epic32 「究極の奇跡を起こせ!」

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 幽魔獣編最終回ということで宜しいか。

 とにかく、膜インと筋グゴンが倒され、エルレイの箱も消滅したことになり、これで幽魔獣の根は絶たれたわけです。

 「ゴセイジャー」は、敵組織が変遷していくシリーズですが、その境界がいわゆる1クール13話程度という括りではなく、もう少し暦に歩み寄る感じで段落を付けているので、やや中途半端(要するに、区切りがついたかどうかが分かりにくい)。演出自体も、何か匂わせて終わるというのが常套句のようなので、余計に幽魔獣が全滅したかどうかが今一つ明瞭ではありません。例えば、今回ならばビービの巣(?)がまだ残っているという具合です。

 そして、予告で新組織が登場すると判明。予告でようやく幽魔獣編が終わったと気付かされるわけで、構成的にどうなのかと苦言を呈したくなるのは、私だけではないでしょう。

 しかしながら、今回は全体を通してなかなか完成度が高いと思います。

 完全に最終回のノリでやっているということもあって、テンションも高め。あらゆるシーンのそこかしこに気合の入り具合が感じられ、見る方もグッと引き込まれる感覚がありました。

 というわけで、気分がいいので(笑)、今回は珍しく、望というキャラクターの意味が生きたという視点で、話を進めていこうと思います。

 前回、やはり膜インは倒されていませんでした。

 何と、膜インはわざとゴセイジャーのゴセイパワーを受け、それを吸収して四散、エルレイの匣の力によって世界中に飛び散り、粘菌ネットワークを形成して地球そのものと一体化しようと目論んでいたのです。

 今回は「設定のダイアログによる説明」だけではなく、ビジュアルも端的で明快なものが作成されており、これまで小粒な印象が否めなかった幽魔獣のボス・膜インの強大さが、ここにきてようやく開花したと言っていいものになっています。

 この膜インの陰謀を砕くべく、護星天使達が戦いを挑む構図になっているのですが、そこに望の誕生日パーティが、ごく薄~く関わっています。

 少なくとも今回において、この「薄~く」という感覚が宜しい。

 以前私は、望が殆どストーリーの根幹に関わらない事に対して、色々と批判して来ましたけど、今回、望の役割が非常に明確だった事で、正に目からウロコとなったのです。

 今回、望は誕生日パーティをアラタ達と一緒に楽しむ事を第一に望んでいます。アラタ達の聞いている処では、幽魔獣打倒を優先して欲しいという発言をしますが、本音はアラタ達に早く戻ってきてパーティを一緒に楽しみたい。

 そんな望の望み(ややこしい)は、やがてマスターヘッドに伝わり、それがゴセイジャー達の目の前に大きな奇跡となって現れるわけです。

 この展開から分かる事は、望が、いわゆる主人公に密着して示唆を与えるようなタイプのキャラクターではなく、小さな望みを持って一日一日を生きている、普通の人間の代表だということ。

 望自体、ウォースターや幽魔獣絡みの事件に巻き込まれる事は殆どなく、ゴセイジャーが戦っているという理解はあるものの、それは人間の理解を越えた部分で展開されている程度の認識しかしていないのです。

 これはつまり、ゴセイジャー達に対して人間代表としてエールを送る役ではなく、極めて利己的に、しかし友人としてのデリカシーは保って、ゴセイジャーと接する役だということです。

 それならば、天知博士の護星天使に対する蒙昧振りも、理解出来るというもの。天知博士は、ごく普通の人間である望の、ごく普通のお父さんである以外の、何者でもないのです。だって、自分の子供の友達について、あれこれ詮索しないでしょ?父親って。

 以前、天知親子を、ゲストキャラがレギュラーの体裁をとっている構図として貶めましたけど、実はこの二人、ゲストというポジションはとっくに超越していて、たまたま護星天使と接点のある、傍観者代表としての側面が強い事に気付いたのでした。

 そうすると、過去のエピソードも含めて、随分見通しがスッキリしてきます。

 今回は、たまたまマスターヘッドに、ごく普通の人間・望の、小さな望みが伝わりました。マスターヘッドは、この世界では守護神のような存在であり、あまねく人々の幸せの芽を摘みとることを、良しとしません。視聴者の分身に近いキャラクターの意志が、「ゴセイジャー」世界の完全超越者である存在に伝わる、ミクロからマクロへの視点移動のダイナミックさが、今回の白眉となります。

 望のポジションがはっきりする事で、ようやくアラタのポジションもはっきりしてきます。

 今回は、レッドらしい言動も散見されるものの、やはりメインとなるのは望との繋がりでしょう。アラタは望の元に帰る事を目標に幽魔獣に挑み、望もそんなアラタの帰りを待っています。ごくごくプライベートな視点が、やがて世界を救う端緒になるという、私の大好きな展開となったわけです。

 これはつまり、今回望がプライベートな視点を一貫して持ち続けたことにより、アラタもその視点で向きあうことが出来た結果だと思います。アラタは、使命云々を振りかざす事はあっても、やっぱり望の友達だ(=視聴者に近いレッドだ)というキャラクター性が、ここに来てようやくはっきりと見えてきたような気がします。…まぁ、これから先、裏切られる可能性は多々ありますけど(笑)。

 さて今回は、類稀なるビジュアル面についても多くの言及が必要です。

 まず、膜インが作り出した「幽魔ホール」の表現。これはもう、宇宙刑事シリーズの魔空空間、幻夢界、不思議時空のイメージでしょう。ロケーションの瞬時の切り替えや、逆回し等を用いたシュールで不思議な映像表現は、およそ不可能な映像表現がなくなってきた昨今への、ある種のアンチテーゼになっていて興味深い処があります。

 また、膜インの本体が心臓として浮遊する空間は、昭和仮面ライダーシリーズにおける、不気味な「首領の本体」をイメージさせ、ある種の懐かしささえ漂わせていました。また、スタジオのホリゾントにカラフルな照明を激しく揺らし当てるという表現は、前述の宇宙刑事的な表現だと言えます。

 このシーンの膜インは、いわば逆さづりになった状態なのですが、タレ目で頭頂に口吻があるというデザインが逆転する事になり、つり目で下部に口吻がある状態となり、その恐ろしさを増幅させています。これは実に創意工夫に富んだ処置だと思います。

 さらに、巨大戦が凄い。

 ゴセイアルティメットの変形シーンは、最近では珍しいフルミニチュア処理。システマティックに変形していく様子は、往年の戦隊ロボを彷彿とさせます。デザイン的には、デルタメガやタイムジェットγ等を思わせますね。

 今回の巨大戦、オープンセットのカットの物凄い巨大感は勿論、スタジオ撮影におけるミニチュアセットに、これでもかという程に気合が入っており、本当に最終回のノリなのが凄いのです。

 ごく私的な話ですが、最近発売された「ウルトラマン80」のDVDを見ていて、ミニチュアの精度の凄さを目の当たりにし、「もうこんな豪華なミニチュア特撮にはお目にかかれないだろう」などと寂寥感を感じていた処に、これですよ!

 まぁ、必殺技が安易だとか、そういった面はもう最近の戦隊では当たり前なので目を瞑りますけど、とにかく今回の巨大戦の情景的なリアリティは、「どうしちゃったの?」と身を乗り出すくらいの凄さでした。正に「80」の情景が蘇ったかのようでした。

 最後に、天の塔の礎がゴセイアルティメットになった事により、天の塔自体の建造の目処が立たなくなり、しかも、マスターヘッドまでも姿を消してしまうという事態になりましたが、ここはどうも説明不足。データスのセリフだけで説明されているという、膜イン側の手厚い扱いとは違う、妙に安直さの残る処理でした。

 従って、ゴセイジャーが孤立無援という状態になった事も、今一つ伝わっておらず、その後のパーティの賑やかさで余計に霧散してしまいました。この要素は、かえって次回に回した方が良かったのではないかと思いますねぇ。

 さて、いよいよ次回からは「マトリンティス帝国」なる一団が登場。どういう展開になるか、楽しみです。