その44「ワフワフ!父ちゃんのメロディ」

 とある神社に初詣に来たスクラッチの面々。レツ、ケン、ランが激獣拳の勝利を願うのを見て、ゴウは「神頼みはしない」と告げ、しばらくゲキレンジャーと別行動をとると宣言。どこかへ特訓に行ってしまった。ジャンは見よう見まねで参拝を始め、スウグがダンに戻るよう願う。だがシャーフーは「それは無理なんじゃ」とジャンに告げた。

 ロンは「あと少しなのに惜しいことです」と理央を評し、ジャンに対する執着が真の幻獣王となるのを阻害していると言う。スウグにジャンを倒させてはどうかと理央に進言するロンは、スウグがゲキレッドを躊躇なく倒すだろうと告げる。理央は自分の相手に相応しいかどうかを試す好機とみなし、スウグを派遣した。真の幻獣王になるには、新たな意識を持つ新たな理央に生まれ変わらなければならないと呟くサンヨ。メレはその言葉を聞き、サンヨに問いただすが、サンヨは慌てて口をつぐんだ。

 スウグはダンではなく、理央の命令で動く人形。ダンの激気魂を解き放つには、スウグを倒すしかない。事実を受け入れたジャンは、スウグを自らの手で倒すことを決意する。

 サンヨの言葉が気になるメレを、コウが襲う。コウは臨獣スネーク拳のブラコの弟だという。コウは兄のカタキであるメレに興味を抱いているわけではなく、四幻将となる野望を抱いているのだ。四幻将になりたくば、悲鳴でも集めて来いとのメレ言葉を受け、コウは街へ向かった。コウを迎え撃つは、ラン、レツ、ケンの3人。

 一方、ジャンはスウグの吹く草笛の音を頼りに、スウグの元へと向かった。ロンは不敵な笑みを浮かべつつ、スウグとジャンの闘い振りの観覧を決め込む。

 そしてその頃、ミシェル・ペングの元にゴウが現れる。ゴウは「技のデパート」と呼ばれるミシェルに、ブルーサ・イーが遺した伝説のゲキワザ「天地転変打」の出し方を教わりに来たのだ。ミシェルは理論こそ心得ているが、習得したわけではないと言う。ゴウは「天地転変打」で理央を倒すことを決意していたのだ。ミシェルは、その思いに答えるべく、ゴウをとある滝壺にいざなった。

 コウと3人のゲキレンジャー、ジャンとスウグ、ゴウの伝説のゲキワザ習得。それぞれの激しい戦いが始まった。

 コウが遠隔攻撃を得意としていることに気づいた3人のゲキレンジャーは、接近戦を多用してコウを追い詰めていく。しかし、コウの反撃は3人の予想を超えて強力であった。逆に追い詰められたゲキレンジャーだったが、ケンが更なる反撃の糸口を掴む。ランとレツはケンに続き、コウを倒した。怒ったコウは巨大化するが、勢いに乗ったケンの操るサイダイオーの前では無力に等しかった。

 スウグは複数の存在の混合であるキメラの如く、あらゆる獣拳の技を繰り出してジャンを翻弄する。だが、ダンの激気魂が人々を不幸にすることに耐えられないジャンは、諦めずスウグに立ち向かっていく。そして遂にスウグを倒せるチャンスが訪れたが、ジャンの拳は寸でのところで止まってしまった。やはりジャンの心の奥底では、父を倒すことはできないという意志が残っているのだ。スウグはジャンを無慈悲に痛めつける。

 ゴウは「激気を体内に最大限に満たし、拳の大きさにまで圧縮。一気に放出する」という「天地転変打」の方法論に基づき、滝を逆流させるという特異な修行に挑む。天地をひっくり返せると信じる力が成功に導くと言うミシェル。ゴウは自信を見せつつ困難を極める修行を開始した。

 スウグは、ジャンの「父ちゃん」という言葉で拳を止めた。ジャンを抱きしめるスウグ。ロンはその様子に戦慄する。スウグの幻気が揺らいだのだ。「私の大願成就の為には、あいつは邪魔者」そう呟くロンは獣人態と化す。物陰に潜むメレは「理央様の為じゃないの? 何か別の考えがあるってこと?」と疑念を持った。ロンは幻気の弓矢を引き絞り、ジャンを狙い撃つ。だが、それをスウグが身を挺し庇った。スウグは血盟を上回る激気魂でダンの意志を体現する。ジャンはダンと数奇な再会を果たしたのだ…。

監督・脚本
監督
諸田敏
脚本
横手美智子
解説

 2008年最初のゲキレンジャーは、いわゆる「お正月エピソード」ではなく、残り少ない話数を鑑みてか、年始にしてはやや重いエピソードとなった。

 一応、年始イベントとしてレギュラーメンバーによる初詣の様子が描かれている。皆が袴や着物でキメている中、ゴウ一人だけが普段のジャケットを着ているところに、彼のストイックなキャラクター性が感じられて良い。逆にランは髪結までしており、この参拝シーンを華やかにしていた。

 クライマックスに向かってスポットを当てられたのは、ジャンとゴウ。ジャンは当然として、ゴウにこのような見せ場を用意してきたことにまずは驚く。確かにキャラクターのポジションとして、理央と過去を共有するゴウにスポットが当てられるのは必然なのかもしれない。しかしながら、当初からの主役であるランやレツのドラマが希薄になってしまうのも否定できないところで悩ましい。

 今回、ジャンの父であるダンの激気魂から、いかにしてスウグが形作られたかが描かれた。やはりロンの思惑が強く働いた結果の産物であり、理央を「真の幻獣王」と為すべく用意されたコマの一つであった。この描写を入れることによって、終盤のジャンとスウグの「再会」がより強く印象付けられる筈だったのだが…。この「再会」には少々問題がある。それについては後述する。

 メインキャラの一人となったゴウは、アナクロな特訓シーンを展開してオールドファンを喜ばせている。滝を使った特訓シーンは、東映のみならずヒーローの歴史において様々に展開されており、殊に「レインボーマン」の水の化身の力を得る修行や、「宇宙刑事シャイダー」における滝の水を日本刀で斬る(!)という特訓が印象的だ。今回の最終目標も、滝の水を逆流させるという荒唐無稽なものであり、ゴウでなくとも「参ったぜ~」なのである。ちなみに、滝の水を逆流させるという特訓は、同じ東映(動画)制作によるアニメ「聖闘士星矢」のドラゴン紫龍が行ったものと同一だ。ゴウ役・三浦力氏の、寒風吹きすさぶ中の熱演が凄まじいインパクトを放つ。

 さて、臨獣殿におけるロンの策謀が徐々に明るみに出るにつれ、戦隊のお家芸とも言うべき敵側内紛劇の様相を呈してきたわけだが、静かに進行している分、重厚さが感じられるものとなっている。サンヨがロンの真意を知っていて、つい口を滑らせるというシーンは、あまりに分かり易いきらいはあるものの、魅力的なシーンだ。ただ、ロンの知略が巧妙であるが故に理央が道化に堕してしまっているという問題もなくはない。理央もジャン同様に純粋な魂に突き動かされる存在として描かれているとすれば、両者の対決に説得力が生まれるという効果を期待できるものの、臨獣殿首領の座としての度量をあまり感じさせなくなったのは残念だ。メレが徐々にロンに対する疑念を募らせていく展開が秀逸なだけに、理央の存在感の軽薄さは少々弱いポイントになっていると言えよう。

 臨獣殿の核やゴウ、そしてジャンのドラマが骨太なのに対し、周囲はやや上滑り的展開を否めない。

 まず、幻獣ケルベロス拳のコウが、臨獣スネーク拳のブラコの弟という設定が登場したが、まるで機能していない。スウグが、マガやソリサといった懐かしの臨獣拳士の技を繰り出す際のイメージシーンと、レベルが大して変わらないのは困ったところだ。ブラコの持つ真毒を、コウは幻気によって更に強力に使うことができ、「再生怪人」がたっぷり出てくるといった展開であれば、もっと設定を活用できたのではないだろうか(もっとも、コウに「リンリンシー100人分を味方に」というセリフがあることから、この展開が用意されつつオミットされた可能性はある)。

 さらに、コウと3人のゲキレンジャーの戦いが、細かいシーンチェンジを伴った、ジャンやゴウのシーンとの同時進行で描写された為、消化戦的な印象になってしまった点も惜しい。コウはとりわけ強力な幻獣拳士ではなく、何となく中つなぎ的戦闘シーンに終始してしまい、巨大戦は人員の関係からサイダイオーにコウを瞬殺させるというものになってしまった。双幻士はあとゴウユとヒソが残っているが、単なる怪人消費にならないことを期待したい。

 そして、最大の見せ場、そして同時に問題を抱えているのがジャンとダンの数奇な再会である。

 素直に見れば、ダンの心を取り戻したスウグにジャンが抱きしめられ、ジャンに向けて放たれたロンの矢を、スウグが身を挺して防ぐというシーンは感動的である。無表情で言葉による感情表現の不可能なスウグが、心を揺らしていく演技は見事であり、スーツアクター賛美を高らかに唱えたい。ジャンの無垢な涙も非常に完成度の高い演技だ。

 だが、完全には納得できないのがディープなファンの悲しいサガである。それは、激気魂という曖昧模糊な存在に原因がある。ブルーサ・イーの激気魂は、明確な意思を持っているように見受けられた。少なくとも、ケンには天啓めいた教えを説いており、その魂の声を聞いた者は他にも存在した。この時点の「激気魂」とは、その人の意思のみが存在となったものと定義されている。しかし、ダンの激気魂は激気の塊に過ぎないような説明が随所でなされているばかりか、ロンがモノのように扱ってスウグを形作っている(しかも「不滅」という言葉に似つかわしくないイメージの「墓」から「取り出して」いる)。ところが、草笛を吹いたりダンのタイガー拳の構えをとったりと、ダンを特徴付ける行動も一方で散見された。この、意思があるのかないのかはっきりしない激気魂により、スウグは実に不可解なキャラクターになってしまっているのだ。これが、この感動劇に今ひとつノレない最大の原因である。スウグの醜怪なスタイルも手伝ってか、ダンの意思を体現する者となっても、その真意を量りかねて常に奇襲を警戒するような視聴スタイルにならざるをえなかったのは痛い。困難だろうが、外見にそれとわかるようなシグナルが施されていれば、かなり印象が変わったのではないだろうか。または、大葉氏の声で喋るようになれば、相当に印象が変わっていただろう。ロンが「血盟を超える激気魂」と評したダンならば、その位スウグの設定から飛躍しても良かったのではないかと思う。

 この再会、何故か次回に引っ張っている。何か仕掛けがあるのだろうか。私的に、少し大葉氏の登場を期待しているのだが、果たしてどうなるであろうか。

 このように、テンションの高さは素晴らしいが、ディテールに足を引っ張られてしまっているエピソードとなった。クライマックス最終局面のイントロダクションとしては申し分ないレベルだとは思うのだが…。

 今回のエンディングの「キャラソン七番勝負」は、メレ担当。「ちぎれた羽根」というタイトルは、カメレオンよりむしろフォニックスを思わせて興味深い。平田氏の歌唱は、艶かしい声質が印象的。技巧的なメロディを歌いこなしていて完成度が高く、また敵側がメインとなるエンディング映像も実に新鮮であった。これもゲキレンジャーならではであろう。