その24「ガルガル!なんてこった、弟が!?」

 死んだはずの兄・ゴウとの再会を果たすレツ。しかし兄と呼ぶレツに対し、ゴウは「誰だ?」と問う。そこでレツは、ゴウの持つ十字架と同じ十字架を見せる。ゴウは10年以上記憶を失って彷徨っていたらしいのだ。

 マクは激臨の大乱を再開すべく出陣せんとする。その前哨として、マクは親衛隊である臨獣バブーン拳のヒヒを遣わすことにした。メレはロンの言葉を思い出す。「マクの親衛隊を観察すること」それが理央の怒臨気習得と臨獣殿奪回の手がかりとなるという。

 行方不明になった時から、全く外見の変わらないゴウを歓迎する美希やマスター・シャーフーたち。バット・リーとピョン・ピョウもスクラッチを訪れ、ゴウとの再会を喜ぶ。ゴウは激獣拳を裏切ろうとした理央を止める為、ゲキワザ「獣獣全身変」を使ったことで狼男と化し、それ以来記憶が全くないという。獣獣全身変は、拳聖ですら人の姿を失い、不老という報いを受けた禁断のゲキワザだ。

 ゴウが新しい仲間になるのではと喜ぶレツ達だったが、ゴウはレツが激獣拳を学んでいることに納得できない。シャーフーはレツをゲキレンジャーのエースだと称したが、ゴウのレツに対するイメージは、ひ弱な泣き虫だった少年時代のままであった。

 街に出たゴウはヒヒに遭遇する。一戦交える両者。ゴウは激気でも臨気でもない「紫激気」を発揮するが、ロンの気配に邪魔され狼男と化してしまう。レツは暴れだすゴウを止めヒヒを追おうとするが、ゴウは「約束を忘れたのか」と、かつて兄弟2人が育った教会にレツを引っ張り込む。「約束」とは「獣拳を学ぶことなく、大人になっても大好きな絵を描き続ける」というものだった。レツは「僕はもう子供じゃないんだ」と言い、ゴウの不意打ちを受け止めてみせる。

 ヒヒに苦戦するジャンとランはスーパーゲキレッド、スーパーゲキイエローとなるが、なおも苦戦を強いられる。そこにレツが合流し、スーパーゲキブルーとなって立ち向かった。ゴウはその様子を見て「あいつは獣拳で絵を描いている」と評し、シャーフーの云う「エース」の意を解する。レツはヒヒを下すが、形勢不利と見たヒヒは巨大化した。

 ゲキレンジャーはゲキファイアーで迎撃。ところがヒヒは強力な連続跳び攻撃で応戦する。ゲキバットを獣拳武装し、ゲキバットファイアーとなってヒヒに攻撃を加え、これを下した。戦いが終わり、ゴウはレツの実力を認めて微笑む。

 ところが、ヒヒはマクに与えられた怒臨気を燃やして蘇っていた。パワーアップしたヒヒはゲキレンジャーを急襲する!

監督・脚本
監督
渡辺勝也
脚本
横手美智子
解説

 過激気習得後のジャン編及びラン編は、バラエティ要素の強いエピソードであったが、今回のレツ編は新キャラクター・ゴウの登場を絡め、よりドラマティックにシリーズの転換期を彩った。前々回、前回にゴウをチラリと登場させ、ミステリアスな雰囲気を引っ張ってきただけに期待も大きかったが、なかなか見事な演出で期待に応えていた。

 ゴウの紫激気や狼男への変身といった派手な動きに目を奪われるが、実際には非常に重要な項目がセリフでサラリと語られたりしている。ゴウとレツに触れる前に、まずは、設定の根幹に関わるような部分2つを丁寧に掬い取ってみることにしたい。

 一つ目は、禁断のゲキワザ「獣獣全身変」である。ゴウが狼男になってその間の記憶をなくし彷徨っていた原因がこれだ。しかも、バット・リー達拳聖の会話から、拳聖たちは激臨の大乱の終結を狙ってこの「獣獣全身変」を使用したらしいことが分かる。獣拳の長い歴史の割に拳聖たちが若々しいこと、拳聖が何故かリアルな獣の姿(特に頭部)をしていることに対しては、この禁断のゲキワザによってある程度の説明が出来ることになる。ただし、拳魔についても同様のことが言えるかどうかは不明で、そもそも臨獣拳には「獣人邪身変」なるリンギもある為、拳魔たちは人間の姿に戻ろうと思えば戻れるのかも知れない。

 二つ目は、ゴウが臨獣拳へ渡ろうとする理央を止めようとしたシーンの登場である。これまで、理央のセリフの断片からゴウと拳を交えたことは伺われたが、具体的に描写されたのは当然今回が初めてだ。この回想シーンで理央は既に臨気を発しており、激獣拳を裏切る前から臨獣拳のエッセンスを学んでいた様子が伺われる。また、10数年前の出来事にも関わらず、ゴウ同様に理央も外見が変わっていない。ゴウは「獣獣全身変」の影響で年をとっていないと思われるが、理央については何の説明もなく、これが意図的な違和感演出ならば実に興味深いところだ。また、理央がゴウのことを語るとき、かなり見下したような発言をしていたのだが、実際に描かれた場面を見るとそうでもなく、「シャレッ気」発言に象徴されるように、ゴウ自身は余裕すら見せているように感じられる。ゴウが「獣獣全身変」を使ったのは、理央に敵わないと見たのではなく、理央の臨気を危険視した結果、禁じ手を使ってでも倒しておこうと考えたからだと思われる。

 しかし、謎の解決以上に疑問も増えてしまった。何故ゴウが死んだことになっていたのかは説明されないままである。美希は「ずっと探していた」と発言していたし、マスター・シャーフーにいたってはゴウ登場直前に「新しい仲間を加えるときが来た」といったニュアンスの発言をしている(もっとも、これはゴウのことを言ったかどうかは曖昧だが)。さらに、シャーフーのこの発言の直後、突如ゴウは周囲の環境を認識できるようになるのだ(「浦島太郎」発言)。この状況から考えるに、シャーフーはゴウがどのような状態にあったかを認識していたのではないかという推測が成り立つ。ただしこれは、レツ(ジャンとランも含めて)だけが「ゴウは死んだ」と聞かされていたに過ぎず、作品世界内で死んだことになっていたわけではないとすれば、さして違和感を感じるものではない。行方不明者を死んだことにするという作劇は、随所で見られる手法だ。

 さて、今回のメインであるレツとゴウの邂逅は、互いの時間が噛み合わない故の齟齬という、非常にハードな設定を伴って展開する。ゴウのレツに対するイメージは、幼い頃で止まったままである(レツと出会った時点で「弟はまだ幼い」と言っているところは、時間認識の有無という点で前述の「浦島太郎」発言とは大いに矛盾しているのだが…)。一方のレツは、幼い頃に抱いていた優しい兄・ゴウのイメージだけで兄を見てしまうのだ。時間を失って変化する余地のなかったゴウと、時間を真っ当に歩んで変化してきたレツ。2人の絶妙なやり取りは、セリフの間の計算に至るまで演出が行き届いている。また、打ち捨てられた教会のイメージも強烈で、ゴウの失った時間をビジュアルで感じさせている。

 ゴウのキャラクターに関しては、かなりの部分が提示されているように感じられる。我流の獣拳使い、激気でも臨気でもない紫激気の持ち主、狼男に変ずると理性を失うなどトピックは満載だが、これらが「我が道を行くタイプ」という一つのキャラクター性に収斂していくところに設計の秀逸さが垣間見える。追加戦士は得てしてステレオタイプなキャラクターになりがちだが、ゴウはその点レツに対する優しさという要素を併せ持つため、バランスの良い仕上がりを見せている。

 一方の臨獣拳側は、いよいよマクが動き始める。手始めに配下のリンリンシーであるヒヒを派遣するところは、他の拳魔と同様だが、怒臨気を「与える」というある意味衝撃的なトピックが目を引く。過激気等とは異なり、怒臨気は「与える」ことができるのだ。勿論、これには過激気を得たゲキレンジャーとのパワーバランスを保つ為のロジックなのだが、それを差し引いても「パワーアップ怪人」の登場はやはり嬉しいものだ。ヒヒの声を演ずる島田敏氏の、抑えつつキレた演技も理知的で、マクの親衛隊を名乗るに相応しい。

 ロンの意図するところは、やはりまだ分からない。メレに「耳寄りな情報」をもたらすが、果たしてそれが本当に耳寄りなのかどうかは、これからを追ってみないと分からない。また、少々分かりにくいが、ゴウが中盤で狼男に変身する際にも黄金色の気となって関与している。ロンとゴウには何か関連があるのか、この辺りにも大いに興味を引かれるところだ。