第6話「夢をかけた戦い」

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 前半戦のクライマックス。とはいえ、あんまりクライマックスな雰囲気はなかったのですが...。

 とりあえず、ヒカルの夢を信じる実直さに、友也が少なからず感化されるという「区切り」を呈して、前半戦を一旦終了としました。

 今回は、区切りとしてのケジメらしく、ティガダーク&バルキー星人 VS ギンガ&ジャンナインという布陣でバトルを組み立てており、なかなか見応えがあったと思います。ヒカルが初回のウルトライブでいきなりギンガに変身するカタルシスもさることながら、友也のメンタルの変化に伴ったジャンナインの復活、喋る事で初めて自らの意志を明確に示すギンガといったサプライズ要素もあって、充実していたと思います。

 今回のメインテーマは、友也の捉えていた「夢」とは何かというもの。

 ヒカルや美鈴、健太、千草といった面々は、それぞれ夢に関して印象深いくだりが設けられた事で、キャラクターの個性構築が為されました。一方、友也はミステリアスな雰囲気を与える事でキャラクターを構築してきたので、彼の夢そのものに関するトピックでストーリーを運んでいくのは基本的に不可能。そこで、友也自身に夢がないという解決を提示し、ドラマの原動力としています。

 結論から言えば、友也の捉えていた「夢」とは「欲望」が形を変えたものでした。万能感に支配されている友也にとっては、「欲するものが遠くにあるから一生懸命手を伸ばす」という感覚が欠如しており、「夢」に形を変え得る「欲望」など存在しなかったわけです。生い立ちといい、無欲である処といい、何となく「仮面ライダーオーズ」を想起させます。

 その友也、前回、中途半端な印象のあった父との会話シーンですが、今回はその前後を含めたシーンが改めて挿入され、何が親子の間にあるのかを明確にしました。

 友也は将来父の跡を継ぐ事が決定づけられている人間ですが、父には「夢のない」友也に「向上心のなさ」を感じ、一方の友也は父にレールのゴールとしての価値しか見出していない。この親子の間にあるのは、壁ではなくある種の諦念である事が分かります。特に、友也にとっての父は、自分の将来像としての輝きが完全に欠如していて、そこに「憧れ」といった感情は皆無であるように見えます。

 ここで、タロウが「偉大な父を持った子の苦悩」を共有しようと友也に近づいてくるのですが、決定的に齟齬が生じているように見えるのは、そこに「憧れ」の有無が関わるからでしょう。タロウの回想が何となく空振りの様相を呈しているのは、それが原因だと思います。

 タロウの場合は、憧れの父のようになりたいという願望を告白した処、ウルトラの父に叱責されたという回想。ところが、このくだりはかなり強引なロジックに縛られており、最終的な「父を超えて欲しい」という結論に至るまで、回りくどいエクスキューズが散りばめられ、少々首を傾げるようなシーンになっていました。タロウの「父のようになりたい」が、何故か「父そのものになりたい」という極端な論に曲解され、「父そのものにはなれない」、「タロウはタロウ」、「父を超えた存在になって欲しい」と展開されていくのですが、正直、ウルトラの父の叱責の元となる心情は理解し難いと思います。それとも、「さすがは大隊長、子供には厳しいね」で済まして良かったのでしょうか...。

 タロウには間違いなくウルトラの父に対する憧れがあり、それを素直に吐露しただけに見えます。それを言葉も発さずに(という演出で)頭ごなしに否定してしまうウルトラの父。大隊長の多忙な業務にイライラしていたとしか思えません(笑)。私のウルトラの父に対する印象がやや悪くなるようなシーンでした。折角コタロウまで出してきて、素晴らしい力の入れようなのに。

 まぁ、その分、ウルトラの母の優しさが強調されて良かったかも知れませんが、うーむ...。

 話を戻すと、友也の父もウルトラの父と同様に「父を超えるくらいの気概が欲しい」と思っているのではないかと導かれる事になるわけですが、それは「タロウの特殊な生い立ちを使った」という点で、非常に効果的でした。

 実はこれまで、タロウの生い立ちに関する描写は断片的でした。「ウルトラマンタロウ」本編は、東光太郎がタロウに生まれ変わったような描写で始まりますが、途中でタロウの通った小学校が登場したり、ウルトラ兄弟達との血縁を思わせる会話(実際に血縁関係はほぼない)がある等、何となくタロウの生い立ちが匂わされる事はあるものの、基本的にタロウは東光太郎その人であり、タロウという人が別個に存在していたような印象は皆無です。

 少し変化が生じたのは、前述のコタロウの映像デビューとなる映画「ウルトラマン物語」。ここでは、雄々しき父と、ゆかしき母に見守られて強く成長していくタロウの姿が描かれました(タロウの声=石丸博也さんという前提を作ったのもこの映画)。しかしながら、この映画はTVシリーズのダイジェスト版的なニュアンスが強いもので、タロウがいかに他のウルトラマンの戦いに学んで最強の戦士に成長を遂げるかが主眼。コタロウ期に怪獣の善悪を説かれるくだりには、今回の回想シーンの雰囲気と同種の空気が流れていますが、全体的にはタロウの個人的な感情はあまり介入する余地がありませんでした。

 従って、今回の回想は、ウルトラマンタロウというキャラクターにとって、大きな意味を持ってきます。父がタロウにとって憧れの存在である事が明確にされ、既に父を超えた戦士として成長を遂げたタロウが、今もなお父を「偉大な存在」と表現し、過去の苦労を振り返るのです。これをタロウのキャラクターにおける革命と言わずして、何と言いましょう。

 というわけで、タロウの事ばかり語ってしまいましたが、友也の心に何らかの灯が宿り、この後のヒカルによる「ウルトラマンギンガを倒すのがお前の夢だ」という、メッチャクチャに強引で意味不明な説得にも、頷く事になるわけです。

 ヒカルの言は、好意的に解釈するならば、何も将来に見出せない友也に当面の「目標」を与え、しかもそれが「思い通りにならない」という「夢の本質」の換言になっているわけで、友也のブレイクスルーを促すものとなりました。感情に乏しい友也が涙を流し、それがジャンナイン復活に至るプロセス等は、「ウルトラマンギンガ」のテーマを象徴するシーンとなっていたのではないでしょうか。

 ティガダークについては、バルキー星人のコミカルな味に圧倒されて、やや消化不良気味だったものの、ヒューマノイドによるアクションはやはり格別に立体的で、本シリーズが持っている可能性を感じさせてくれました。秋から開始の後半戦で、是非とも弾けてもらいたい処ですね。