Mission 1「特命戦隊、集結せよ!」

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 まずは、今シーズンもよろしくお願い致します。ブログ執筆(という程のものでもありませんが)に割ける時間は、毎年確実に減っているのですが、何とか頑張って続けますので、ゆるりと応援の程、よろしくお願い致します。
 さて、超お祭り企画とも言うべき、スーパー戦隊の集大成たる「ゴーカイジャー」の後を受けるとあって、そのプレッシャーは半端ないのでは...と年季の入ったファンに心配された「ゴーバスターズ」でしたが、見事、絶大なインパクトの幕開けを飾ってくれました。

 これまでのスーパー戦隊の雰囲気をガラリと変えた数々の要素...と書き始めると、実に月並みなので、私なりの解釈を披露すると、ズバリ、「原点回帰」、「メタルヒーロー」、「大ヒットアクション映画」の三点に尽きます。つまり、新しい事はやっていない。むしろ、鉄板である各要素の組み合わせ方が新しい。それが、「ゴーバスターズ」初回のインパクトの要因です。

 では、その辺りについて、続きの方で解説を。

 まず、「原点回帰」。

 スーパー戦隊の原点とは何か。それはズバリ、「ゴレンジャー」と「バトルフィーバー」でしょう。「デンジマン」辺りを含めても良いですが、「デンジマン」は、乱暴に言えば、玩具界のゴッド・村上克司氏が、「バトルフィーバー」のフォーマットで80年代の「ゴレンジャー」をやるというコンセプトを試みた作品なので、厳密な意味での「原点」からは除外します。

 「ゴーバスターズ」の基本設定として、特殊技能を持ったメンバーがチームを組み、一つのミッションをこなすという展開があります。また、「大ヒットアクション映画」の要素と重複しますが、アクションの組み立て方は「ミッション・インポッシブル」シリーズの影響を色濃く受けていると見る事ができます。

 そもそも、「ミッション・インポッシブル」とは「スパイ大作戦」の原題「MISSION:IMPOSSIBE」であり、件の「ゴレンジャー」は「仮面ライダーアマゾン」の後番組として企画された、「五人ライダーでスパイ大作戦をやる」というプロットの発展バージョンとして成立したものです。ここから感じ取れるリンク、これが即ち「原点回帰」への一つのサインです。

 スーパー戦隊は、非常に長く続いている為、「ゴレンジャー」で成立させた「特殊技能者の集合チーム」という構造が、いつしか「(性格的な面で)個性的なメンバーの集合体」という感覚に変化し、個々人の技能的な個性に差が生じにくくなりました。実際には、その傾向は既に「ジャッカー」の後半から始まっており、同コンセプトの継続がいかに困難であるかの証左でもあるわけです。

 今回、「ゴーバスターズ」は(企画の趣旨を読む限り)「特殊技能者の集合チーム」という面が強調されており、その意味で、正しく「ゴレンジャー的」です。更に、特命戦隊のバックボーンに巨大な組織の存在が見える事も、「ゴレンジャー」の「イーグル」を彷彿させます。バスタービークルの発進シーン等で、整備士やナビゲーターが映る辺りも、「イーグル」の名も無き隊員達の発展描写と言え、もっと言えば、ウルトラシリーズに見られる、防衛チームのリアリティ溢れる描写をも導入したと言っても過言ではないでしょう(特撮自体、近年のウルトラより遥かにスケール感が出てました...)。

 そしてもう一つ、今回実に印象的なシーンがありました。それは、巨大戦と等身大戦の同時進行。これは、正に「バトルフィーバー」の手法そのものであり、「デンジマン」で等身大の怪物が巨大化するというパターンが確立されてからは(実際は、「バトルフィーバー」の前に放映された「スパイダーマン」が嚆矢)、半ば失われた手法です。合成やカット割り、特撮と本編のシンクロに多くの手間を割く必要がある為、敬遠されたのかも知れませんが、「バトルフィーバー」の巨大戦が、今なお輝きを失わないのは、バトルフィーバーロボのデザインの秀逸さもさることながら、等身大戦と巨大戦がシームレスに展開していたからではないでしょうか。単独でロボを操縦するバトルジャパンが、コクピットからコマンドバットを外に投げ、等身大戦を繰り広げる他のメンバーの投げたコマンドバットと合体し、必殺のペンタフォースが完成するという、現在では考えられない(理屈抜きな)シーンも頻繁に登場していました。

 これぞ温故知新といった具合に、「ゴーバスターズ」でも等身大戦と巨大戦がシームレスに展開しています。現在の技術をフル活用した画面作りは、「バトルフィーバー」で心躍らせた世代にも、直接アピールするだけの高い完成度と興奮度を有していたと思います。

 今回の凄い処は、そこに「巨大戦を特殊な事象として扱う」という手法を持ち込んだ事です。それは、敵側の巨大ロボが、空間を超えて転送されてくるという事態を、「現象」に近いテイストで描き、そこにタイムリミットのサスペンスを導入するというもの。これにより、スーパー戦隊シリーズがジレンマ的に抱えている「消化試合」のテイストを、極限まで抑制する事が出来ていました。ほぼ全面的にオープンセットで撮影されていたのも、本編とのシンクロ具合を高めていましたね。素晴らしいです。

 続いて、「メタルヒーロー」。

 ニック達バディロイドは、一見して「メタルヒーローシリーズ」の要素を継承している事が分かります。他にも、本編をつぶさに見てみると、異空間を根城とする敵に「宇宙刑事シリーズ」のエッセンスがあったり、バディロイドのように意志を持った等身大ロボットという要素が、「レスキューポリスシリーズ」に近いインプレッションを与えていたり、メカの精細な描写に「ビーファイター」が感じられたり。ゴーバスターズ自体は、「ブルースワット」で試行されたリアリティのある戦闘部隊という雰囲気でまとめられています。この「ブルースワット」、前衛的過ぎる作風が災いし、失敗作という評価が定着してしまいましたが、ある意味、とうとう時代が「ブルースワット」に追いついたと言っても過言ではないでしょう。

 今回を視聴して、最も色濃くメタルヒーローの特徴を受け継いでいると感じるのは、変身シーンでしょう。一見して新鮮なのは、バンク処理でない事。スーパー戦隊シリーズの変身シーンは、一部を除くと、基本的にバンク撮影されたものが使用されるのが常でした。バンク処理の良い処は、凝っていて派手で分かりやすい変身シーンを演出出来る事。逆に、悪い処は、使い方にもよりますが、シーンがぶつ切りになって間延びしてしまう事、キャストの髪型や表情等に差異が出た場合、リカバーが困難である事等が挙げられます。

 メタルヒーローにおいては、宇宙刑事シリーズがバンクでない変身+バンク変身(つまり「もう一度見てみよう」)という「発明」をしており、システマティックな今回の変身シーンと相通ずる部分があります。

 三点目は、「大ヒットアクション映画」。

 言わずもがな、スーパー戦隊シリーズはその時期にヒットした映画に影響される事が多く、古くは「デンジマン」がホラー映画ブームに影響を受け、「ジュウレンジャー」が「ジュラシック・パーク」の制作の報等を受けての企画、「タイムレンジャー」が「マトリックス」、「マジレンジャー」が「ハリー・ポッター」、「ゴーカイジャー」が「パイレーツ・オブ・カリビアン」といった具合。

 今回の「ゴーバスターズ」が影響を受けた大ヒット映画は、ズバリ「ミッション・インポッシブル」と言いたい処ですが、そのものズバリと言う程分かりやすくはない。むしろ、色々な映画の特徴的な要素を研究し、スーパー戦隊シリーズが消化出来る形にしている処が面白いのです。

 例えば、「ヴァグラス」の描写は非常に「マトリックス」的であるし、スパイガジェットの扱いは「ミッション・インポッシブル」的。同じスパイアクションでも、逆に、ビルへの突入アクションやスリリングな格闘は「007」的で、巨大戦における変形シーンの、これまた「バンクでない変形シーン」は、「トランスフォーマー」の自然かつ驚異的な変形シーンをよく研究しているように思えます。異様なまでの情報量の多さは、正に近年の「大ヒットアクション映画」に通じるノリです。

 これら三点の巧い組み合わせによって、「ゴーバスターズ」はスーパー戦隊の新しい形を創出しています。少なくとも、初回のインパクトは、そういう感想を持たせてくれました。

 そして、これらの要素をひとつにまとめあげているのが、「パワーレンジャー」の存在。「モーフィン」というタームは、初期作「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」そのものですし、「メガゾード」というタームも、「パワーレンジャー」における巨大ロボの総称です。

 日本の戦隊を由来とする「パワーレンジャー」は、ハリウッド由来の息吹を取り込んで独自の進化を遂げ、もはや「日本のスーパー戦隊の亜流」ではない、一つのジャンルとなりましたが、「ゴーバスターズ」は「パワーレンジャー」を逆輸入する事で、アメリカナイズされた部分と日本の戦隊の良い部分を融合させてみせたわけですね。更に、もう一つの東映特撮の潮流であるメタルヒーローを、現在の映像技術で戦隊の中に蘇らせる事で、「パワーレンジャー」の構造に違和感を持ち込み、その違和感を以て徹底的にジャパナイズしてみせた...そういう作品だと思います。

 まだ、初回なのでキャラクターの深度はほど浅いのですが、小林靖子さんがメインライターという事ですので、キャラクターの立ち方は折り紙付きでしょう。キャスト陣には初々しさの中にしっかりとした演技プランが感じられ、バディロイドのキャスティングも素晴らしいものでした。これからの展開が非常に楽しみですね。