第8話「奪われたギンガスパーク」

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 本放送終了後から随分時間が経ってしまいましたが...。

 ちょっと時間が出来たのでこちらのブログも仕上げておこうと思います(笑)。「ギンガS」も決まった事ですし。

 シリーズ完結後しばらく経過した後の記事ですので、オンエア当時よりも冷静に、かつBlu-rayでの再視聴後の発見、そしてメイキング視聴も含めての意見になりますので、ご理解の程を。

 この回は、変身アイテムの紛失譚というウルトラの定番を意識しつつ、過去によってやさぐれた大人と、未来への希望に輝く子供の対比をライトな感覚で描いた爽やかな一編です。

 前回の第二シーズン導入編のエキセントリックな作風と比べて、演出がオーソドックスで安定している印象。しかしながら、美鈴のライブや宇宙人(ナックル星人)と健太達の直接対決(?)、ザラガス新形態、ウルトラマンダークの出現といった新味のある要素がふんだんに盛り込まれており、これが安定した演出の中で展開される事によって、強い印象を残すようになっています。

 一方で、大人のキャラクターが実に良い味を出しています。ストーリー自体は、特にヒネリも意外性もなく、次々と後の展開が読めてしまうような内容だと思いますが、逆にそんな安心感が巧く作用して、個性的な大人連中を際立たせていたように思います。

 今回登場する「大人」は、ホツマ、白井校長、カッキーといったレギュラー陣に加え、前回のガルベロスにライブしていた剛(カッキーの幼なじみ)、美鈴の父、黒木、桑原といった面々。しかも、最終回直前まで学校周辺の空間が閉塞している設定なので、この大人達が第二シーズンのレギュラー扱いとなり、一気に登場人物が増えるわけです。

 カッキーこと柿崎太一は、これまで摩訶不思議な出来事に翻弄される「第三者」でしたが、今回からは事件を子供達と共に体験する「当事者」へとポジションを変化させます。美鈴の父達が学校を訪れた際、ヒカル達と同目線で自体を把握・説明している事からも、それが伺い知れます。また一方で、ヒカル達に剛の事について語る優しい口調は「大人」のそれであり、友達と大人のポジションを自在に行き来出来る、肩肘を張らない大人の代表でもあります。これまでのエピソードでは、演じる宇野さんのあまりテレビ向けとは言い難い(詳らかに観察すると実は物凄い巧者である事が分かる)自然体の演技もあって、今一つ存在意義を見出せないキャラクターでしたが、今回で化けたように思います。

 大里剛なる人物は、前回ガルベロスにライブしていた元ボクサー。カッキーの幼なじみという設定がなかなか効いていて、二人の対照的な風貌によって、二人の進んできた道さえも差別化されているように見えます。この剛がヒカル達の夢を一蹴するシーンはかなり緊迫感があり、かつ説得力もあります。低年齢層の視聴者にとっては剛が「嫌な大人」に見え、その親の世代が見ると「剛の言う事もよく分かる」となる。この加減が絶妙で、全体的にユルめな作風の中にあって、当シーンはかなりざらついた肌触りを持っています。ヒカルが反論するくだりは、大人が醒めた目で見てしまうシーンになるよう意図されているようにも見え、結構鬱屈した気分を煽られます。

 美鈴の父・石動誠一郎は、この回ではそれほど印象に残らないというか、この時点では単に美鈴の父以上の存在ではないと思います。ただ、何故か妙に不気味な雰囲気を醸し出し、仕事に没頭して美鈴とかなりの距離感を持っている事を感じさせる表情はさすがといった処で、野村さんのキャリアの蓄積を存分に感じさせてくれました。後にダース・ベイダーのような役割を担う事になるのですが、そこに至るプロセスを演技プランだけで乗り切ってしまう思い切りの良さ。その辺の匙加減の絶妙さは、本放送終了後の今になって気付くんですよね。

 さて、美鈴の父が連れてきた建築関係の人間が、黒木知美と桑原伸吾です。この二人がまた良い風味。黒木役の川上麻衣子さんは既にベテランの域に入る女優さんですが、棘のあるヒステリックな物言いと、食事シーンで見せる食欲旺盛な様子の可愛らしさとのギャップが得がたい魅力を放っており、前シーズンで暗黒面だけがクローズアップされてきた「大人」の描写から、一歩脱したイメージを与えています。これに関しては桑原も同様で、愛想の悪い神経質な職人気質は憎めないキャラクターであるし、ギンガスパークを盗み出すに至る弱さも、単なる「悪」だとは片付けられない説得力に満ちてました。

 そのギンガスパークを巡る争奪戦に至ると、一気に「活劇」へと転じます。ここからは、ややコミカルな描写も交えつつも、剛の「立ち直り」を盛り込んでいて、爽やかなカタルシスが得られます。ヒカルの為に奔走する友也や健太、千草のポジションがかなり明確になっており、特にナックル星人の甘言が全く響くことのない友也の確固たる姿勢には、前シーズンで纏っていた影を払拭するだけのパワーがありました。

 変身アイテムの紛失は、各シリーズで頻繁に繰り返されているような印象がありますが、実はそうでもないのが意外と言えば意外です。「帰マン」はそもそも変身アイテム自体がなく、「A」~「レオ」はアクセサリー的なアイテムだった為か紛失するという事態がありませんでした。この辺りのシリーズは、むしろ変身アイテムではなく変身プロセス(ポーズ等)に重きが置かれていたようにも見え、同時期の「仮面ライダー」の影響を強く感じる事が出来ますね。「80」もブライトスティックを紛失するというパターンではなく、むしろ(特に教師編では)変身不可能なシチュエーションが重視されていました。「ティガ」ではスパークレンスの強奪がイーヴィルティガ登場に繋がる重要なトピックとして扱われますが、その後のシリーズでは「マックス」を除いて変身アイテム紛失譚はほぼないと言って良いでしょう。ちなみに、最も紛失頻度が高かったのは、セブンでした。

 そして、今回は遂に美鈴がギンガライトスパークを手にして、ウルトライブを経験する事になります。

 変身アイテム紛失譚で、別の変身アイテムを誕生させ、しかも主人公はそれを使わないという、前代未聞の構成にはビックリで、美鈴のライブしたレッドキングの可愛らしい動きに更にビックリ。これは、その後の「皆でライブ」に繋がる重要なシーンなのですが、極めてコミカルに処理されていて驚きます。レッドキングとザラガスの対決という、なかなかのスター怪獣同士のマッチとあって、画面自体の迫力は良いものがあります。ザラガスのヤマアラシのような最終形態は、いかにも「強くなった」と思わせるビジュアルでしたが、オリジナルの持つ「機械的な物体が生えている違和感」をもう一度生物に引き戻している点において、やや印象が弱いような気がします。

 クライマックスでは、ウルトラマンダークが突如登場。次回への引きとしては実に効果的でした。Blu-rayのライナーノーツによると、出番を繰り上げたとか。全体的にバトル自体はユルめでしたので、その効果は如実だったと思います。