Mission 47「リセットとバックアップ」

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 前回がリュウジの熱暴走をメインに据えたバトル編だったので...という事か、今回は順当にヒロムのウィークポイントにスポットを当てたものとなりました。

 一方で、ヴァグラス、特にエンターの身に何が起こっているかを、延々と説明する側面もあり、割と退屈な感も。最後の最後に明かされた「衝撃の事実」も、何となく「思いつき感」が否めず(いや、ちゃんと伏線らしきものはあったんですけどね)、結局子供にも大人にもよく分からない筋運びになってしまいました。うーん、これって「ゴーバスターズ」の結末における「天井」がもう見えてしまったという事なんですかねぇ。

 今回はヒロムがメインなので、レッドバスターの壮絶なアクションが期待出来るかと思いきや、実際はエスケイプとの因縁を強く感じさせるブルーバスターの方が、アクション的には充実。壁面を使ってクルリと回転するアクション等、印象的な動きを見せてくれました。

 にしても...盛り上がりのなさは致命的な気がしますが...。

 まずはヒロムのサイドから。

 リュウジの熱暴走がフィジカルで不可避な「現象」として扱われ、前回のそれも、メンタルからの影響が皆無であるかのようなクールな描かれ方をしたのに対し、今回ヒロムのウィークポイントに関する一連の流れから感じられるのは、メンタルな要素が非常に濃厚であるという事です。

 幼少期のニワトリに関する「事件」がヒロムのトラウマとなり、それがフリーズの引き金になった事は、以前にも言及されました。しかし私は、そのトラウマを克服したとしても、ニワトリが視覚情報として脳内で処理された時点で、ワクチンプログラムのバグによってフリーズが引き起こされるといった感じで、メンタルな部分とは殆ど関係なく「物理的に」起きる現象だと思っていましたので、今回の展開は実に意外でした。

 今回のヒロムのニワトリ克服は非常にコミカルに描かれ、エンター絡みの重苦しく難解な筋とのトータルバランスをとっていたわけで、それはそれで終盤の重圧を払拭するに最適な感じでした。この点は非常に高く評価出来ると思います。当のヒロムは大真面目に取り組んでいるのが、ちゃんと画面から伝わるのも良かったですね。

 しかし、根本的な事を探っていくと、ヒロムのウィークポイント克服が、その多くをメンタル面に求められるという事に関する違和感と、結局克服出来ず、ニックによる「近いうちに克服出来るかも」というセリフで終わってしまう中途半端さと、ウィークポイント解除に少々のダメージが有効という「いきなり出て来た新要素」と、すぐに解除されるにしろ、フリーズを有効活用出来ない敵の知能の低さ(虫由来という面はあるかも...)。これら全てが押し寄せて、「???」が止まらなくなってしまったのも正直な処。ヒロムが素直に仲間に助力を請うという「美談」が、中心にあるにはあったのですが、これも中盤から普通に描かれて来た事なので、「今更テーマにする程の事?」という感じが大きく、全体的なシリーズ構成にまで中途半端さが波及している感じがして、何だか妙な気分になってしまいました。

 一方、エンターのサイドもかなり中途半端です。

 冒頭に述べた通り、サラッと見ただけでは難解。エスケイプ、エンター共にある時点におけるバックアップがどこかに保存してあり、何度でもその時点のバックアップから実体化する事が可能というのが、まず中心にあります。しかし、「ゴーバスターズ」の特徴であるエクスキューズ偏重に立ってみると、色々と妙な点も。

 まず、エスケイプのバックアップは何処にあるのかよく分からない。エンターが保持している(というよりエスケイプはエンターの一部)と考えて良いと思いますが、劇中でそれらしい描写は特にありません。一方のエンターについては、何とヒロムの中にあるNo.13のメサイアカード自体がバックアップであるという、「衝撃の事実」が明かされました。

 エンターに関しては、これでバックアップと再生の整合性が一見取れているように感じられますが、実際はちょっと事情が異なります。エスケイプが、バックアップから再生された際に「ある時点のバックアップ」の状態で登場するのに対し、エンターは、再生してもまるで記憶が持続しているかのように描写されます。つまり、エンターは消滅寸前まで常にヒロムにバックアップデータを投げ続けていた事になるわけですが、勿論劇中でそのようなシーンは存在しません。

 エンターの言からは、自らが新たなメサイアであり、「完全な人間」になるという思惑が判明しますが、ここに整合性を得るヒントがあるような気がします。加えて、以前「ヒロムのデータを頂いた」という発言がある事も重要なポイントです。

 即ち、ヒロムの中に存在するNo.13のメサイアカードこそがエンターの本質であり、ゴーバスターズの眼前に現れるエンターは、アバターに過ぎない。要するに、ヒロムの有機生命体としての活動情報を元に、エンター=新たなメサイアは進化を続けているわけです。従って、ゴーバスターズの眼前に現れるエンターのバックアップがヒロムの中にあるのではなく、本体プログラムがヒロムの中にあって、その投影物がエンターとして現れると考えられます。本当の意味での「バックアップ」など、そもそもないのです。

 という事は、エンターの言には大いに語弊があるわけでして。まぁ、細かい事で申し訳ないのですが、字面通りで理解出来なかったので、なるべく物語の表層に従って解釈してみたのですが、いかがでしょうか。

 かつて、メサイアの中にあった肉親のデータを消去せざるを得なかったヒロムが、今度は(現時点では)自分が消滅しない限りメサイアを消去出来ないという皮肉...。この理不尽な状況設定には十分唸らされるものがある(しかも、結構意表を突かれる展開だった)ので、細かい部分をキッチリと理解して見ておきたい処ですね。ヒロムの中にあるのが、単なるバックアップであるのと、メサイア本体であるのとでは、データそのもののバリュー云々よりも物語における存在感の重さが違いますからね。

 ところで、エスケイプの魅力が益々強くなって来ている感があります。エンターが「面白くない」と切り捨てるような、従順なキャラクターになった事で、これまであまり感じさせなかったキュートな面が大いに表出。リセットされる度にちょっとキョトンとした表情で登場するのが、また凄まじく可愛い(笑)。完全に使い捨てとして扱われる虚無感が、その「哀愁を伴う無垢」を一層強化しています。何度も倒される事で、それとなくゴーバスターズ自体の戦力の向上を感じさせるのも良い配慮で、今回エンターがノーガードとは言え、簡単に粉砕されるに至る流れも不自然さが殆どありませんでした。

 これらの要素を俯瞰すると、撮影現場サイドの段取りや演出力は水準を大きく超えた仕事をしているように感じますが、どうも文芸的な部分での弱さが目立つような気がします。当初の、文芸的なリードに現場が必死でキャッチアップして凄いコンテンツを作り出しているという光景が、いつの間にか逆になってしまった...そんな印象がありますね。

 何となく、結末が見えてきた感はありますが、ヒロムとエンターに収束させていくという「曽田戦隊」の復権のような展開には、驚きと共にノスタルジィを喚起されて嬉しいものがあります。今回の内容に少々心配しつつも、結末まで目が離せません。