GP-49「最終ケッセン」

 ヘルガイユ宮殿にて、ヨゴシマクリタインとケガレシア、キタネイダスが乾杯していた。ヨゴシマクリタインによる、本格的なヒューマンワールド殲滅作戦がいよいよ開始されるのだ。

 ボンパーは、大翔が消滅する際のデータを元に、ヨゴシマクリタインの「正義解散」を解析したが、膨大なエネルギーを消費していることしか判明しなかった。早輝は食欲をなくしていたが、走輔は「今だけは皆のことを忘れろ」と言い、連は「今は食べて元気付けるっす」と言って早輝を励ます。3人はサーキットで出会った頃に戻って、もう一度戦う決意を固めた。そこに蛮ドーマの大群襲来の報が入った。3人はスピードル達相棒と共に出撃していく。

 スピードル、バスオン、ベアールVは蛮ドーマを順調に落としていくが、蛮ドーマは際限なく現れる。エンジンオーを完成させて迎撃するゴーオンジャーだが...。

 実は、蛮ドーマはヘルガイユ宮殿にある「デウス・ハグル・マギア」から生み出される膨大なエネルギーにより、無尽蔵に生み出されていたのだ。ヨゴシマクリタインからその存在を聞き、驚くケガレシアとキタネイダス。

 ゴーオンジャーは蛮ドーマの大群をひとまず撃退したものの、炎神達の巨大化リミットを迎えてしまった。そこに現れたヨゴシマクリタイン、キタネイダス、ケガレシア。ゴーオンジャーとガイアーク大臣の決戦が開始された。走輔 VS ヨゴシマクリタイン、連 VS キタネイダス、早輝 VS ケガレシアの激闘が繰り広げられる。だが、やはり大臣達は強力であり、ゴーオンジャー達の勝機は見えない。しかし、大翔、美羽、軍平、範人も一緒に戦っていると常に感じていた走輔は、連にカウルレーザー、早輝にブリッジアックスを手渡し、自らはロケットダガー二刀流を構えた。走輔は皆のことを忘れてなどいなかったのだ。3人の一撃がヨゴシマクリタインをとらえる。ところが、ヨゴシマクリタインはキタネイダスとケガレシアを盾として攻撃を防いだ。更に、二大臣の意思を奪って意のままに操り始め、特攻させる。その攻撃の前に危機を感じた走輔達は、隙を見てひとまず退却するのだった。

 無限に出撃してくる蛮ドーマの対策を練る中、短時間に蛮ドーマ出現が予測できることを逆手に取り、連はガイアーク探知機のエリアを最大に広げることを提案する。探知機のエリアを最大に広げると、探知機は短時間で故障してしまうが、その前に蛮ドーマ出現を感知できる筈。それにより、敵の本拠地を探ろうというのだ。その目論見は図に当たり、蛮ドーマ出現と共にヘルガイユ宮殿の場所を探知することが出来た。3人はサーキットでの出会いを思い出し、生きるも死ぬも一緒の、最高の仲間であることを確認し合った。そして、エンジンオーで海中を進み、ヘルガイユ宮殿へと向かう。

 ヨゴシマクリタインは、キタネイダスとケガレシアをウガッツ以上に思ったことはないと言い放つ。捨て駒呼ばわりされた2人は、ヨゴシマクリタインに対する怒りを募らせていた。ゴーオンジャー侵入に伴い、ヨゴシマクリタインと共に2人も迎撃する。だが、やはりヨゴシマクリタインはキタネイダスとケガレシアを捨て駒として扱い、自分の盾となるよう命じた。無体な仕打ちに抗う2人を、ヨゴシマクリタインは強力ビームで貫き、その先に立つ走輔達に炸裂させる。ヨゴシマクリタインは、ムゲンゴミバコから取り出すエネルギー源をあと一口食べれば「正義解散」が使えると告げた。その時、ケガレシアがムゲンゴミバコを鞭で奪い取り、キタネイダスがそれを破壊! キタネイダスは「ガイアークに独裁者はいらないゾヨ!」と言い放ち、ケガレシアは「わらわたちが目指したのは、蛮機族全員が気持ち良く暮らす理想のゴミ世界。仲間を踏みにじるお前に、そんな世界は作れないでおじゃる!」と訴えた。怒ったヨゴシマクリタインは、2人を容赦なく斬り捨てる。2人はデウス・ハグル・マギアの存在を走輔達に教え、ヨゴシュタインの待つ世界へと旅立って行った。ボンパーによれば、デウス・ハグル・マギアを破壊すれば、究極の揺らぎに変えられ、ヒューマンワールド内に波動レベルで存在している大翔、美羽、軍平、範人や炎神達を元に戻せるという。

 デウス・ハグル・マギアのエネルギーが満ちる部屋で3倍の強さになったヨゴシマクリタイン。走輔、連、早輝は微塵も恐れることなく、デウス・ハグル・マギア破壊の為、果敢に立ち向かっていく!

今回のアイキャッチ・レースのGRAND PRIX

 スピードル!

監督・脚本
監督
渡辺勝也
脚本
武上純希
解説

 盛り上がり最高潮のクライマックス前編。正義側のキャラクターは走輔、連、早輝、そしてボンパー、悪側のキャラクターはヨゴシマクリタイン、キタネイダス、ケガレシアに絞られ、シンプルに、しかし重厚にドラマが紡がれていく。パワーバランスを全く考慮しなければ、3対3の対決構造となっており、理想的な構図になっていると言えよう。

 プロットも至ってシンプルであり、ヨゴシマクリタインが「デウス・ハグル・マギア」の存在に言及(当初から存在していたというオチが笑える)し、キタネイダスとケガレシアは自分達の存在意義を否定されたまま戦いへと駆り出される。走輔、連、早輝の3人は、目前の脅威に対して全力で立ち向かい、やがて敵の本丸に辿り着く手立てを得る。王道中の王道と言っても良い、ヒーローモノ最終回の定番だ。

 そんな中、今回、真に注目すべきはガイアーク側である。

 敵側の内乱は、特撮ヒーロードラマでは好んで描かれてきた題材であり、東映版「スパイダーマン」や、戦隊黎明期における「ジャッカー電撃隊」「電子戦隊デンジマン」「太陽戦隊サンバルカン」にて、上原正三氏が得意とした作劇パターンである。このパターンは手を変え品を変え登場しており、後半の盛り上がりを演出する格好の素材となっている。このパターンの弱点は、敵側のドラマが重くなるにつれ、ヒーロー側のドラマが希薄になってしまうという点にある。前述の東映版「スパイダーマン」など、最終回の主役は敵組織の女幹部・アマゾネスなのだ(演ずる賀川雪絵氏渾身の演技が、これまた素晴らしい)。この弱点は、例えば「デンジマン」においては味方側に犠牲者(デンジ犬アイシー)を出したり、「サンバルカン」においては敵ボスに生身の上司が止めを刺すといった衝撃展開を与えるなどでカバーするという手法もある。このあたりのさじ加減は実に難しいところで、パーフェクトに成功しているシリーズは数えるほどしかないと言っても過言ではない。

 「ゴーオンジャー」では、当初シンプルな勧善懲悪の図式を企図していた。ところが、ガイアーク三大臣のアドリブ合戦や、ケガレシア役の及川氏の独特の和やかな雰囲気により、その図式は不安定となり、ガイアーク側には「タイムボカンシリーズ」の三悪のような魅力が生まれてしまった。つまり、正義側に倒されるに相応しくないキャラクターへと変化してしまったのである。ヨゴシュタインは、思想を徐々に過激化していくことで正義側に倒される理由を作って退場したが、元々穏健派の印象の強いキタネイダスや、顔出し出演のケガレシアに関しては、そのような方向に持っていくことが困難となったようなのだ。

 この解決として、まず挙げられるのが「正義側との和解」や「殺さない選択」であろう。いわゆる、敵側含めてハッピーエンドというこのパターンが最初に登場したのは、「恐竜戦隊ジュウレンジャー」ではないかと思われる。それ以降、敵側が全滅しないパターンというのは確実に増えていき、悪なりの「落とし前」は付け難くなっているように見受けられる。「ジュウレンジャー」が悪いとは言わない。曽我町子御大の大ファンである私にとって、彼女の演ずる役が死なないというパターンは驚きであり、喜びであった。当時はまだ、変則パターンとして受け入れられたのだ。だが、半ば「落とし前を付けずに終わる」ことが常態化している昨今においては、前作の「獣拳戦隊ゲキレンジャー」と「ゴーオンジャー」は、示唆に富むものとして評価できよう。

 「ゲキレンジャー」では、平たく言えば敵側のメインキャラクターが正義側に寝返った。しかし、寝返ると同時に自らの罪を罰する覚悟を決め、壮絶に散っていった。これはこれで非常に美しく悲しい散り際として強い印象を残した。が、敵側のキャラクターは素面での演技であると共に、ギャグ要素があまりなく、キタネイダスやケガレシアとは全く別種の感情移入を許す存在であった為、「生き残りパターン」の似合うキャラクターに仕上がっていた。その為か、この壮絶な散り際に関しては賛否両論溢れかえったのは記憶に新しい。「落とし前を付ける」方向性は至極真っ当だったと思うが、視聴者の共感を得られなかったという分析が出来るだろう。

 一方、今回披露されたパターンは、「正義側との和解」でも「殺さない選択」でもない、いわば東映版「スパイダーマン」のパターンだ。東映版「スパイダーマン」では、女の情念を燃やすアマゾネスのインパクトが強すぎ(というより、この感情の機微はもはや子供番組の範疇を逸脱している)、スパイダーマンと敵ボスの決戦が何となくショボいものとなってしまった。しかし、「ゴーオンジャー」では、最終局面でいきなり参入してきた大ボスという、感情移入を一切許さないキャラクターを据え、これまで視聴者に愛されてきたキタネイダスとケガレシアの「華のある死」を演出しようという意図の上での展開となっている。これは、キタネイダスとケガレシアのイデオロギーを曲げることもなく、また、正義側に手を下させずとも「落とし前を付ける」ことを可能にし、更に散り際に見せる仲間意識によって喚起される感動をも約束する。しかも、それ以前に全力で正義側とぶつかり合っているからか、このシーンではある種、スポーツの勝敗を見ているような感覚すら覚えることとなる。つまりは、勧善懲悪の形式として、悪側のキャラクターには散ってもらい、それでなお、視聴者の共感を得られる最高の散り際を演出してみせたのだ。早輝が、力尽きたキタネイダスとケガレシアの手を繋げてやるというシーンは、G3プリンセス等でケガレシアとの共感が描かれているだけに、違和感がない。ここで早輝が涙を流さないのも良い。早輝の心中はある種複雑であった筈だが、早輝の真の目的は仲間の救出であり、ケガレシア達に同情することではないからだ。直後、メットを拾い上げて走輔と連を鼓舞する姿は、静から動への転換としてこれ以上は望めないほど完成されたテンポで魅せてくれる。

 さて、今回の大部分はアクションシーンで占められる。蛮ドーマの大群を炎神のコンビネーションやエンジンオーで撃退していく場面は、最終局面ならではの派手で完成度の高い演出を見せてくれる。炎神の時間制限も巧く利用されており、巨大戦から等身大戦へとスムーズに移行。等身大戦では、ゴーオンジャー VS ガイアーク大臣の一大バトルが展開され、このバトルの充実度が異様に高い。まずは連 VS キタネイダス。キタネイダスのあのスーツが身軽に動き回る様がまず圧巻で、連の「さすがは大臣」というニュアンスの発言をビジュアルで示している。ここでまず、ガレージランチャーが無効化される。続いては、早輝 VS ケガレシア。鞭攻撃に留まらず、体術をも披露するケガレシアの強さが凄い。早輝の攻撃を受け、回避する際に及川氏自身が果敢なワイヤーアクションをも披露。ガイアーク大臣の強大さを見せ付けた。ここでも、早輝のレーシングバレットが無効化される。最後は走輔 VS ヨゴシマクリタイン。パワーで押してくるタイプの為、動きこそは少ないものの、その分ゴーオンレッドの動きを過剰にすることでスピーディさを確保している。走輔がサーベルストレートを繰り出す際、いつものバンクシーンの背景を使いつつ、ヨゴシマクリタインに弾き返されるという丁寧なシーンが登場。この丁寧なシーンを経て、ロードサーベルも落とされた。

 そして、3人の武器が使えない状態になったところで、他のメンバーの武器が登場するという演出がニクい。しかも、そこに絆といった言葉を絡めることで、威力の倍加を感じさせるのが巧い。結局、この一撃はキタネイダスとケガレシアを盾としたヨゴシマクリタインによって弾かれるが、ここからキタネイダスとケガレシアの離反が決定的になる。アクション編でありつつ、有機的に動いている要素を挙げればキリがないほど、シナリオは濃密だ。直後の、「クグツカイライ政権」によって「カ・シ・コ・マ・リ」と操られる二大臣も実に不気味。このシーンでは、2人の本質が機械であることを突如再認識させられる。機械の認識を与えられつつも、燃え盛る弾丸として扱われる二大臣に、視聴者は同情を喚起される筈だ。

 土壇場で、大翔、美羽、軍平、範人、そして消滅した炎神達が、波動の状態で存在しているということが判明する。「ゴーオンジャー」は、ブレーンワールド宇宙観など、最新の宇宙論や物理学を利用してファンタジーに仕上げているという面を有するが、この土壇場でも「波動」という物理学的な用語が登場した。ここで言う「波動」とは、存在と不在の間を確率的に揺らいでいる様子のことを指しているらしく、ヒューマンワールドに存在しつつも、物体として存在できる状態ではない「かも知れない」状態である。SFとファンタジーの間で物語を紡いできた「ゴーオンジャー」に相応しいエクスキューズであり、その状態を「デウス・ハグル・マギア」が支えているとすることで、本拠地に乗り込む意味をも持たせている。実に合理的かつクライマックス的な状況を作り出した手腕に拍手だ。

 なお、走輔、連、早輝の3人に一際キラリと光るシーンがある。それは、スローモーションでゴーオンジャケットを着用するシーンだ。かなりのスローモーションで捉えているのだが、3人ともまるでブレることなく、カッコ良く着用している。しかも、タイミングまでシンクロしていて、出撃の前哨シーンとしては非常に完成度が高かった。最終決戦までの盛り上げも充分すぎるほど充分だ。