GP-39「郷愁ノコドモ」

 ヤタイバンキの作りだすお祭り空間に惹かれた子供達は、次々とその虜になっていく。幻想的な空間に立ち並ぶ出店にすっかり夢中になった子供達は、突如ヤタイバンキの綿菓子袋に捕らわれてしまった。ゴーオンジャーは子供達が次々と消えていく、この奇怪な事件の捜査を開始する。

 ヤタイバンキの展開する作戦は、キタネイダスの考案したものであった。キタネイダスによると、子供達を沢山集めてお祭り好きに変えてしまい、大人になっても毎日お祭りのことしか考えられなくする作戦だという。その間、世界は汚れ放題となるのだ。名付けて「毎日がお祭りワッショイ作戦」。ガイアークもお祭り騒ぎだ。

 ゴーオンジャーはいくつかの手掛かりを元にガイアークの仕業だと推理する。そんな中、走輔達とは別に捜査していた範人と軍平は、ふと祭囃子を聞く。2人はヤタイバンキの空間へと入りこみ、その楽しそうな雰囲気に呑まれていく。

 一方、江戸時代の扮装をした兄弟・晴之助と昭之助は、街をさまよっていた。弟の昭之助は刀を背負っており、兄弟でそれを守り抜くのだという。その晴之助と昭之助も、祭囃子に惹かれてヤタイバンキの空間へと入って行った。

 範人と軍平は空間内で晴之助と昭之助に出会う。範人は、晴之助が射的で手に入れた汽車の模型を見て、行きたい所へ連れて行ってくれる乗り物だと2人に教える。その時、バルカが異変に気付いた。バルカによると、外部との通信も遮断されているらしい。だが、身構える間もなくヤタイバンキが正体を現し、範人と軍平を急襲。危機に瀕する2人だが、突如異空間が破れた。走輔達がキシャモスの能力で異空間を突破したのだ。

 範人と軍平は走輔達に状況を説明する。が、ヤタイバンキが逆襲に出た。ゴーオンジャーは総出で迎撃を開始する。その戦いの中、晴之助と昭之助はキシャモスを見て、範人の「行きたい所に連れて行ってくれる」汽車のことを思い出した。昭之助は晴之助と共にキシャモスに乗り込み、コクピットのレバーを乱雑に動かし始める。昭之助は「ふるさと」に帰りたいのだ。範人と軍平は慌ててキシャモスに飛びつく。キシャモスは、2人の兄弟の故郷であるサムライワールドへと行くつもりらしい。だが、次元の壁を破るにはパワーが足りず、結局範人や昭之助達は強制下車させられ、キシャモスは炎神キャストに戻ってしまった。晴之助はキシャモスソウルを懐にしまう。同じ頃、走輔達もヤタイバンキの猛攻にひるみ、退却を許してしまっていた。

 ヤタイバンキの活躍に湧くヘルガイユ宮殿に、晴之助と昭之助を狙う雷々剱と獄々丸がやってきた。雷々剱と獄々丸は、探し物を手伝ってくれれば作戦に協力すると申し出る。キタネイダスは申し出に渋い態度をとるが、獄々丸は子供が大人になるまで何年かかるんだと指摘。キタネイダスはその鋭い指摘を受け、直ちに「のんびりした作戦」を撤回、雷々剱と獄々丸への協力を決めた。雷々剱と獄々丸によれば、晴之助と昭之助を探し出し、持っている剣を手に入れれば無敵の力が手に入るという。キタネイダスとケガレシアは自ら晴之助と昭之助を探し始めた。

 晴之助と昭之助は、悪者から大切な剣を守る為にヒューマンワールドへと逃げてきたという。範人は2人の労をねぎらい、昭之助にたくさんのお菓子を手渡した。軍平は昭之助の背負う剣に見覚えがあり、剣を詳細に確かめようとするが、逆にその行動によって晴之助に疑念を抱かせることになってしまう。晴之助と昭之助は範人と軍平の元から逃げ出してしまい、ヤタイバンキも出現。晴之助と昭之助、そして範人と軍平は完全に分断されてしまった。晴之助と昭之助の前にはケガレシアとキタネイダスが現れ、言葉巧みに誘惑して剣を奪う機会を窺う。だが、範人にもらったお菓子が落ち、それを踏みつけるケガレシアを見た晴之助と昭之助は、ガイアークの真意を見抜き、彼らの元から逃亡する。

 範人と軍平に走輔達が合流し、勢ぞろいしたゴーオンジャーだが、ヤタイバンキには苦戦を強いられる。そこに晴之助と昭之助が現れ、持っていたキシャモスソウルをゴーオンジャーに返した。カンカンバーによって逆転を果たすゴーオンジャー。ヤタイバンキに捕らわれていた子供達も無事戻った。巨大化したヤタイバンキは、お祭り空間でエンジンオーとガンバルオー、そしてセイクウオーを翻弄するが、お祭りの遊びに長けた範人と軍平がガンバルオーで2体を救出。3大ロボのコンビネーション攻撃により、一気にヤタイバンキを撃滅した。

 戦いが終わり、剣のことを晴之助と昭之助に尋ねる連。晴之助は「烈鷹殿が...」と答える。烈鷹の名に驚く一同。その時、地響きとともに巨大な石塊が街に落下した。それは、石と化した炎神大将軍であった...。

今回のアイキャッチ・レースのGRAND PRIX

 ガンパード!

監督・脚本
監督
佛田洋
脚本
會川昇
解説

 スーパー戦隊シリーズ恒例の、年末商戦対策(?)劇場版ロボ登場編として企画されたであろうエピソード。残念ながら、当方劇場版に関しては未見であり、その上での見解であることを予めお断りしておく。何故なら、劇場版を見ていたら、私の本エピソードに対する印象は180度変わっていたかも知れないからだ。

 私などは、未見であったが故に本エピソード観賞後すぐにでもレンタルショップへと走りたくなる衝動にかられたが、残念ながら劇場版についてはレンタル版もセル版もリリースされておらず、このタイミングでの放映に少々疑問を抱かないでもない。スーパー戦隊シリーズに限らず、東映特撮TVドラマのシリーズ展開は、トイを中心としたマーチャンダイジングは綿密だが、どうも映像ソフト関連のマーチャンダイジングに関してはスケジューリングに甘さがあるように思う。いわゆるVシネマ版の「VSシリーズ」も、前作・前々作への興味がかなり減衰する時期にリリースされる形である為、ほぼファンサービス的な側面のみがクローズアップされてしまい、その意味ではそもそものメインターゲットである年齢層にアピールできているとは言い難いと感じられる。勿論、慣例化しているタイミングでのリリースには、各方面のリサーチも含めたプランの上で成立しているものと思われる。が、私のようにとにかく毎年追いかけるというスタンスの場合、それほど食指が伸びないのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

 さて、本エピソードは殆ど劇場版の正統な続編という位置づけにて制作されている為、劇場版を未見だと魅力が半減してしまう。一応、ホビー誌等でストーリーの骨子を押さえていた為、観賞に支障はなかったものの、予備知識すらない状態で見た場合、これがTVシリーズ単独のエピソードとして通じるのかと問われれば、私ははっきり「否」と答える。欠点をあげつらうような調子に落ち着くのはイヤだが、一応以下に「分かりにくい点」を列挙しておく。

 まず、サムライワールドである。サムライワールド関連では、劇場版公開時に話題を提供する意味で伐鬼を登場させており、TVシリーズ内でも別段特殊な存在ではない。ただ、雷々剱と獄々丸を当たり前のように登場させたあたりはいただけない。TVシリーズしか知らない視聴者にとっては、雷々剱と獄々丸は完全に「新キャラ」であり、声も戦隊OB(デンジグリーン&メガブルー)という破格の扱いだ。しかし、雷々剱と獄々丸は劇場版の雷剱と獄丸をリペイントしたキャラクターなのである。一応、晴之助と昭之助の前に現れた時点で、そのシチュエーションと容姿からサムライワールドの住人だと容易に連想できたのは幸いだが(これは演出の勝利だろう)、どうも「劇場版キャラの再登場!」という企図があからさまに見えてしまう。この際だから書いてしまうが「分からなかったら劇場版を見てね。でもまだDVDは出てないよ」と嘲笑されているようで、私はかなり機嫌を悪くしてしまった。...暴言でした。すみません。

 続いて、晴之助と昭之助だ。TVシリーズではサムライワールドを体感する手段が殆どなかった(皆無ではなく、劇場版のメイキング映像等はあった)為、一瞬「タイムスリップもの」かと勘違いしてしまう。次元の亀裂を潜り抜ける描写等があればまた違っていたのだろうが、いきなり登場して「時代のギャップ」的演出を施された為、サムライワールド由来であることを理解するまで、少しばかり頭を使わなければならなかった。容姿にしても、現在「昭和歌謡曲の伝道師」としてブレイクしている半田健人氏が演じ、スチール等で周知されている烈鷹のヒロイックなイメージとはかなり異なる庶民派のコスチュームである。サムライワールドの世界観を烈鷹から得ている者が、それをイメージの乖離と捉えても仕方ないであろう。

 その晴之助と昭之助が守っているという、剣にも問題がある。軍平が「どこかで見た」と呟くシーンがあるのだが、それより前に剣全体を詳細になめるカットがあり、しかも小道具としては造形的に妙な存在感を放つ。つまり、劇場版を見た人ならばすぐ分かるということが企図されており、軍平が気付くまでのもどかしさを味わわせるという演出手法が見えるのだ。これは雷々剱と獄々丸以上に配慮に欠けていると言わざるを得ない。ただし、ストーリー的にはその剣が何であるか謎のままでも問題ない。むしろ、謎のままの方が、次回の半田氏登場が盛り上がること必至なのだが、劇場版を見た者にとっては中途半端にネタばらしをしていることになるし、未見の者にとっては中途半端に謎を煽られている感じがする。

 また、エンディング後の「サムライゼミナール」はギャグとしては一級だが、これにもかなり不満がある。雷々剱と獄々丸が雷剱と獄丸のリペイントキャラクターであることをネタにしたギャグそのものは良いのだが、如何せん雷剱と獄丸が誰なのか知らなければ笑えない。その上「魔姫」という名前も唐突に登場している。ここは雷々剱と獄々丸に劇場版の骨子を語らせた方が親切であるし、そもそも今回のナレーターだったガンパードに、「君達は覚えているか?」とでも語らせ、劇場版の映像を少しでも見せた方が良かったのではないか、という構成上の不満が残る。

 実に辛辣な見解を並べてみたが、それは劇場版未見者に対する配慮があまりにも欠如しているように見えた為である。しかしながら、実は話としてはかなり面白い仕上がりを見せている。

 全編通して登場する「お祭り空間」は、ホリゾントにスポットライトを投げて、わざとらしくセット撮影し、スモーク全開という、80年代の異空間演出の定番にて登場。面を付けた人間が乱舞し、カメラが激しく揺れたりするなど、宇宙刑事シリーズ(特に小笠原猛監督や小林義明監督の作品)でよく見られたシーンを彷彿させる。閉じた異空間といったシチュエーションに、この手法は未だ正解であり充分な説得力を維持している。ただ、撮影手法や視聴機器が変わったことにより、映像が非常にクリアになっており幻想味が後退、多少チープに見えてしまう感は否めないところだ。

 この異空間演出は、巨大戦にも登場するというこだわりが見られ、巨大ロボが屋台の立ち並ぶ中一堂に会するというシュールな画面となった。ここで大いに感心したのは、このようなスケール感を失わせるセッティングでありながら、巨大感をちゃんと感じさせているところである。バルカの金魚すくいやガンパードの射的といった場面では、縮小されたエンジンオーとセイクウオーが登場するため、更にスケール感を狂わせておかしくないにも関わらず、巨大ロボが戦闘を繰り広げているという雰囲気がちゃんと伝わってくる。恐らくは、その雰囲気の大部分がいわゆるハイスピード撮影の恩恵であろう。しかし、アングルや空気感までちゃんと計算された結果であることは言うまでもない。

 ヤタイバンキにより、本来関係ない範人・軍平ペアと晴之助・昭之助が邂逅するあたりも良い。ヤタイバンキと晴之助・昭之助は、互いにまるで関係ないキャラクターであるが、「お祭り」というキーワードを使って引き合わせているところに巧みさを感じさせる。サムライワールドとの親和性も高く、ヤタイバンキは今回最も成功したキャラクターだと言えよう。デザインのみならず、(悪ノリの)小道具を含めた造形が秀逸で、ギャグ怪人の極みを見る思いだ。蛮機獣本来の顔面がお面と同化しているのも笑える。

 更に、ヤタイバンキに関しては驚くべきトピックが用意されている。ヤタイバンキそのものに関する事柄ではないが、キタネイダスの考案した作戦についてだ。キタネイダスの作戦は、子供をお祭り好きにすることで、お祭りしか考えないような大人に仕立て上げるというものだった。ここでまるっきり違和感を感じないならば、重度の70~80年代特撮TVドラマ中毒だ。今回は何と、それをぶった切ってみせるのである。先に挙げた70~80年代特撮TVドラマでは「子供に何らかの影響を与え、その子供が大人になった頃に侵略し易くする」という手法がかなりの頻度で登場する。何とも大らかな話だが、基本的にそれらは大真面目なストーリーを形成している。その上での、無垢な子供に対する魔の手に主人公の怒りが喚起されるというパターンは、半ば定番と化していた。勿論、少し意地悪な視点でこれらの作品群を茶化すという戯れもあるにはあったが(長谷川裕一氏の楽しい見解が有名)、概ね正統派のストーリーとして受容されていたように思う。しかし近年、寂しいことにこのような大らかさは影を潜めてしまった。それだけに、嬉々としつつ作戦をギャグ調で説明していく(この時の紙芝居風イラストが実に可笑しい)キタネイダスの姿には、懐かしさを覚えた。ところが、雷々剱と獄々丸がそれを一笑に付してしまう。つまり、大らかさは一瞬で否定されたのだ。これに関して私は別段腹を立ててはいない。大らかな作戦には当然「今更感」があり、しかも元々ギャグとして作戦が考案されているからだ。むしろ、この否定シーンはメタな視点と秀逸なギャグ演出により、歓迎されるべき完成度を獲得しているように思う。しかも、「大らかさ」を否定したにも関わらず、ガイアーク自体の「ヌルさ」は充分に残っており、その「ヌルさ」は直後の晴之助・昭之助を懐柔せんと企むシーンでも存分に発揮されている。このように、ガイアークはいつものガイアークであり、ヨゴシュタイン不在であっても方向性は見失っていない。

 今回は一応範人と軍平メインの回であると言えよう。この2人なら祭りに気を取られても違和感がないということなのだろうか。ただし、メインとは言え主役は殆ど晴之助と昭之助になっている為、あまり目立った活躍を提供されていない。それでも、範人の優しさが存分に描写されているのは嬉しい。また、メイン回ならではの演出としてカンカンバーをこの2人が使用するというシーンが見られた。そこから逆算したわけでは勿論ないだろうが、古代炎神達と範人・軍平が行動を共にするというくだりもちゃんと用意されており、唐突な印象はまるで感じられない。このあたりの有機的な結びつきの巧さは特筆すべきであろう。