GP-24「最初ノエガオ」

 ヒラメキメデスを倒し、大自然の中をのんびりとドライブするゴーオンジャー。彼らは樹齢千年の杉や椎が群生する天神の森に来ていた。散策の後ギンジロー号に戻って来た早輝は、神妙な面持ちで「何だか見覚えがある」と呟き、以前にもこの森に来たような気がしていた。走輔達はギンジロー号を発進させるべくエンジンをかけようとするが、エンジンはかからず。早輝は折角だから森を散歩しようと言いだす。ふと、早輝が森に目をやると、そこには白い服を着た男の子の姿があった。「迷子かも知れない」と言い、早輝は単身森の中を探し始める。男の子を探す早輝に、突如伐鬼が襲いかかった。早輝はゴーオンイエローとなって立ち向かうが、あらゆる攻撃を跳ね返され、森の奥へと弾き飛ばされてしまう。早輝を心配し、手分けして捜索に出かける走輔達。連はギンジロー号の修理を始めた。

 走輔は森の中で木々に巨大な目玉が無数に浮かび上がるのを見る。恐れおののき逃走する走輔。続いて範人と軍平は白い着物を着た幽霊に遭遇、腰を抜かしつつ懸命に逃走する。そしてギンジロー号に何の異状もないことを怪訝に思う連は、巨大な黒猫に遭遇した。これらの怪奇現象を司っていたのは、ヒラメキメデスの幽霊であるウラメシメデスであった。死してなおリベンジを果たさんとするウラメシメデスの姿に感服しきりのヨゴシュタイン。

 早輝は、先頃目撃した男の子によって助けられていた。男の子は「この近くに住んでいる」と言うが、伐鬼を恐れ動けない様子だった。早輝はそんな男の子を「スマイル、スマイル」と励ます。

 一方、怪奇現象に戦々恐々となる走輔達は、早く早輝を見つけ出すべく、今度は一丸となって捜索に出かけた。だが、大翔と美羽の姿をしたノッペラボウに脅かされたり、本物の大翔と美羽が合流した後も、幽霊の大群に追いかけられたりと散々な目に遭う。

 幼い頃、早輝は男の子とそっくりな人物に出会っていたのを思い出す。幼い早輝は天神の森で両親とはぐれ、迷子になってしまったが、その男の子に「怖い時や寂しい時は、笑えば勇気がわいてくるよ。だから、スマイル、スマイル」と励まされたのだ。直後、母親が迎えにきたのだが、男の子の姿は消えていた。早輝はそれ以来、辛い時や怖い時に笑顔になることで克服する術を知り、現在の強さを手に入れたのだ。男の子を助けると誓う早輝の前に、再び伐鬼が出現する。男の子を連れて逃げ惑う早輝に、走輔や大翔達6人が合流。一方、伐鬼の傍らにはウラメシメデスが出現した。数々の怪奇現象を引き起こしたのも、伐鬼をサムライワールドから連れて来たのもウラメシメデスだったと知る7人。早輝と男の子を逃がし、伐鬼と対峙する走輔達だったが、伐鬼の強力な戦闘力の前に手も足も出ない。また、男の子を連れて逃げる早輝も伐鬼の力に戦意を喪失していた。そんな早輝を、男の子は「怖い時や寂しい時は、笑えば勇気がわいてくるよ。だから、スマイル、スマイル」と励ます。それを聞いた早輝は、この男の子こそ10数年前に自分にスマイルを教えてくれたあの男の子なのだと気づいた。「早輝ちゃんにまた会えて嬉しかったよ」と言う男の子だが、年月の経過と外見が一致しないことに早輝は戸惑いを覚える。男の子は千年杉を見上げ「僕はいつでもここにいるから」と告げた。その言葉に何かを感じる早輝。

 そして追ってきた伐鬼に、早輝は果敢に立ち向かう。懸命の戦いで伐鬼の戦意を削ぎ、レーシングバレットを構える早輝。男の子が近寄り、レーシングバレットに森林のオーラを集結させた。その威力は伐鬼を粉砕せしめる。喜ぶ男の子は、千年杉の中に消えていった。

 驚いたウラメシメデスは伐鬼の骸に憑依、ヒラメキ伐鬼なる巨大な妖魔へと変貌する。ゴーオンジャーとゴーオンウイングスはエンジンオーG9でこれに挑むが、連はヒラメキメデスの幽霊と伐鬼なる妖怪の合体故、ヒラメキ伐鬼と普通に戦ってもダメだと分析する。その時、早輝が名案を思い付いた。ボンパーにキッチンの塩を転送するよう指示する早輝。早輝は塩で「お清め」をするつもりなのだ。ブラスターソウルに「成仏、成仏」と唱えつつ塩を振り、「悪霊退散ブラスターソウル」が完成、「G9成仏グランプリ」が放たれると効果覿面。ヒラメキ伐鬼は粉砕され、ウラメシメデスも爆散した。ヨゴシュタインはヒラメキメデスの形見となったハカリバーに酒を振る舞い、その功を讃えるのだった。

 早輝は千年杉を見上げ、「あなたの教えてくれたスマイルのおかげで強くなれた」と、当時言えなかった礼を言う。千年杉は一枚の葉を落としてその言葉に応えた。

今回のアイキャッチ・レースのGRAND PRIX

 ベアールV!

監督・脚本
監督
渡辺勝也
脚本
古怒田健志
解説

 劇場版の前哨を兼ねた番外編ともいうべきエピソードで、久々の早輝完全メイン編。番外編的雰囲気を漂わせつつも、早輝の過去に踏み込むなど、これまでキャラクターのプライベートをあまり描かなかった「ゴーオンジャー」における、新たな局面のスタートを思わせる一編でもある。

 劇場版の要素は、サムライワールドなるブレーンワールドの1つとして登場している。劇場版は本エピソード放映時点では劇場公開されておらず、劇場版に対する「引き」の役割を果たしているのだが、これは近年の仮面ライダーシリーズが行っている同様の手法を導入したものと思われる。また、前回よりエンディングに劇場版の記者会見の模様や撮影風景、ハイライトがフィーチュアされており、劇場版に対する力の入れようが伺われる。勿論、前年の「獣拳戦隊ゲキレンジャー」および「仮面ライダー電王」の劇場版の大ヒットを受けてのことであろう(ただし、ヒット要因は主に「仮面ライダー電王」にあったと分析できる)。

 本エピソードの舞台をサムライワールド自体にしてしまうと、色々と不都合(劇場版の世界観を完全に提示してしまう、ロケーションの確保が困難である、など)が生じる為か、そのような世界があるという言及に留め、伐鬼なるサムライワールド由来の妖怪を登場させている。この伐鬼、普段の蛮機獣とまるで違うテイストを有しており、本エピソードを一味違う雰囲気に仕立て上げている。

 とは言うものの、サムライワールドはブレーンワールドというSF的観念と御伽噺の中間に位置する世界観の上で成立するものであり、これまでの「ゴーオンジャー」の設定の枠内に収まる要素である。ヒューマンワールドで起こっている非科学的な現象(勿論、炎神達の存在とそこから得られる能力のことだ)が、ブレーンワールドにおける別次元の存在が干渉することで起こっているというエクスキューズは、常に「ゴーオンジャー」の地盤としてあるのだ。それ故、伐鬼が梵字の刻まれた剣を持っていようが、ウラメシメデスが幽霊になって現れようが、ブレーンワールドの何処かに亡者が漂っていようが、何ら不思議のない世界になっている。つまり、「ゴーオンジャー」の世界観の上では、今回のような怪談モノをビジュアル的に「怖くてコミカル」なスタイルにすることは出来るものの、真に迫るような底知れぬ恐ろしさには出来ないということである。幽霊の正体見たり枯れ尾花。タネが分かればさして怖くない。ただし、そのことを分かってか、女性の典型的な幽霊像は古典的な怪談映画並みに怖いビジュアルにされ、走輔が木の幹に現れた目玉に翻弄される(走輔が目に触ったらわざわざ充血するというコミカルな描写にも要注目!)様子も妙なリアル感を伴って描かれた。普段何事にも動じない大翔が、腕を振り回して逃走するだけのことはある。因みに、ここでの「いくぞ~、美羽~」と声を上ずらせる大翔像は存分に「ゴーオンジャー寄り」にされており、遂にクールで硬質な牙城も崩され始めたのかと嬉しくなる。大翔は崩し甲斐のあるキャラクターだけに、これからも徐々にコミカルな面を暴露して欲しいところだ。なお、大翔と美羽は古典的なノッペラボウ姿も披露していて楽しい。

 怪奇現象が手抜かりなく描写され、怪談モノとしてのビジュアルをしっかり保っている今回だが、それは「ゴーオンジャー」の世界からはみ出すものではないことを指摘した。本エピソードが真に異色に思えるのは何故か。それは、早輝と千年杉の男の子の邂逅がアニミズム的観念の上に成り立っているからに他ならない。千年杉の男の子は、劇中では名言されないが千年杉の精霊として描かれているのは明らかであり、その精霊の存在はブレーンワールドの異次元由来でなく、ヒューマンワールドに存在する「非科学的側面」そのものだ。その描写は「恐竜戦隊ジュウレンジャー」や「百獣戦隊ガオレンジャー」などに見られるファンタジー戦隊の極致において描かれたものに似通っている。得体の知れない存在が可愛らしい男の子の姿をとって現れたり、その背後に悠久の時を感じさせたり、突然の出会いと別れがあったり、武器に力を与えられたりと、ファンタジー要素が全て出揃っている。森の清浄性や森林破壊が精霊(またはカミと言っても良いだろう)に与えるダメージまでも描き、これまで「ゴーオンジャー」が匂わせてきたエクスキューズ主体のSF的な観念を軽く飛び越えてしまったのだ。

 このエピソードにおけるアニミズム的観念の導入は、果たして正解だったのだろうか、と私などは視聴しながら考えてしまったのだが、普通に面白くいい話だったということには、疑問をはさむ余地がない。好意的に見れば、早輝のスマイルにこのようなアニミズムの側面を与えられたことで、ヒロインの精神的な強さの源に説得力が生まれたと言える。何と言ってもアニミズムは「精神の存在」を森羅万象に認める姿勢から出発するものであり、勿論「スマイル」にも精神的な力があるということを示したという点で、存分な説得力を生み出している。一方、懐疑的に見れば、ヒューマンワールドが現代の科学で言及または推論されている要素しか持ち得ない世界だという印象に、少しばかりの風穴を開けてしまったと言える。何度も指摘してきたことだが、「ゴーオンジャー」の美点は勝利に至るプロセスで見せる辻褄を大事にしていることで、易々と奇跡を起こしたりはしない。根性論などの精神主義を抑制し、個々の性質や技能が状況を打破していくという描写がリアリティを生み出しているのだ。本来、早輝のスマイルはクオリアとして各人の精神に影響を与えるものとして意図されていた節がある。ところが、今回スマイルのオリジンをかように設定されたことで、アニマあるいはアニムスの表現として伝播する力へと変貌したのだ。早輝をシャーマン化したという見解は大袈裟に過ぎるものの、ある種そういった側面を持ち得ることになったのは否定できない。

 好意的、懐疑的な両面から見つめてみると、早輝のヒロインとしての存在感を補強して見せた一方、そのオリジンは設定的に強固なものとしてではなく、あくまで「ゴーオンジャー」にてファンタジー世界を引用してみた結果、こういうことになったという程度の捉え方が妥当なのだろうと思える。その意味では「ゴーオンジャー」の懐を広げたと言え、また「ゴーオンジャー」の世界観を大風呂敷にしてしまったということも言えるだろう。いずれにせよ、今回描かれたようなアニミズム的世界観に根ざした作劇は自制して頂きたいというのが正直な感想だ。蛇足ながら断っておくが、私はアニミズムを否定しない(むしろ肯定的な)立場であり、実際にアニミズムを題材にした物語を構想した経験もある。ただ、「ゴーオンジャー」にアニミズムは似合わないと言いたいだけである。

 さて、アニミズムが云々といったディープな視点を捨てれば、これほど楽しいエピソードもないといった出来栄えだ。前述の通り、怪談モノの古典に忠実な怪奇現象の描写には美しい合成が手抜かりなく使用され、ゴーオンジャーの面々の驚きおののく様子の可笑しさは筆舌に尽くしがたい。特に範人の金切り声(!)を上げる熱演は特筆モノだ。ヒラメキメデスの幽霊であるウラメシメデスも、ネーミングセンスからセリフ回しに至るまで抜群の出来。特に「ポク、ポク、ピーン」という「一休さん」からの引用と思われる名セリフが、「ポク、ポク、チーン(木魚と鈴の音をイメージ)」という具合に「一休さん」そのものに戻ってしまった所には大いに笑わせていただいた。ヒラメキメデスの死を悼むヨゴシュタインまでこのセリフを口にしており、声優陣の気に入り振りが伺える(ヨゴシュタインのくだりは、画面の印象からアドリブと推定させていただいた)。ウラメシメデスが基本的に無力なところも秀逸で、霊体ならではの超常現象的な物理攻撃に走らなかったのは英断だと思う。死してなお登場したヒラメキメデスだが、かなり優遇された敵キャラクターだったのではないだろうか。エンジェルワールドに彼の居場所があることを祈りたい(笑)。伐鬼は「電撃戦隊チェンジマン」の宇宙獣士を思わせる風貌が、ある種の懐かしさと新鮮さを喚起する。蛮機獣より遥かに強力な様子であり、ガイアークもサムライワールドから戦力調達すれば良いのではないかと思ってしまうが、そうはならないところが「ゴーオンジャー」流だ。三大臣は各々の立場で割と好き勝手に発言しており、あまり伐鬼に対して興味を抱いていないようだ。特にケガレシアの「はて、面妖なぁ」と異常に芝居がかった言い回しが、状況を完全におちょくっており、三大臣はこれからもこのペースで行ってくれるものと思われる。因みにキタネイダスは、ヒラメキメデスを失って意気消沈するヨゴシュタインを「新しい一歩を踏み出すぞよ」等という悪役らしからぬ仲間思いかつポジティヴな発言で励ましており、大いに笑わせてくれた。

 早輝活躍編ということで、早輝やゴーオンイエローの見せ場も盛り沢山。ゴーオンウイングス登場以降はヒロインとして美羽がメインとなるケースが多く、早輝の影は薄くなってしまっていたが、今回は見事に挽回している。シリーズ開始当初より格段の成長を遂げた演技力が垣間見られ、少し陰のある寂しげにも見える表情が大変印象的だ。今回を見ると「スマイル、スマイル」が単なる口癖を超えたものとして名実共に昇華されているのが分かり、戦闘場面での厳しい表情と勇気を奮い立たせる為の笑顔がちゃんと繋がりを持っている。また、伐鬼に跳ね飛ばされる際の悲鳴の巧さや気合と共に変身する際の名乗りの激しさにも注目しておきたい。

 変身後のゴーオンイエローは、アクションを担当する人見氏が本来得意とするテコンドーの技が炸裂。何となく前作「獣拳戦隊ゲキレンジャー」のゲキイエローっぽいアクションだったのはご愛嬌だが、本当に痛そうな蹴りの連打は凄まじい迫力で、ゴーオンイエローの新たな側面を垣間見せるに充分過ぎるアクションであった。「お姉ちゃんは本当は強いんだよ」という早輝のセリフが印象的だったが、この言葉どおりのアクションには大きな説得力があった。

 クライマックスは「G9成仏グランプリ」なるギャグネタで締めくくられる。ここで用いられる「塩」は岩塩などといった高尚なものではなく、普通の調味料である。しかも、ブラスターソウルに振り掛けるという手法が取られ、解釈を突き放した完全なるギャグ描写として成立。アニミズムがどこに向いたかなど全く関係ない、仏教的タームを用いる怪談話の定石に則った解決法を採用したことで、私の憑き物もすっかり落ちてしまったのである。古典的怪談話は、因果応報を色濃く反映させた仏教的寓話であるものも多いが、神道的概念と科学的概念と仏教的タームが入り乱れる本エピソードでは、そんなものは既にブレーンワールドの地平の彼方に吹き飛ばされてしまっている。やはり、このギャグ描写こそが「ゴーオンジャー」たる所以なのだ。

 本エピソードは、千年杉を見上げる早輝と、そっと葉を落とす千年杉との、精神での会話が描写されて幕を閉じる。随分なドタバタで一件落着となった後の、この清浄な雰囲気は不思議な余韻を残した。