第5話「夢を憎むもの」

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 冒頭、いきなりこれまでの総集編が展開されて、一瞬「今週は本編じゃなかったっけ?」と思ってしまいました。

 今回と次回で、前半戦のクライマックスとなる構成なので、一度これまでの流れを整理する意図があったようですね。タロウの回想という形式を採っていたのが巧い処です。

 本編はというと、前後編に分けた事でかなり中身がスカスカになってしまったのではないかと思われるストーリーを、色々な手段で引き延ばした印象があり、秀逸なカットが散見されるものの、やや冗長な感がありました。第3話で一悶着あった健太を、今度こそ事件のメインに据えてくる流れは良かったのですが。

 前回は千草の嫉妬心がメインに据えられていましたが、今回は健太の疎外感にスポットが当てられました。その年代の危うく脆い「友情」と、逆に強い結び付きを示す「友情」の対比がテーマとなっており、健太とヒカルの対話には見るべき点が多々あるかと思います。

 「帰マン」や「A」では、ウルトラマンであるが故に理解されず、それとなく疎外感を感じる主人公の葛藤を描くエピソードが多々ありましたが、今回はウルトラマンに関する秘密を共有する者達から疎外される健太を通して、これまでのシリーズとは逆転した構造で見せています。印象的なのは、ウルトラマンに関する秘密の共有を「内緒話」のレベルで扱っている事。千草はラゴンになる体験を通して秘密を知ったので、結果的にスパークドールズの秘密を知る者とそうでない者とで3対1の構図が生まれましたが、友達の間で隠し事があると分かった時の疎外感を描くのに相応しい場面運びで、素直に健太への感情移入を誘っています。

 ここでは、どう考えても怪しい美鈴や千草の態度に加え、ヒカルの(厭味にはならない程度の)無神経さが強調されていますが、このようなあまりリアルとは言えない演出も、手早く健太への感情移入を助けるものとして考えれば許容出来るものでしょう。視聴者にとっては、健太に感情移入させられつつも、それが誤解によるものだと理解しているので、前述の「帰マン」や「A」で味わうようなやりきれなさを別の形で味わう事になります。この辺り、年季の入ったファンはニヤリとしてしまうんですよね。

 しかしながら、「ギンガ」はそのような鬱展開を引っ張るような作風ではないので、割と早い解決が訪れます。

 ダークダミースパークの虜となった健太は、降星町を破壊してそれを写真に収めると嘯くような「悪人」になり、それをヒカルが止めようとするシーンでは、オーソドックスでプリミティヴな「拳で分からせる」という手法が用いられました。言葉でグダグダと説得されるより、こちらの方が分かり易いのは言うまでもなく、正常でない健太を正常に戻す過程で必要なカタルシスを示した好例と言えるでしょう。この健太の「正常でない」描写がミソで、この時点で健太への感情移入は拒否され、視聴者の興味は必然的にヒカルへと引き付けられるようになっています。従って、「友達を殴る」という行為にも自然なカタルシスが与えられる事となりました。

 全体の構成から言っても、クライマックスをジャンキラーとのバトルに求めるのが自然であるのは間違いないので、健太に関する解決が、「生身のヒカル」によって行われるというプロセスになったのは正解ですね。また、この一件で、健太がスパークドールズの秘密を知ることになり、結果的に秘密を共有するヒカル達に合流する事になるわけで、その疎外感を根本から払拭して一旦健太の件を解決に導き、今回のクライマックスにおける友也VSヒカルの構図に無理なく繋げています。ここでは、友也による「友達同士のつぶし合い」の意図が吐露され、それに対するヒカルの怒りを描く事によって、ギンガの登場まで一本筋を通しています。この辺りの構成の確かさは見事だと思いますね。

 ただ、流れがスムーズでも、やはり冗長さは問題でしょう。

 どうにも尺が埋まらなかったかのような印象を与える、回想シーンの数々。友也の回想は思わせぶりなアングルや構図により、彼の孤独感を表現していますが、会話がやや浮き世離れした印象で今ひとつ。ラゴンの回想は、千草の黒歴史をえぐるようで意地悪な質感を伴っている感じがします。

 さらに尺を伸ばそうという意図が見えてくるのが、ジャンキラー関連のシーン。

 変形プロセスを懇切丁寧に何回も見せてくれるのは、途中からちょっと拷問レベルでした(笑)。しかも、完全にバンクなCGカットだったので、シーンの場所やシチュエーションに応じた変形シーンというよりは、流れをぶった切るアイキャッチャーにしか見えず、折角の地上から宇宙へ展開する縦長なバトルもテンポが悪くなってしまっています。また、宇宙における超美麗な合成画に比べて、やはり地上戦の質感は今一歩という感もあるのも残念な処です。ミニチュアに関しては、相変わらず完成度も高い上に飾り込みも効果的。しかも、スタジオの狭さを感じさせない伝統的なカメラのスライド撮りもあって、スピーディなカットを生み出しているだけに、テンポの悪さは非常に惜しい処です。

 変形プロセスだけではなく、ドラゴリーにライドしたヒカルがジャンキラーと対峙するシーンでは、拳(?)を打ち付け合ったまま動かないシーンが妙に長く採用されており、最も著しい冗長さを感じさせました。ヒカルがジャンキラーの「正体」を探ろうとしているカットが挿入される為、その「静止」の意味は理解出来るのですが、ドラゴリーの造形物の所為もあってか、力の拮抗による静止という印象は殆ど持てず、ただじっとしているように見えてしまうのでした...。

 最後に、次回への引きの部分ですが、まず、友也がヒカルを助けたシーンについては、「ギンガならば倒せるが、ヒカルを倒すのは無理」という矛盾が実にリアルで感心しました。勿論、友也はヒカルがギンガにライドしている事を承知しているのですが、外見で対応が変わる(一応「友情」や「夢」に対する友也自身の見解を迷わされるカットはある)のは非常にリアルな皮膚感覚でしょう。健太の一件も、この友也に関しても、イデオロギーの尺度では測れない「感覚」が強調されており、それは正常な神経と言えると思います。

 そして、ティガダークの登場。

 タロウとあまり関わりのないウルトラマンを出してきたのは正解でしょう。勿論、大怪獣バトル以来、多次元宇宙に展開されるウルトラの世界では、タロウがティガの事を知っている筈なのですが、メインストリームでティガがM78星雲のウルトラ兄弟と関わったのは「ウルトラ8兄弟」においてのみ。しかも、「8兄弟」にはタロウは登場していないので、実質的にタロウとティガはかなり遠い存在です。よって、ティガダークが出現してヒカル達に仇なす事があっても、特別な身内意識をタロウが抱いて逡巡するような場面に遭遇しにくいわけです。

 ビジュアル的にも、ティガダークは「モノトーンのティガ」という鮮烈さがあって格好良いですし、子供達へのアピール度も高いと思います。引きとしては良いので、何とか巧く盛り上がって前半戦を終えて欲しい処ですね。