その16「ジリジリ!臨獣殿、課外授業」

 ラゲクは臨獣殿に帰ってきた。カタとの再会を喜ぶラゲクに、理央は合気の術の教えを乞う。ラゲクはそれを一蹴し、メレにこそ教える価値があると言い出す。メレに理央を倒せと命じたラゲクは、メレを追い込むべく、理央に臨気を封じる毒を打ち込む。理央はその毒により、1日程度で死ぬという。ラゲクは自分が連れてくる相手と戦ってもらう、とメレに告げた。そして理央には、そのメレの戦いぶりを見て「身を焦がす思い」を感じるよう告げるのだった。ラゲクは「これは私のレッスンよ」と言う。

 レツがスクラッチに勤めていることが漏れ、沢山のプレゼントが届いていた。マスター・シャーフーはそれを見て、若い時分に物凄くモテたと主張。昔はネコの姿ではなかったというのだ。シャーフーがレツに女心の難しさを諭していると、ラゲクの気配が漂ってきた。巨大ラゲクをゲキトージャで迎撃するゲキレンジャーだったが、その変幻自在・剛柔の拳の前に手も足も出ない。ラゲクは「レッスンへの参加資格なし」と告げて姿を消し、今度は等身大となってジャンたちの前に現れた。そこにマスター・シャーフーが出現。ラゲクは「ダーリン」と言って駆け寄る。しかし、シャーフーは平然とし、封印が解けたことを残念だと言う。シャーフーは、10人の獣拳の達人が7人の拳聖と3人の拳魔に袂を分かち、「激臨の大乱」となったことを、驚くジャン達に語って聞かせた。そこにカタが現れて言う。自分たちは激臨の大乱を再び起こすのではなく、新たな世代の臨獣拳の拳士に真の臨獣拳を伝える為に蘇ったのだと。

 理央とメレが呼び出され、メレはマスター・シャーフーと戦うことに。さもなくば、理央は毒に犯されて死んでしまうのだ。ジャン達はラゲクの粘液に捕らわれてしまい動けない。

 やはり、メレは拳聖の敵ではなかった。だが、メレは自らの細胞と血潮を燃やして力を得、シャーフーに無我夢中で攻撃を仕掛ける。シャーフーは押され、理央はメレの「理央の為に死する覚悟」を見て苦悶した。メレが最終リンギを放とうとしたとき、理央は臨気を極限以上に燃やし、ラゲクの束縛と毒を打ち破る。メレの最終リンギを寸前で止めた理央を、ジャンは「ジリジリ」と称した。

 理央はラゲクに戦いを挑み、動きを見切る一瞬に隙があるのを逆に見切り、決めの一撃を打ち込む。ラゲクは笑いつつ、理央がメレの強さへの嫉妬によって身を焦がすことで、強さを得たのだという。それを聞いた理央とメレは、ラゲクをマスターと称しひざまずいた。

 一方ジャン、ラン、レツは、理央とメレに触発され、更なるトレーニングを敢行していた。マスター・シャーフーは臨獣拳の現状を案じ、焦燥の念に駆られていた。

監督・脚本
監督
諸田敏
脚本
横手美智子
解説

 紛れもなくメレ主役編。あらゆる心理描写が数珠繋ぎとなって、一本の筋を通していく完成度は、随一。正直なところ、臨獣拳側が主役となるエピソードの方に、完成度の高さと言う点で軍配が上がってしまう。少なくとも、これまでのエピソードでは。

 まずは、激獣拳側にスポットを当てて見よう。激獣拳の少なめの描写の中で、一番目立っていたのはレツ。スクラッチ勤務の情報が漏れ、プレゼントが多量に届くという一幕が愉快だ。そのモテモテ振りに、何とマスター・シャーフーが反応。シャーフーの「女心は難しい」というニュアンスの言葉は、後のラゲクとの因縁話に見事繋がる。ここでは、拳聖がかつては人間の姿だったかも、と匂わせており、後のラゲクの言により、人間(ハンサムガイ)の姿を捨てたということが、断片的ながら分かる仕組みになっている。このレツのシーンは「ジャンもランもレツへのプレゼントを妬まない」という点で、臨獣拳側と圧倒的な乖離を生んでいることにも注目しておかなければならない。

 海の拳魔・ラゲクは、ある意味カタよりも強烈なインパクトを放っていると言えよう。理央とメレを「理央ちゃん」「メレちゃん」と呼び、マスター・シャーフーを「ダーリン」と呼ぶ。「妖艶な年増」といった強烈なイメージは、カタの高貴なイメージとはまた異なる魅力だ。特殊効果をふんだんに使った臨獣ジェリー拳の合気の術も、ビジュアル的に分かりやすくて良い。

 そのラゲクの修行は、曰く「レッスン」。カタが絶望や憎しみといった感情によって強さを倍加していく方針だったのに対し、ラゲクは女性ならではの感情 (?)である、嫉妬によって強さを生み出す方針である。拳聖たちが、それぞれの流儀で稽古をつけていくのと同様、拳魔たちもそれぞれの流儀を有していることが明らかになったわけだ。ラゲクの巧みな心理操作は、勿論ラゲクの実力に裏打ちされたものであり、後に理央の一撃をまともに受けて見せたのも、一つのデモンストレーションだった可能性が高い(ダメージを計算していたかのような、余裕の言動が印象的)。ちなみに、作劇上、拳魔が乱立すると絵的な問題が生じるからか、カタは退場となるが、倒されての退場ではなく、流儀の違いを見てとりあえず身を引くという退場となる。パターンの新しさもさることながら、この身の引き方、実に奥ゆかしく、私的に衝撃を受けたことを告白しておこう。

 前回、メレはエゴに走ったと書いたが、今回は理央を救いたい一心でマスター・シャーフーとの戦いに身を投じる。この心理的な変化は、一見統一感を欠いているように見えるが、前回を、無償の愛の裏側をちょっと垣間見せたに過ぎないと見れば、それはそれで実にリアルな心理描写だと言えるだろう。メレ役の平田氏の演技は、今回非常にテンションが高く、アフレコの迫力も拳魔達ベテラン陣に決して引けを取らない。自らに無限烈破を放って自己犠牲へと走っていくその姿は、敵側とは言え感情移入を容易に許し、見る者は、理央の復活をいつの間にか待ちわびる。ネガティヴな感情に突き動かされて、強さをガムシャラに求めていく臨獣拳側のテンションは、際限なく上昇しており、見応え充分だ。

 今回、重大なバックボーンがマスター・シャーフーたちの口からさらりと語られた。かつて獣拳は一つであり、獣拳を極めた者達は10人存在した。その中の 3人が邪心を抱いて拳魔となり、残りの7人が善心を以って拳聖を名乗ったという。拳魔が3人であることは、当初より分かっていたことであるが、拳聖が7人も存在することは初めて判明したトピックである。シャーフー、エレハン、リー、そして次回登場する新たな拳聖で4人であるから、それ以外に、あと3人残っていることになる。どんな拳聖が登場するのか興味は尽きない。7人対3人という、数の面でのパワーバランスの悪さはセリフ等でフォローされているが、マスター・シャーフーの発言のニュアンスを読み取ると、どうやら臨獣拳のようなネガティヴな感情による強さの獲得は、迅速かつ強力な手段だと認めているようだ。ただし、それは身を滅ぼす危険な手段であるということを予見しているのも確かだ。焦燥感にとらわれつつも、シャーフーのポリシーは貫かれていくに違いない。