Mission 30「メサイア シャットダウン」

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 「ゴーバスターズ」の第一章の完結編と言える一編。当初より引っ張ってきた幾つかの謎に解答を提示し、ヴァグラスの「本体」であるメサイアを滅する事で、まずは「ゴーバスターズ」のストーリーに一つの完結を与えたわけです。

 一種の完結編という事で、これまでのクールな趣とは少し方向性を変え、感情に訴える形式の盛り上がりを選択。肉親に対する情愛を前面に出し、その上で情よりも大義を選択する苦渋の決断を迫り、その裏で親達が子供達に託したものをきっちりと提示して、大きな悲劇の中に少しばかりの希望を織り交ぜる。近年では実に珍しい、理性的でヒロイックな作劇でした。

 突如提示されたその作風を最大限に描き切る為に、様々な仕掛け、趣向が見られます。それらは全て、戦隊の伝統を正攻法的に踏襲しているわけですが、続きではその辺りを。

 まず、今回意識されていたポイントは、「芝居」。

 敵陣突入というシチュエーションにおいては、必然的に「変身後」が大部分を占めるのは言うまでもありませんが、そうなると、アクション描写が中心となり、また芝居自体も表情のないスーツ主体となる為、アフレコだけではなかなか情感を出すのが困難です。歴代戦隊の最終編では、間に一旦変身解除の危機的状況を作ったり、素面のキャスト陣本人がスーツに入って芝居のテンションの統一を図る等(これは「記念」の側面の方が強いようですが)、様々な工夫によって情感を盛り上げたり、最終回前に情感を必要とする大方のドラマを終えて、最終回自体は怒濤のアクションで押し切っていくというパターンがあったり、色々と素晴らしい「完結編」を見せてくれました。

 今回、「ゴーバスターズ」で披露されたのは、常時マスクオフ。亜空間という「戦場」で隙があるように見える事なく、しかも表情による「芝居」が可能な措置は、見事としか言いようがありません。しかも、マスクオフ自体「ゴーバスターズ」では日常的に描写されて来たので、一切のわざとらしさが排除されているのもポイントでしょう。

 逆に、マスクオフが日常的であるが故に、ここぞとばかりのクライマックス感に乏しいというデメリットもあるわけですが、それ以上に「情感のある芝居」のメリットの方が遙かに大きいわけで、特に今回のような肉親との邂逅という状況下では、そのメリットが最大限に発揮されたと断言出来ます。

 その「芝居」自体の話ですが、ヒロムが実に素晴らしい。クールで感情表現の下手なキャラクターであるヒロムが、両親の決断を前に涙する熱さ、実体がないとはいえ、自ら両親を手にかけなければならない悔し涙の熱さ。それら全てが否が応でも視聴者を情感に引きずり込んで行きます。

 続いて意識されていたのは、「最終決戦の様式美」。

 実体化したメサイア自体が等身大に終始していたのは、巨大戦をクライマックスとする戦隊の「様式美」からややズレているかのように見えますが、実際は等身大戦をヒロム以外に任せ、巨大戦をエンターの操るメガゾードとCB-01に担当させる事で、状況の断絶を排除し、一気にカタルシスに向かわせる構成の巧さが光っており、却って満足度の高い流れになっていたのではないでしょうか。

 その、一見「様式美」とは離れているようなシチュエーションの中ににも、随所に「様式美」に対する意識が働いています。

 実体化したメサイアに、あらゆる攻撃が通用しないという危機感の煽り方、「決意」のシーンの重要性、いわゆる「再生怪人」の登場とその弱体化(笑)、幹部自らが最前線で積極的に戦闘に参加する事(エスケイプはいつも最前線なので、意外性はほぼ皆無ですが)。これらの要素は、正に東映特撮ヒーローの定番要素を煮詰めたエッセンスであり、正に「様式美」でしょう。

 この中で、「決意」のシーンに関しては、ヨーコがやや短絡的にヒロムの意見に同調しているように見えます。ヨーコに関しては、記憶の中に母の姿がごくわずかに存在しているわけで、ヨーコが母に慕情を抱く時は、即ち幼児性を復活させる事と(少なくとも劇中では)同義であり、ヒロムの「約束を破る」宣言は、ヨーコにとって承服しかねるものだった筈です。

 故に、このシーンでは却ってヒロムの決意の深さと強さが強調される事になりました。ヨーコが素直に納得する程の決意。勿論、作劇上、このシーンに割ける尺が多くないという事もありますが、あまり長々と展開しなかった事が、却ってヒロムのテンションの高さを確実なものとしていたのは、間違いない処でしょう。

 「様式美」の中で見逃せないのは、ここぞというシーンで(前)主題歌が流れた事。しかも二番が流れるという粋な演出。主題歌が変更されたばかりのこのタイミングで、これを流すというのが凄い!

 もう一つ、意識されていたのは、「謎の解明」。

 あと2クール弱の放映期間を残しながら、ここでほぼ全ての謎を氷解させたのは、大英断でしょう。一応、陣だけがデータ化されずにコールドスリープのような状態だった謎は残りましたが、ヒロム達の戦う意義を引っ張る謎は殆どなくなった事になります。

 ヒロムの両親達、センターの人々は、転送の際にデータ化されたままメサイアの中に残留し、「創造する者達」として働かされていたというのが「答え」でした。これは多分に「スター・トレック」的で、実際に「スター・トレック」シリーズの中に、過去の転送事故時に保存されていたデータが、長い時を経て発見され、復元されるというエピソードが存在します。

 「ゴーバスターズ」の転送技術は、今回に限らず当初より「スター・トレック」的なテクノロジーを感じさせており、その意味では非常に統一感のある「答え」だったと思います。しかも、今回はドラマ的に悲劇的な別れを最大限に活用すべく、「消滅」のみがクローズアップされていましたが、前述のように「スター・トレック」に「復活」のエピソードがある以上、「メサイアにバックアップがあったとしたら...」というifが用意されているかも知れないわけで、新章の「引き」になる可能性も秘めています。

 最後に、私が感銘を受けたシーンを。

 それは、亜空間脱出時にヨーコの肩に感じられた母の気配を描いたシーン。結果的にヨーコはヒロムに「約束を破られた」わけですが、実はヨーコ自体はそう感じておらず、メサイアの呪縛から解かれて自由になった母の魂が、これからはずっとヨーコを見守ってくれるという安堵感に満ちた表情を浮かべていました。これは悲劇性に満ちたストーリーの中で、一筋の光明を見出せる素晴らしいシーンであり、かつてのヨーコ編で、母の意志が受け継がれている描写があった事を、さらに一歩推進させた、豊かなイメージに彩られていました。今回の隠れた白眉でしょう。

 ラスト、多くを語らずに余韻を残した幕引きも、相応しいものでした。様々な要素が良い方向に出たと思います。

 次回は、映画のプロモーションを兼ねた、衝撃のギャバン登場編。「シンケンジャー」での「仮面ライダーディケイド」とのコラボレーションに匹敵する衝撃をもたらしてくれる事を期待します。