第28話「翼は永遠に」

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 これまで、「生きてて良かった、特撮ファンで良かった」と思った事が二度ありました(ちなみに、アニメでは一度)。

 それは、「ウルトラマンメビウス」で、ウルトラマン80=矢的猛「先生」の物語の続きが見られた事、そしてウルトラマンエース=北斗星司が、月で南夕子と再会した事。この二つのエピソードは、あまりにも衝撃的であり、マニアックな事項を取り上げつつ、良質なドラマとして成立させる手法のお手本でもありました(ちなみに、アニメは「ビーストウォーズメタルス」に初代コンボイとメガトロンが登場した事)。

 今回は、それら二つのエピソードと並ぶ、いや、それ以上に「生きてて良かった、特撮ファンで良かった」と思う名編でした。「ジェットマンのファンで良かった」とも思いました...。

 書きたい事が山ほどありますけど、なるべく冷静にまとめてみましたので、続きの方をどうぞ。

鳥人戦隊ジェットマン超全集


 「ジェットマンはトレンディ」とエンディングで歌われているように、「ジェットマン」は当時流行していたトレンディドラマの手法を戦隊に導入するという、挑戦的なシリーズでした。メンバー間の熾烈な恋愛模様、敵組織を巻き込んだ愛憎劇、それ以外のエピソードは殆どが「カーレンジャー」並みのコメディ編、というふうに、シリーズ構成自体も挑発的で、当時は物議を醸しつつも、現在でも突出した人気作として君臨しています。

 そして、「ジェットマン」を象徴する存在が、今回登場したブラックコンドル=結城凱。酒、オンナ、ギャンブルが大好きな遊び人で、当時の戦隊のトータルイメージからは最も遠い存在でした。ある意味、当時の戦隊の権化ともいうべき、レッドホーク=天堂竜と対局にあり、この二人の対立と友情が、「ジェットマン」というコンテンツの縦糸だったわけです。

 そういうわけで、「ジェットマン」という作品を見るには、結構なパワーが必要なのですが、その一端である「肌触りの悪さ」を担っていたのが、井上敏樹さんの脚本。後に平成ライダーで何作かのメインライターを務められており、「ジェットマン」以上に「肌触りの悪さ」を伴う作風が、時に熱烈に受け入れられ、時に敬遠され、時には嫌悪すらされたわけですが、実はそのポリシーは「ジェットマン」から変わっていないと、私は思います。

 簡単に言えば、そのポリシーとは「人間を泥臭く描く事」であり、井上作品を見ると、どの作品も全く「キャラクターをスマートに描けていない」事が分かると思います。

 では、何故「ジェットマン」が、平成ライダー諸作ほどドロドロとした印象がないかと考えた時、一つの推測が成り立ちます。それは、井上敏樹さんが、田中弘太郎さん(天堂竜)、若松俊秀さん(結城凱)といったキャスト陣と年齢が近く、ほぼ対等なコミュニケーションが出来る環境にあった事。「対等」と言っても、井上さんの方が5〜6歳程年上であるのに加え、ライターとしては中堅に差し掛かった井上さんと、俳優として駆け出しであったキャスト陣とは、それなりに立場の差があった筈ですが、若松さん達が「制作側に激しく意見した」という逸話が残っているくらいですから、その信頼関係は強固だったのではないでしょうか。

 そんなコミュニケーションの環境が成立した時、キャスト陣はより人間臭く喜怒哀楽を表現し、脚本家はそんな現場の熱気に応えるという、幸福な関係に発展していき、最終的に「異色作であり傑作」という評価に至ったのではないかと思います。勿論、当時のトレンディドラマブームに晒された視聴者にとって、「ジェットマン」はそれでも爽やかな方の部類だったという事もあるかも知れませんが...。

 さて、いきなり「ジェットマン」自体について長々と語ってしまってますが、それは私が「ジェットマン」で戦隊熱を再燃させられたからなのです。今でもはっきりと覚えていますが、「ファイブマン」の最終編あたりを(ホントに)何となく見ていて、途中挟まれた「クロスチェンジャー(ジェットマンの変身アイテム)」のCMに、度肝を抜かれたのが発端です。何故、「ファイブマン」なのに「ジェットマン」のCMが流れたのかと言えば、それは私の地元にまだ朝日系がなく、ローカルセールス枠でかなり遅れて放映していたからなのですが、とにかく、「ファイブマン」の狙う対象年齢と、私自身が興味を広げられるボーダーラインが微妙に重ならなかった事もあり、半ば食傷気味の中、「ジェットマン」のCMのビジュアルには鮮烈な印象を受けました。

 「CMのビジュアルが鮮烈!?」と疑問に思われたかと思います。確かにCM自体は、完全に普通のヒーローモノのアイテムのCM。しかし、素顔の五人がクロスチェンジャーを構えている姿、これこそが要なのです。そこには、ちょっと頼りがいのありそうな普通のレッド風の男がいるかと思えば、バブル期の特徴的な、肩幅の広いジャケットを来たお嬢様風のヒロインがいて、一癖ありそうなメガネのポッチャリ系、コロッとした印象の可愛い女の子、そして、バシッとスーツとネクタイで決めた織田裕二を鋭くした雰囲気の男...。このビジュアルだけで、対象年齢が上がっているのがビビッと感じられました。

 実際は、対象年齢が上がったのではなく、上に広がっていたのですが、期待通り、一癖も二癖もあるキャラクター達が、およそ戦隊らしからぬチームワークの悪さで、不器用に戦っている姿に、拍手喝采を贈る事になったのでした。

 そんな感じで見始めた「ジェットマン」は、何から何まで異例づくしというわけではなく、当時の戦隊のトータルイメージをどうやって崩そうかと、もがいている作品でした。その葛藤が見事昇華され、あの伝説の最終回へと繋がったわけです。現在でこそ、エピローグを長々とやるという構成は普通になりましたが、「ジェットマン」当時にして、Bパートを丸々エピローグに使うという構成は驚き以外の何物でもない。だからこそ、伝説になったとも言えるのです。

 今回のエピソードは、この最終回のエピローグでの「出来事」を踏まえたもので、ファンの間でも様々に解釈が分かれるその「出来事」に、一応のアンサーらしきものが用意された事になります。しかも、井上敏樹という脚本家と若松俊秀という俳優、盟友達自らの手で...。だからこそ、当時「ジェットマン」を夢中になって見たファンは、大いに心を揺さぶられる作品になったのだと思います。

 その「出来事」とは、Aパートの三年後、レッドホーク=天堂竜とホワイトスワン=鹿鳴館香の結婚式に、ブラックコンドル=結城凱が花束を届けようとした際、道中でひったくりのチンピラに刺されるというもの。大団円が当たり前の最終回(「フラッシュマン」や「マスクマン」はそうでもないですが)にあって、そんな衝撃を導入するあたり、トレンディドラマの影響は多大だったわけですが、この「衝撃」により、「致命傷を隠してまで竜と香を祝福しようとする凱」、「瀕死でありながら、笑みを浮かべて軽口を言ってのける凱」という、凱のキャラクターの最終形を鮮烈に視聴者の胸中へと刻んだのでした。この後、凱は咥えたタバコを力なく落とし、竜達に振った手をガクリと落とす事になります。このシーンの直後、竜の元恋人で、この時点では故人となっている藍リエの幻がフッと竜の目前を横切り、エンディングへと繋がるのですが、凱の生死はいかようにも解釈出来るものとなっていました。

 当時、私は凱の死を確信していました。リエの幻が現れた事が、それを象徴しているように思えたからです。それに、あの後凱が生きていたとしたら、何となく茶番になりませんか?

 そして月日は流れ、今回のエピソードは「結城凱の死」が前提となっています。勿論、「ゴーカイジャー」は「海賊版」を標榜している部分がある為、今回「結城凱の死」が描かれたからといって、「ジェットマン」の最終回における「出来事」の解釈が確定するわけではありません(これについては後述)。しかしながら、井上敏樹・若松俊秀という布陣で制作された事により、「ジェットマン」の可能性の未来としての「その後」が確かな感触で描かれた事は、紛れも無い事実でしょう。

 冒頭、「ジェットマン」でも頻繁に通っていたジャズバー「Golden Gate」で酒を嗜み、隣に美女が居て当たり前。当時と殆ど変わらないスタイルと雰囲気で、「ジェットマン」ファンの心を文字通り「鷲」掴みしてくれる凱。事件も何も起こらないまま、いきなりオープニング。もう、凱の為だけに用意されたアバンタイトルだけで、私は完全にノックアウトされました(笑)。

 その後、いつものようなザンギャックの描写があって、これが「ゴーカイジャー」である事を認識させられるものの、マーベラスの恐怖を描く事で、いつもと違う雰囲気である事も認識させられます。そう、井上敏樹という脚本家は、完全無欠のヒーローを絶対描かない。彼にかかれば、無双の自信家であるキャプテン・マーベラスも、一人の弱い男になる...。そして、小澤さんはそんなマーベラスを見事に演じていました。弱さを見せつつも、単なる弱虫には決してならないあたり、さすがだと思います。

 今回は「先輩ゲスト編」らしく、ナビィのお宝ナビゲートがあり、ジェットマンの大いなる力を示唆していました。そして、現れた先輩ゲストが結城凱その人という事になったわけですが、凱は「この世に在らざる者」であり、海賊達がジェットマンを探し始める事を先に察知し、それを邪魔しに来るという、とんでもない設定で登場しました。

 それが却って、結城凱という男のキャラクター性を見事に表現しているのが凄い。かつて、「いっそのこと人間なんざ、滅んだ方がいいんじゃないか」と言った凱。彼が「ジェットマン」で戦いに身を投じたのは、単なる退屈しのぎが半分、そして天堂竜という男への興味が三割、自分と住む世界が全く違う鹿鳴館香への興味が二割でしたが、終盤は、仲間の為に戦う男となりました。私は、あくまで凱は「人間の為に」ではなく「仲間の為に」戦っていたと解釈してました。今回、凱がとった行動は、それに連なる解釈が成り立ち、非常に嬉しかったですね。

 ジェットマンの大いなる力をゴーカイジャーに与えれば、当然ザンギャックの地球侵攻を防ぐ手立てとなります。しかし、凱はそっちよりも仲間達の平穏な日常を破壊したくなかった...。命を懸けて親友の結婚を祝福した凱という男のポリシーは、当時と何ら変わっていなかったわけです。結婚式の後、騒然となった可能性が否定出来ないだけに、凱のお騒がせな面も考慮しておく必要はありますけどね(笑)。

 そして、「女は全て、俺のものだ」という凱らしいセリフと共に、(半ばわざとらしく)ルカをナンパし、ジョーを殴りつけ、「俺は納豆と男が大嫌いなんだよ」という名台詞を吐かせ、いちいち凱の再現に余念がないのが凄い。もうこの時点でかなりウルウル来ていましたが、「凱が出る」と聞いて、リアルタイムで見ようと起きてきたカミさんの手前、我慢してました(笑)。

 続いて、マーベラスの前に現れ、「今のレッドはこんなものか、落ちたもんだな」とか、「俺の知ってるレッドはもっとパンチに魂がこもってたぜ」とか、別のシーンでは「今のお前に戦う資格はない」とか、「偉そうに海賊なんて名乗ってる癖に、お前ビビってるだろ」とか、「全く、ガキだな。自分の弱さに向き合えないとはな」とか、とにかく罵倒しまくる凱。そう、ヒーローをこんな口調で罵倒しまくれるのは、結城凱、この人を他においてありません!

 ここで、「ジェットマンを探すな」と言う凱が、何でマーベラスの弱さを徹底的に罵倒して、彼の弱さを克服させようとしたのか...という疑問が湧いてくると思います。しかし、オリジナルの「ジェットマン」を踏まえれば、全然不思議な事ではありません。

 凱がジェットマンに加入する気になったのも、レッドホーク=天堂竜にちょっと興味があったからだし、その竜が戦いを放棄して自我を崩壊させる寸前にまで至った際には、殴る蹴るの力ずくで引き戻しました。その「親友」である竜のパンチを、凱は何度もその頬に叩きこまれています(だから上のようなセリフが吐ける!)。

 つまり、凱は現レッドであるマーベラスに興味を持ち、かつての戦友達の日常に介入する事なく、自ら大いなる力を渡すに相応しい者かどうか、試したくなったわけですね。しかも、天上の酒が「不味かった」ので、暇つぶしに。粋じゃないですか。凱は当時から何ら変わってないんですよ。「先輩らしさ」は欠片もないけれども、仲間の為にわざわざ地上に降りてきて、しかも地球人(鎧)には姿を見せず、影で世話を焼くなんて、そういう事がカッコ悪ぃと思っている凱そのものじゃないですか。

 素晴らしいですね。他の戦隊キャラで、ここまで血肉のあるキャラクターとして登場させられるキャラクターが、他にあるでしょうか。しかも、「大いなる力」は「自分に勝つ力、自分の壁を打ち破る力」でした。それはつまり、ジェットマンのメンバー全員が経験した事であり、特に竜と凱がそれを強く感じたであろう事に、論を待ちません。

 その凱を演じる若松さんですが、既に年齢的には40代半ば。しかし、その容姿は当時と殆ど変わらず、しかもアクションのキレも異常。そのままブラックコンドルに変身してしまいますが、当時の凱の印象そのままでしたね。このストイックさは若松さん特有の個性だと思いますが、ヒーローという面では宮内洋御大や大葉健二さんのストイックさに通ずる処があります。若松さんのお仕事歴には、あまり特撮が登場してきませんが、これから時々出演して欲しいですよね〜。そういえば、今回のブラックコンドル、何とオリジナルのスーツアクターである大藤直樹さんだそうで! 若松さんの提案で、大藤さんが最終回で凱を刺す役を演じたのは有名な話。制作側のハイテンション振りを感じさせる好エピソードですね。

 「ジェットマン」のファンを唸らせる小ネタも多数。

 凱の墓標には、「陽気なアコちゃん」や「無農薬野菜」が供えられていたり、天上のバーが「Golden Gate」だったり、凱がギャンブルに滅法強かったり(イカサマである可能性も高い)、バーにはマッカランが置いてあったり、凱が最後のシーンでサックスを吹いたり...。ちなみに、天涯孤独、無宗教の凱が、どうもキリスト教的な埋葬をされているのが気になりますが、恐らく香の仕業ではないかと、私は考えています(笑)。鹿鳴館家が仏教徒の可能性は低そうですし。

 そして、小ネタにとどまらないオマージュの数々。前述の凱のセリフもそうですが、特にラスト、マーベラスに言った、「綺麗な空だ...目に染みやがる。分かってるな、お前らが守る番だ。あの空を」のセリフ。ここで、私は涙腺決壊を覚悟しました(幸い、決壊しませんでしたが・笑)。当然、隣で一緒に見ていたカミさんは完全に決壊してましたよ...。

 これこそ、「ジェットマン」の最終回に、「空が目に染みやがる、きれいな空だ...」という凱、そして「ああ。俺達が守ってきた、青空だ」と返す竜のやり取りへのオマージュ。こういう気の利いた「セリフによる戦隊のバトンタッチ」は、粋な男・井上敏樹さんならではの技でしょう。冒頭からラストに至るまで、徹頭徹尾、結城凱の物語。そして、結城凱の伝説が、海賊戦隊をワンステージ上に押し上げる。実に美しいエピソードでした。

 ここで、鎧に凱が見えなかったのが(ややこしい・笑)、何故なのかをちょっと考えてみます。

 表面的には単に、凱が魂だけの存在であるという事を、簡潔に表しているだけなのではないかと思うのですが、もっとテーマ性に歩み寄ってみると、恐らく鎧を戦隊ファンに見立てているのではないかと。

 戦隊ファンにとって、元来結城凱の生死は不明。要するに、並び立つ戦隊ヒーローの中で、ブラックコンドルは不可視だという事を象徴している気がするのです。他のヒーローと並んで居たら生きているという事になり、居なければ死んでいるという事になる。しかし、居るけれど見えないという存在ならば、生死不明のままです(ニュアンス伝わります?)。今回の凱は正にそうで、物理的な影響を地上の物体に与えつつ、鎧という地球人には姿が見えない。物語の中では死んでいる事になっていますけど、凱が戦隊ファンの間で生死不明という状態なのは、それはそれでいいんだよというメッセージであるような気がするのです。

 そして、レジェンド大戦に参戦したブラックコンドル。

 以前、レンジャーキーという存在が、死者たるヒーローの「存在」を解決してくれるといった論旨を展開しましたが、凱に関してはどうやら当てはまらなかったようです。勿論、レジェンド大戦でのブラックコンドルは、凱の意志がレンジャーキーの力を借りる事で復活した姿だとも解釈出来ますが、今回を視聴してしまうと、むしろ再びジェットマンとしてザンギャックと戦う羽目になった仲間を助ける為に、ポーカーで「美しい神様」を負かして、地上に降りてきたと考える方が、俄然燃えてしまうわけでして。で、レジェンド大戦の時のブラックコンドルは、ジェットマンにクロスチェンジャーで変身した結城凱だったであろうと思います。今回登場したブラックコンドルは、凱の戦う意志の表れとしての、ブラックコンドルへの「擬態」に近いものだったのではないでしょうか。ジェットマンの象徴である、空を飛ぶ演出もありませんでしたしね。

 さて、まだ語りつくしていない感も残りますが、一応豪快チェンジについてまとめておきます。

 まずはバイオマン。サーカスループ、スーパーエレクトロンといった必殺技が、ライブ感たっぷりに描写される様は、さすがといった処。キアイドーに対する実効性の面からは、やや疑問符の付くチョイスでしたが...。

 続いてはマスクマン。メディテーションによる光の奔流を炸裂させるという、これまたオリジナルをリスペクトした描写。マスクマンの全体的なデザインのシャープさは、今もって全く色褪せない完成度だと思います。

 最後は真打ち、ジェットマン。私はここで、ブラックコンドル担当がハカセで本当に良かったと思いました。というのも、凱は変身してしまってますので、ブラックコンドルはもう凱でしかありえない。しかし、ハカセの「ピヨピヨ」のようなヘンな仕草は、凱とは全く異なる者がブラックコンドルをやっているというイメージを喚起させ、オリジナルと完全に区別された、要するにオリジナルに抵触しない形になったわけで、無理なく豪快チェンジの許容に繋がったと言えるのではないでしょうか。

 また、ジェットマンが縦横無尽に空を飛んで戦う姿は、当時では表現できなかったもので、思わず胸が熱くなります。エンブレムを背負って斬りつけるという、オリジナルを彷彿させるカットや、最終決戦で使用したジェットフェニックスの再現等、その魅力的な画面作りは枚挙に暇がありません。

 巨大戦を冒頭に持ってきて、このバトルの余韻をそのままエピローグにつなげた点も大いに評価出来ます。「ジェットマン」では、ストーリーの雰囲気に支障がある際は、バッサリと大胆に巨大戦をカットしたりしてましたので、こんな処にも「ジェットマン」のエッセンスを感じられますよね。

 といった処で、筆を置こうと思います。

 私を戦隊に思いっきり引き戻した罪な作品「ジェットマン」。そして今また、「ゴーカイジャー」後半の序盤で、思いっきり引きこまれています。20年というスパンを経て、同じ作品を追体験出来るのは、特撮ファンの特権です。この幸福なシリーズを味わい尽くそうではありませんか。

 ちなみに、ジェットマンのビデオは、当時の慣例を打ち破って放映中からリリースされ始め、しかも当初より全話収録を前提としていました。これは異例中の異例であり、いかに人気があったかが分かります。また、ジェットマンのDVDは、早期に発売されました。

鳥人戦隊ジェットマン VOL.1
鳥人戦隊ジェットマン VOL.2
鳥人戦隊ジェットマン VOL.3
鳥人戦隊ジェットマン VOL.4
鳥人戦隊ジェットマン VOL.5

 この機会に、結城凱の姿を見返してみてはいかがでしょうか?