の関わりがなく、単に前組織を「露払い」と称するなど、結構どうでもいい感じで処理されていて、不満。

 数ある敵組織交代劇を見渡しても、必ず何か引っ掛かりを設けて、その交代に関するイベント性を高めていますが、今回、前組織と関わっているのは、なんとビービのみ!しかも、巨大化の共通メソッドを引き継ぐ必要があるというだけ!ここは、武レドランの第三形態を持ってくるべきでしょうに…。まぁ、まだ武レドランの去就については、まだまだ予想出来ませんけどね。

 肝心の本編の内容ですが、新しい敵が登場して大ピンチに陥るというよりは、幽魔獣編の後日譚あるいはエピローグ的な内容となっており、その意味でもマトリンティス帝国のインパクトはやや薄いものと言わざるを得ません。

 ウォースター、幽魔獣と、難敵をその団結力の強化によって打ち破ってきたゴセイジャーは、もはや無敵だというテーマが今回あった為、トリを飾る(?)強大無比な敵である筈のマトリンティス帝国の先鋒は、初戦で簡単に敗れてしまい、「アレレ?」という具合になってしまいました。

 一方、「ゴセイジャー」の世界観やテーマ性を確認するという面は、なかなかの完成度だったのですが…。

 その辺りのアンバランスさについて、言及してみようと思います。なお、運動会シーズンで疲労が溜まっているので、やや短文で(笑)。

 新たな敵、マトリンティス帝国の最初の刺客は、シールドのザンKT(ザンケーティー)。今回から、もうネーミングソースを探らないことにしました(笑)。もう、初回から全く分からないので諦めました。

 このザンKTが誕生するプロセス、そして出動前にデモンストレーションをするシーンは、非常に完成度が高い。今回のビジュアル面での白眉はこのシーンだと断言しちゃってもいいくらいだと思います。

 機械帝国という、もう特撮TVドラマでは古典の部類に入る設定だけに、現在のテクニックで描かれる「機械の描写」に興味津々でしたが、素晴らしい成果をあげていたのではないでしょうか。

 誕生プロセスも勿論ですが、その実力を幹部級の「エージェントのメタルA(アリス)」に誇示するシーンが凄い。まさか、幹部の身体の一部を破壊してしまうとは。素晴らしいインパクトです。その後、何事もなかったかのように復活するメタルAのクールさもカッコいい。このシーンの作り込みによって、従来、何となく人間味を払拭できなかった「機械帝国」に、完全なる冷徹さが与えられた気がします。

 マトリンティス帝国のボスは、10(テン)サイのロボゴーグ。小杉十郎太さんの起用は嬉しいですね。前述の人間味の話になりますが、どちらかというと、小杉十郎太さんはキャラクターの人間味を誇張するタイプ(ネタにされるようなオーバーな言い回しが有名)だと思うので、この危ういバランスが余計にキャラクターを際立たせているような気がします。

 さて、冒頭にも触れた、「ゴセイジャー」のテーマ性の確認についてですが、これは5人の護星天使それぞれが、帰路を絶たれた護星界への郷愁を交えつつ、地上に対する思いを確認するという構成になっています。それぞれの語る内容が、これまでのエピソードを充分踏まえた内容になっていて、心地良いのです。

 本編ではやや分かりにくいですが、彼等の語る内容は、あくまで「マトリンティス帝国が現れない」事が前提ですので、お間違いなきよう。

 ハイドは、朴念仁だった当初から、現在に至るキャラクター変遷を踏まえ、幸せがもたらす人間の笑顔と、人間の笑顔がもたらす幸せについて言及。笑顔についての興味が、いささか学術的な響きを持っている辺りが、ハイドらしくて実に良いです。ハイドが見出した地上にとどまる意味は、笑顔についての興味や関心でした。

 アグリとモネの兄妹は、それぞれの年齢に応じた達観にて、地上にとどまる意義を受け止めている模様。以前より何度も指摘して来たことに、この兄妹は、キャストの年齢が透けて見えるという難点があったのですが、今回、ちゃんとアグリが兄、モネが妹に見えました。それはやっぱり、モネが背伸びしていないという要素を織り込んだからだと思います。「自分は子供」だと言い切ってしまいましたからね。ちなみに、この二人のトレーニングのシーンは、簡単なようで物凄くアクロバティックな事をやってます。スタント、キャストのカット割が抜群。

 エリは、護星界に帰りたいと、はっきり言い切っています。しかし、護星界に帰る時に持参する「お土産」がまだまだ足りないと思っており、その為に地上にとどまる意義は大いにあるとしています。エリらしく、護星界への帰還の手段に関しては何の心配もしていない上、例の夢の話にあったように、少々の萬集癖を持ち合わせている彼女らしい発言だったと言えるでしょう。

 最後にアラタ。アラタも護星界には帰りたいと思っており、望を心配させます。望の心配は、地上に居ることがアラタにとって苦痛なのではないかという事。しかし、アラタの真意は、護星天使が地上で活躍しない平和な世界こそが、地上の本来あるべき姿だとするものでした。エピローグでは、護星天使はあくまで地球を守る者であり、地球を育むのは、地上の命ある者達だというテーマを語っています。

 実は今回、アラタが「ゴセイジャー」のテーマを最も雄弁かつ端的に語れる人物だったわけで、常々やや曖昧なキャラクターであるアラタが、たまに突出してテーマの代弁者となるパターンに則った事になります。

 というわけで、アラタ以外のキャラクターは、もう揺らぐことはなさそうだと分かります。アラタも固まったと言えるかも知れませんが、アラタというキャラクターはホンによって(時に監督によっても)扱いが変わってしまうので、極端な話、最終話まで見守るのが良いかと。

 問題は、望なんですよねぇ。

 私、前回で高らかに盛大に「視聴者と同じ目線の代表」とぶちあげてしまいましたので、今回の望について、どう説明して良いやら悩んでしまいます。

 今回の望は、ゴセイナイトとの関わりを持つことで、一介の少年ではなくなってしまいました。「ゴセイジャー」のテーマ性を外部から回転させる役割を持ったゴセイナイトに、内側から揺さぶりをかけるキャラクターとして望が選抜されたわけです。

 ゴセイナイトは、マトリンティス帝国が汚染源であると認識出来ず、攻撃を躊躇します(幽魔獣は、例え汚染能力を持たない個体であっても、存在自体が汚染源だったと解釈されたわけですね)。その結構短絡的な思考の鉄板に、望がジワジワと風穴を開けていく展開であろうと予想出来るものの、正直、これまでの望の役割からすると、かなり飛躍している感は否めません。

 一方、護星天使に一人ひとり接するシーンは、単に望の興味が発展したものであるからして、これまでと整合性がとれており、問題ありません。絵を描くという方便を除けば、完全に視聴者代表ですからね。

 ゴセイナイトと望の接近は、視聴者視点からの飛躍を意味しているのだとすれば、「ゴセイジャー」の物語構造は、一通り幽魔獣編で完成した事になります。そして、マトリンティス帝国編が、「続編」をワンシリーズ内でやってしまう贅沢な構成を企図しているとしたら…。

 それはそれで面白いかも知れませんね。個人的には、それぞれの内容が薄くならない事を祈っていますが。