その9「ケナケナの女」

 かつて、メレは冷たく苦しく寂しく暗い闇から、理央の手により蘇った。メレは理央の手に触れ、温かさを感じたのだった。

 ブラコはメレに近付き、理央を倒して臨獣殿を取り戻そうと誘う。「お前には全く見返りがない」と甘言を吐くブラコを、メレの舌が貫いた。ところが、ブラコは秘伝リンギ・真毒によって蘇る。真毒は死者に本当の命を与えるというもので、ブラコは6つの真毒を持っているという。まず1つを、自分に用いたのだ。ブラコは本当の命の力を存分に使い、大蛇砲でメレを圧倒、理央打倒を高らかに宣言した。ブラコは真毒を使い、カデムとモリヤを蘇らせる。ブラコ達は瞑想中の理央を襲うべく近付いた。

 その頃、激激砲を撃つのに、1分15秒ほどかかるという現状を危惧し、マスター・シャーフーはとにかく修行して時間を短縮せよと教える。ゲキレンジャーは海岸で修行を重ね、18秒にまで短縮することに成功した。そこへ、メレが現れる。メレは修行するつもりで「格下」のゲキレンジャーに襲い掛かった。早速、激激砲の修行の成果を試みるゲキレンジャー。メレは激激砲にブラコの大蛇砲との類似点を見出し、正面から激激砲を受け止めた。ジャンはメレに「ゾワゾワ」ではなく「ケナケナ」を感じる。集中力を欠いたジャンの為に激激砲の威力は弱まり、メレはそれをはね返すことに成功する。「修行なのか?」と問うジャン。メレは「ただの暇つぶしよ」と答えて消えた。

 ブラコ達の毒牙が理央を捉えようとした瞬間、メレがそれを阻む。メレの叫びに目覚める理央。理央によってカデムは一瞬で蹴り倒され、モリヤは逃げおおせる。ブラコも逃げるが、メレが後を追った。

 モリヤは行き場がなくなり、街で暴れ始めた。迎え撃つジャン、ラン、レツ。

 一方、ブラコを追い詰めたメレだが、ブラコに苦戦を強いられる。しかし、メレには勝機が見えていた。大蛇砲を見切ったメレは、それをはね返し、ブラコを足蹴にしてみせたのだ。敗色濃いブラコは「本当の命」をちらつかせ、メレの迷いを誘おうとする。だが、メレには理央しか見えていない。容赦なくブラコを成敗し、残る3本の真毒を理央に献上した。「私にとって生きるってことは、理央様の傍に居るってことなのよ」メレはそう言い放つ。

 モリヤはブラコの死を感じ取る。ゲキレンジャーは、モリヤの口からメレによってブラコが倒されたことを知り、驚愕した。しかし、モリヤを叩くべく集中し、激激砲を放つ。モリヤは為す術もなく粉砕された。

 「何やら臨獣殿が、大きな一歩を踏み出そうとしているようじゃ」マスター・シャーフーは危機感を募らせる。三つの真毒は、三拳魔を蘇らせることができるという。メレは、理央の喜びに生きている実感を得るのだった。

監督・脚本
監督
諸田敏
脚本
吉村元希
解説

 完全にメレが主役という、パターン破りのエピソード。その上で、臨獣殿激震の序章とも言うべき重要回でもある。戦隊シリーズで敵側が主役級の扱いとなるエピソード自体は、特に珍しくない。ただし、「修行」という正義側を象徴する言葉が悪側に適用される、五毒拳のリーダー格であるブラコをメレが片付けてしまう、しかもまだ1クールを消化していない時期等…。これらの要素から、「パターン破り」と表現した。

 相対するビーストアーツとアクガタの異なる部分は、イデオロギーの違いに留まると以前書いたが、今回はそれがさらに顕著になった。メレは理央に対する「見返りを求めない愛」を貫く、確固たる信念の持ち主として描かれており、その為には格下のゲキレンジャーと戦うことも辞さない。何と、悪側に「無償の愛」が描かれるとは。裏切り者ブラコを容赦なく粛清する様は、さすがに悪側というところだが、それすらも美しく描写され、メレの行為はことごとく正当化されている。ここまで徹底的に、しかもイデオロギーが揺らぐ(要するに正義と悪の狭間で揺れる)ことなく敵側が主役を張るのは、実に珍しいことではなかろうか。

 本来の主役であるゲキレンジャーを完全に「メレを立てる役」にしてしまったことに関しては、異論もあろう。しかし、今回はあくまで例外として見るのが適当なのではないだろうか。ゲキレンジャーがパターン破りの戦隊かどうかと言えば、それは「否」だからである。その証拠に、モリヤをゲキレンジャーと対決させ、ゲキバズーカの修行の成果をキチンと見せている。モリヤに易々と勝利するほど、短期間で実力を上げているのを見せるのもウマい。このあたりの段取りの良さは、評価してしかるべきだ。「豚の角煮」等のコミカルな描写で、臨獣殿側の黒々とした雰囲気を和ませているのも良い。

 ところで、今回はメレの設定編としても重要だ。メレの本来の姿であるリンリンシー態も登場し、理央によって「かりそめの命」を与えられた死者であることも明言される。また、「格下と戦わない主義」が「幹部格が手を出さない」というパターンに対するエクスキューズに留まらないことを、よく表現していることも特筆すべき事項だ。臨獣拳が激獣拳を滅ぼすことを目的としていないのは、ゲキレンジャー相手に「修行」したメレの態度からも明らかである。

 メレ役の平田氏の演技も、確実に板について来ており、単なるステレオタイプではなく、理央と接する時とそうでない時が、連続する同一の人格であることを確実に見せている。人間態時のポージングのハマり具合も素晴らしく、もっとアクションが見たいところだ。また、アフレコのウマさは抜群と言って良く、可愛らしい声を出したかと思うと、戦隊の女幹部らしい悪辣なドスの利いた声も飛び出す。アクション時の掛け声も高いハマり具合を示す。

 一方で、理央の凄まじい強さも垣間見られる。カデムを一撃で粉砕する蹴りが強烈な印象を残し、改めてリンリンシー達と格が違うことを見せ付けた。なお、理央がメレの手を取るシーンは、冒頭の回想シーンとエピローグで2度描かれたが、その度に意味深長な「視線の泳ぎ」が描かれている。これが一体何を意味するのかは、これから明らかになっていくであろう。こういう細かい要素は、是非とも丁寧にすくい取って欲しいものだ。

 なお、今回ブラコによって初めて「生命を持ったリンリンシー」が登場した。死者であるリンリンシーとの違いは、倒されたときの描写である。普通のリンリンシーは、倒された際に土くれと化すが、生命を持ったリンリンシーは、炎を上げて爆発するのだ。この爆発、いわゆる東映特撮における怪人爆破を踏襲している。カデム、モリヤといった「再生怪人」に燃え、また爆破に燃える。由緒正しき東映特撮ファンの、正しい楽しみ方が、ここにある。