第41話「なくしたくないもの」

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 アイム編。これは名編と言ってもいいのではないでしょうか。

 アイムはファミーユ星の王女であり、ザンギャックによって故郷を滅ぼされたという過去を持ちます。これは物語当初から何度か言及されてきたので、特に付加する要素といったものは存在しないのですが、今回は、主に海賊に加わった契機にスポットを当てる事により、たった一つ抜けていた「マーベラス達との出会い」のピースが嵌めこまれた格好です。

 これで、ハカセ以外はマーベラスとの出会いが描かれたわけで、「ゴーカイジャー」最大の謎(笑)であるハカセの正体を残すのみとなりました。次回に明らかになる?

 今回は、あまりコミカルな面はなく、徹頭徹尾アイムの心情と、それに真正面から向き合うマーベラス達の盤石の気概が描かれ、見る者の胸を熱くさせます。ある意味「意外」な海賊への加入理由、加入当初のダメっぷりの可愛さ、号泣シーン、各メンバーとのペアになっての豪快チェンジ等、見所も沢山。改めてアイムの魅力を再確認出来るエピソードでした。

 もう一つ、今回のトピックは、ワルズ・ギルの父親で、ザンギャック皇帝であるアクドス・ギルの登場にあります。

 ダマラスが更迭されるというショッキングなシーンは、ユルいボスであるワルズ・ギルによって、陰口が聴こえつつも不和となるまでには至らず、ある意味アットホームにまとめられていたザンギャック地球侵略部隊が、完全なる武闘派に変貌する事を如実に表現していました。

 これは、コミカルな味付けによって「黒十字軍」的だった敵組織が、一気に「ゲルショッカー」的な雰囲気に変貌する事を意味します。クライマックスに向け、「何となく倒しづらい敵」から「何としても倒さなければならない敵」にシフトさせる事で、物語を加速させる意図が感じられるわけです。

 これは、今回のストーリーにも良い作用をもたらしました。

 何しろ、今回はアイム・ド・ファミーユという亡国の忘れ形見による「復讐譚」なのです。「何としても倒さなければならない敵」でなければ、「復讐譚」は成立しないからです。

 ある意味、東映特撮TVドラマというものは、「復讐に燃える異端児」が「復讐からは何も生まれない」というポリシーに目覚め、正義のヒーローへと変化していくドラマを連綿と紡ぎ出して来て、現在では「当初よりヒーローである」か、「何となくヒーローをやらざるを得ない」か、「ごく周囲の幸せを守りたいヒーローである」かに類型化されていると思います。

 「仮面ライダー」最初期のエピソードにおいては、本郷猛自身によるショッカーへの復讐心が、戦いの原動力であったのですが、FBIという「世界正義の担い手」のメンバーである滝和也が現れてからは、それが「正義のヒーロー」へと変わります。「V3」の第一話で、再び「復讐」の二文字が強調されるも、正義のヒーローである1号・2号の意志(ここでは遺志)を継承する事で、復讐からの脱却を見ます。しかし、途中でライダーマンが「復讐」に固執するヒーローとして出現し...といった風に、70年代の仮面ライダーシリーズは、復讐とその脱却の繰り返しによって成立していると言っても過言ではありません。

 放送枠的に「アマゾン」の後を受け継いだ「ゴレンジャー」は、その辺り完全に脱却前提の話となっています。メンバーは、それぞれの支部の隊員を皆殺しにされた生き残りであり、復讐譚としても充分成り立つ辺り、石ノ森作品独特の作劇手法が見られるわけですが、彼らは仲間の復讐よりも、先にイーグル隊員としての職務を優先させるプロ集団として描かれています。「復讐譚」によるキャラクターの厚みを取り払った分、複数ヒーローならではの強烈な個性を一人一人に与える事により、独特の雰囲気を作品に反映させられたと言えるでしょう。

 というわけで、スーパー戦隊シリーズは、この「ゴレンジャー」を始祖とし、当初から「復讐譚」を放棄していると言っても良いシリーズです。なので、たまに復讐譚を含むエピソードが挿入されると、非常に迫力がある!

 私が好きなのは、「バトルフィーバー」の二代目バトルコサック・神誠が、弟の復讐に燃えて単独行動を取るエピソード。着任直後に、新キャラを印象付けるという意味でも秀逸なエピソードでしたが、その後の神誠のキャラクター性を決定付けてしまう程のパワーを有しており、「復讐譚」が、使い処を慎重に選ぶべき題材である事も、また示しているのです(神誠の場合は成功例)。

 スーパー戦隊シリーズが、青春路線に入ってくると、もう「復讐」という題材は殆ど使われなくなり、主に敵側の行動のきっかけとして使用されるに留まるようになります。近年で言えば、「シンケンジャー」があれだけ愛憎劇を展開したにも関わらず、「復讐譚」が殆ど用いられなかったのは、特筆すべき事でしょう。「仇討ち」が常套の「時代劇」をモチーフにしているにも関わらず、です。

 今回、アイムという、およそ復讐譚からは遠い存在に思えるキャラクターに、こうした復讐劇への登板を許したのは、「ゴーカイジャー」がスーパー戦隊としても特殊な存在だからではないでしょうか。可憐なお姫様が仇討ちに燃えるという構図は、鎧を除くメンバー全員が「地球人ではない」という異端児だからこそ。しかも、ゴーカイジャー自体のポリシーが地球防衛ではないからこそです。

 とはいえ、アイムが元から仇討ちを旨とするの為だけのキャラクターだと、もはやそれは「戦隊」ではないわけで、この辺りの匙加減や薄め具合が、舌を巻くほど実に巧い。

 まず、アイムの海賊加入の理由が、「生き延びたファミーユ星の人々の目に、自らの手配書が触れる機会を作る為」というものである事。アイムはファミーユ星のシンボルとしての自覚を持ち、「生きている事」が即ち人々の希望になるという、非常に崇高な精神の持ち主なのです。この「自覚」が、復讐という行為自体を矮小化し、多面的なアイムの一面に過ぎない事をアピールしています。

 次に、アイム加入当初の描写が、銃も剣も、果ては家事すら、まともにこなせないというものだった事。この描写により、復讐が第一義でない事を明らかにしている気がするのです。というのも、それらの「修行中」の描写が、どことなく楽しそうに演出されていたから。涙を流し、歯を食いしばって剣術や射撃をマスターしようとするという雰囲気がないので、あくまで「海賊に加わる為」の通過儀礼的な匂いがあります。

 そして、ザツリグを目前にした時の、我を忘れるアイム。これは、ザツリグの姿を見て、突如自らの悲しい過去を思い出し、急激に復讐心を燃え上がらせたように見せる、効果的な演出でした。勿論、いつかはザツリグを倒して敵討ちをしたいという、静かな意志を胸中に秘めていたのは間違いないのですが、海賊としての旅の第一義がそれではないのも明らかなわけで。故に、復讐が第一義となったアイムはマーベラス達の元を去ろうとしたのだし、マーベラスを前にした号泣の意味が、個人的復讐心とマーベラス達への信頼の葛藤の産物であるわけです。

 付け加えて、ザツリグが強力なパワーを持った文字通り「殺戮者」であるという事。いわば、勧善懲悪を旨とする時代劇等における「殺しても殺し足りないヤツ」としての資質を持ったキャラクターであり、復讐の牙を向けるに相応しいわけです。いわば、復讐が正義に転化されるわけですね。

 こんな感じで、アイムはそのキャラクター性を失う事なく、「復讐」という一区切りを迎える事が出来ました。小池唯さんの名演もあってドラマ性自体も高く、充実していましたね。

 ここらで豪快チェンジをまとめておきますが、今回は、豪快チェンジをビジュアル的な面白さと共に、ドラマのメンタル面を補完するアクションに昇華しており、非常に完成度が高いです。これまでで最高の使用法ではないでしょうか。

 まず、アイムと鎧の組み合わせでゴーオンウイングスに。鎧はアイムの兄としての存在たる程成熟した人間ではありませんが、少なくとも兄妹もかくやと言える程、強い絆を持った仲間であるという暗喩でしょう。普段は鎧が単独であしゅら男爵状態になるだけに、余計にアイムの鎧に対する信頼感が感じられます。

 続いて、ハカセとゴウライジャーに。個人武器&合体武器も登場。共に当初は「低い戦力」と見られていた二人でしたが、ゴウライジャーを演じるほどに強くなったという事を表しているようにも見えます。

 次に、ルカとゴセイヒロインに。癒し系とアクティヴ系だったゴセイジャーの二人を、そのままトレスするかのような二人の関係性を、豪快チェンジで顕在化しているのは見事です。

 そして、ジョーと共にデカマスター&デカスワンにチェンジ。この二人は、「デカレンジャー」の「良き大人」の代表であり、アイムがジョーに信頼を寄せると共に、ジョーもまた、アイムの精神の成長を認めたかのようなシチュエーションでした。

 最後は、マーベラスと共にダブルシンケンレッド! これはオリジナルでも見られなかったペアであり、レア度MAX。「運命を共にする」という文句が相応しい組み合わせで、まともに剣を持つ事も出来なかったアイムが、マーベラスと共に烈火大斬刀を振り回す様は、彼女自身の成長とマーベラスとのポリシーの合致を意味しているようで、胸が熱くなります。

 というわけで、アイム編は大充実でした。それを考えると、ジョーのシド先輩絡みが惜しくてしょうがない(笑)。

 果たして、ハカセ編はどうなるのか?!