Mission 38「実況! エースデスマッチ」

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 シチュエーション的には全編ギャグ編に成り得るにも関わらず、何故かシリアスに進行する妙なエピソード。
 そして、リングの上で巨大ロボットが格闘するという、普通はギャグ編でしか成立しない絵面を前面にフィーチュアしつつ、何故かシリアスな雰囲気が漂う妙なエピソード。

 この二文が、今回の類い稀なる違和感を言い表すのではないかと思います。

 また、ゴーバスターキングという、新合体形態の登場編でもあり、その形態登場への必然性を、ヒロム不在に求める辺りの段取りは見事。エクスキューズ偏重主義がやや復活した感もあり、前述の「ギャグのシリアス化」も、根底にはこのエクスキューズ偏重主義が流れています。

 今回の牽引力は、リング上で巨大ロボが戦うという、そのビジュアルの面白さであり、そこにこれといったドラマ性はありません。シチュエーションのみでストーリーを引っ張る手法は、巧く使えばハイテンポかつハイテンションな作品を完成させられるものであり、多くのアクション映画の手法そのものでもあります。

 リングという、スケール感をスポイルするようなステージにあって、エースやメガゾードのスケール感がそれほど失われていなかったのは、驚嘆すべき点です。その要因として挙げられるのは、徹底したハイスピード撮影と、通常の特撮ステージで使用されるカメラアングルを踏襲していた事。スケール感を演出するミニチュアの飾り込みや、土煙といったものは使用出来ないので、巨大感を出すのは実に困難だったと思われますが、高い水準で達成されていたのではないかと思います。等身大のエンターと絡ませたのも巧い。

 これがギャグ編であれば、縮小されたエースがリングに上がらされて大騒動といったストーリーラインに乗せて、スケール感の必要のない画面を展開する事が可能なわけですが、敢えてそこを選ばなかったのは、「ゴーバスターズ」が「巨大戦」の充実を標榜している事は勿論、ヴァグラスはあくまで現在のコンピュータ・テクノロジーの延長線上に有り、物体の自在な縮小といった「魔法」まで飛躍しない、申し合わせの存在があるからではないでしょうか。

 そんな中で、ドームロイドは自らの戦いを自ら実況するといった、コミカルな面を見せており、ここは唯一(ラストのヒロムの衝撃的な変顔を除く)のギャグテイスト。今回はヒロムの面割れが披露されるなど、全体的に「追い詰められるヒーロー」のラインも取り入れている為、重苦しくなり過ぎないよう、バランスを取っているのではないかと思います。巨大戦の実況が延々と流れるといった構成は、「ゲキレンジャー」を彷彿させますね。「ゴーバスターズ」の世界観においても、意外とマッチしていて面白かったと思います。

 さて、冒頭に示した「違和感」ですが、そのビジュアル的な「正体」は、前述の特撮手法の充実にあるでしょう。リング上というスケール感をスポイルする空間にあって、なお「ちゃんと巨大に見える」ビジュアルの意外性。その辺りが不思議な「違和感」を醸し出しているのは、先に述べた通りです。

 もう一つ、ストーリーの仕掛け上の「違和感」の正体は、リングというステージセッティングが、あくまでエンターの仕掛けたバーチャルなものであり、尚且つそれがメタロイドの能力の一環であり、さらに内部に侵入不可能であるが故に攻略の対象となり、そして外部へ脱出不能であるが故にヒロムが孤立奮闘しなければならず、ヒロムに生命の危機が迫る...といった要素が、「あらゆるシチュエーションの掛け合わせがロジカルに再構築される」という「ゴーバスターズ」の常套手段に則っている事でしょう。つまり、エースとメガゾードが、リング上でエンターテイメント性に富んだプロレスを繰り広げるという、最高に荒唐無稽なシチュエーションが、様々な要素によってロジカルに再構築されているという事です。

 その再構築によって、今回は非常にスリリングでありながらも、不思議なビジュアルに幻惑されるような作品になったわけですが、やはり「単純な面白さ」という部分では、あまり褒められたものでもないのが正直な処かと思います。何となく、「おふざけを大真面目にやっている」というより、「大真面目が面白い事をしようともがいている」感じに見えてしまうんですよね。

 「ゴーバスターズ」は戦隊シリーズなのでハードSFではないのですが、ハードSFの凡作のように、設定が窮屈すぎて歩幅が狭くなるのと近似した感覚が、たまに表出しているように思うのです。そこから遊離して楽しい飛躍を見せた回もあるのですが、今回のように窮屈な感じを受ける回もままあるんですよね。

 ゴーバスターキングの登場も、新合体形態の登場にしては、やはり少々アッサリ。これは、次々と繰り出される新要素に、いちいち深いドラマ性など込めてられないという事なのかも知れませんが、たかだかドームロイドをつまみ出すのに必要だったかどうか(笑)。リュウジ単独での研究成果という面では、リュウジの成長振りを窺わせて良かったと思いますが。

 このゴーバスターキング関連で言えば、興味深いパターン破りをしています。

 ゴーバスターキングは、グレートゴーバスターの構成要素の内、エースとライオーを入れ替えたもので、過去、「ダイレンジャー」の大連王と牙大王で、同様のパターンが初出(「ジュウレンジャー」の大獣神と剛竜神も、合体数が減るものの近似したパターン)となっており、新味があるわけではありません。パターン破りは合体方式ではなく、今回の登場におけるシチュエーションです。

 今回は、メガゾードが大挙登場し、エースと激闘を繰り広げる展開となっていますが、それをゴーバスターキングが「助けに来る」という状況ではなく、あくまでエース激闘の「後始末」を簡単にやってのけるといった活躍でした。つまり、新戦力登場にありがちな「既存戦力の圧倒的危機」を「新戦力が一気に解決する」といった図式において、前者も後者も回避されているわけです。

 この中で、「既存戦力の圧倒的危機」に関しては、ヒロムが面割れまでして戦闘を繰り広げている事から、採用されているようにも見られます。しかし、「13年に比べれば1時間程度など一瞬に等しい」というセリフに象徴されるように、このリング上での戦い自体がヒロムの精神力の強靱さを示すもので、「もうダメだ」と思うような境地にまでは至っていないのは明らか。リュウジ達が機転を利かさなくても、ゴーバスターキングが登場しなくても、ヒロムなら何とかしたのではないか...と思わせるようなヒロイズムに溢れており、逆にゴーバスターキングの登場に「取って付けた感」がまとわりついてしまったようにも見えます。

 全体的にテンポも良いし面白いんだけども、何となく首を傾げてしまうような...そんな不思議なエピソードでしたね。